第十四節 好悪はそれぞれ
「ふざけんな、この腹黒狸」
ミツキの心中を表すのに最適な言葉を放つ。ともすれば中指も立てたいところだが、ぶつける相手には意味が通じなかった。
いつもなら悪態をついた時点で苦言を呈するベティはこの場にはいない。晩餐会の支度で手が離せない彼女の代わりに連れ立ってきたのは弟子のライナスだった。
ライナスはミツキの一歩後ろに控えて、この険悪な雰囲気を居心地悪そうにしながらも口を引き結んで耐えている。
「女性が、まして勇者ともあろう人が、そんな下劣な言葉を吐くのは感心しないな」
代わりにミツキを諌めたのはふたりとは対照的に魅力的な微笑みを湛えたアレクシス・ジルギッドだった。今日は訓練の予定もないのか、彼は鎧を纏わず白いシャツと紺のズボンと聖騎士団団長としても非常に軽い出で立ちをしている。
――この狸野郎。
彼に諌められたところでどうとも思わないけれど、一応心の中に秘して罵る。
銀鼠区聖騎士団本部、団長室。一団の長のための部屋は質素だが、高品質なのが一目でわかる木製の机とその背後の本棚が威厳を漂わせている。ただし、彼はあまりこの部屋に留まらないために装飾らしい装飾は、窓辺に飾られた勲章と花瓶に活けられた一輪の赤いコファの花くらいだ。
マオの身元の引受けに来たはずのミツキとライナスは、本部に足を踏み入れると同時にアレクシス本人から直々に招かれてその部屋にいた。
「きみに憧れを抱く民が聞いたら失神ものだ」
舌打ちのひとつでもくれてやりたいところをぐっと堪えて睨みつける。そんなありがたくもない小言を聞きに来たんじゃない。
「マオの身柄は真犯人と交換だとおっしゃったのはあなただったはずですが」
「きみが現行犯で捕まえてきたあの男が真犯人だという裏が取れていない」
「ですが、すでに自白が出ていると副団長に聞きました」
「呪詛を受けていた男の自白だ。術者次第で虚偽の自白も可能だということくらい、勇者様ならわかるだろう?」
「クソが」
この男を罵るための語彙は多種多様に取り揃えているが、その中でも一番シンプルかつ悪意の伝わりやすいものを選んでぶつける。
「ミツキ」
対するアレクシスも慣れたもので、二度目の悪態にはわざわざ嫌味でなく短く名前を呼んで警告されるに止まった。
苦虫を潰しながら見下ろす彼は、好意的な顔をしていながらもミツキに譲るつもりは欠片もないらしい。
「彼を大事にしているのはわかっているし、私も出来る限りきみの希望には添いたい。だけど、捜査に不備があれば殺人犯をみすみす取り逃しかねない。わかってくれるね?」
どことなくミツキのほうに非があるような諭す言い方が引っかかる。そして、間違いなく正論なのが余計に腹立たしかった。
ミツキが捕まえた現行犯がどこまで呪詛に侵されていたのか。あるいは、どこまで正気で犯行におよんだのか。男の証言が虚偽でないと証明しなければならない。
それには先日の殺人未遂の被害者も含め、自白した証言をもとに彼の行動の目撃者を探して裏を取ることが必要だ。それが終わってようやくあの男が犯人だと断定できる。
呪詛なんて面倒なものがなければ、もっと話は簡単だったのに。
「……裏が取れるのは、いつになりますか」
ミツキが折れる様子に、彼は艶やかな笑みを深めた。
「動ける聖騎士の半分を割いている。自白が正しければ、夕方には釈放できるだろう」
「夕方って」
教皇とマールベイン、ヒース両国の晩餐会の時間だ。どんな理由があれ、ミツキがそれに遅刻することだけは許されない。
わかっていてやっているのかと言いたくなるほど見事に時間を被らされた。
「身内以外の引受人か、あるいは引受人なしでの釈放は」
「できかねる」
「私の弟子でも?」
「悪いが、誰であれ例外はないんだよ」
とうとう我慢できずに舌打ちしてもアレクシスは動じなかった。
「そういうわけだから、マオくんの釈放は明日ということでいいかな」
「いいえ」
ミツキ自身、マオを公式の場に出すくらいなら釈放を延ばそうかと一瞬でも思ったが、それがこの男の口から提案されるなら別だ。
嫌がらせにしろ、他に思惑があるにしろ、アレクシスが絡んでくるのなら一刻も早くマオを牢獄から出さなければならない。
「ここにいるライナスは私のもうひとりの弟子です」
首だけでライナスを振り向くと、突然矛先を向けられた彼の肩がびくりと跳ねた。
「……そうか。初耳だな」
「あなたに紹介する謂れはありません。ですが、兄弟弟子なら身内も同然と言ったのは、確か、あなただったはずですね?」
「ああ、十年も前のことをよく覚えていたね」
律儀に覚えていたのは、アレクシスのためじゃない。
「……紫の髪と目か」
「言っておきますけど、彼は犯人じゃありません」
事件当時の、特に二件目の殺人事件時の所在ならミツキが証明できる。そう強く告げると、アレクシスは深く追求してこなかった。
「いいだろう。きみの言い分を認める。……ライナスくん、だったね」
「は、はい」
「きみもそれでいいね?」
もう一度ライナスを振り向くと、ライナスは真っ直ぐにミツキを見て頷いた。
「はい。僕が身元引受人になります」
「では、ミツキと一緒に著名を」
アレクシスは抽斗から取り出した書類を机の上に広げた。
こちらの言語で書かれた細かな契約と制約の文章に、ミツキに不利になるようなことが書かれていないか目を皿にして確認して二枚の書類に著名する。続いてライナスの名前を入れ、更にそれを保証するためにアレクシスの著名が書き加えられた。
「確かに承ったよ」
言って、アレクシスは書類の片割れをミツキに渡した。それを持って夕方にライナスがここを訪れれば、晴れてマオの釈放が成立する。
「お世話をおかけしました」
これがあれば、もうアレクシスに用はない。早々に部屋を辞そうとして下げたくもない頭を下げて背を向けた。
終始張りつめた緊張の中にいたせいだろう、噛みしめすぎた奥歯と顎が痛い。ミツキは表情を堅いままにするのがどうしようもなく苦手だった。
「ミツキ」
扉に手をかけたところでアレクシスがミツキの背中越しに声をかける。
「いつまで勇者を続けるんだい?」
不意を突かれた言葉に指先が震える。奥歯を噛みしめていたはずの口が開きかけて、けれどミツキは唇を噛んで耐えた。
そのまま何も言わずに団長室をあとにする。
古い町のくせに、濃やかな整備が行き届いている石畳の道は歩くのに苦労しない。殺人犯逮捕の報はまだ正式発表されていないために、その道を行く人は今日も少なかった。
常なら人々の喧噪に掻き消される靴音がそら寂しい通りに嫌に響く。
ため息を吐く余裕もなく、ただただ気分が重い。
ライナスがまったく初対面なのにも拘わらず、アレクシスとのやり取りでかなり刺々しい雰囲気を出してしまった自覚はある。今回はなるべく抑えるように努力して発言を控えたけれど、それはそれで沈黙の間の不和が増して拍車をかけたようになってしまった。
申し訳なく思いつつも、ライナスがミツキの弟子である以上、アレクシスを簡単に信用してほしくない。あれだけやれば察してもくれるだろう。
「勇者様」
黙ったまま本部をあとにしたミツキの背中にライナスの低い声がかかる。
「……ん、ごめん。どうしたの?」
本部へ行った時と同じように、彼はミツキの三歩後ろに付き従って歩いている。そこへ首を向けると、ライナスは戸惑うように視線を巡らせてから続けた。
「訊いてもよろしいでしょうか」
「なにを?」
そんな風に彼から質問を受けたのは初めてだった。首を傾げて足を止めれば、距離が縮めてから彼が止まる。
ミツキは自身よりも頭一つ分高いライナスの顔を見上げた。逸らされていた紫紺の双眸が遠慮がちに彼女へと戻ってきて、彼は声を潜めて話し始める。
「僕の間違いでなければ、団長様と……、その、とても仲が悪いように思えたんですが」
思えたも何も、それ以外に言いようがないほどミツキはアレクシスを嫌っているし、伝えたいことは無事に伝わってくれたようだ。
「まあ、その、いろいろあったから」
語るには長く、そしてまだ明かせないもののほうが多い。
察してくれてと言わんばかりに閉口して後ろ頭を掻くと、ライナスはミツキの期待通りにそれ以上を訊いてはこなかった。
「それより、いつまで私を“勇者様”なんて呼ぶつもり?」
気分を変えるつもりで言えば、彼は虚を突かれたらしく目を丸くする。
勇者様なんて、まるで遠い人を呼ぶような呼び方。
苦く笑いながらミツキは続けた。
「ライナス。きみはきみの特技で憧れの“勇者様”に手が届いたんだよ」
彼の料理に絆されて、受け入れるつもりのなかった弟子にした。それはライナス自身が切り開いた道だ。
「確かに私はライナスの“勇者様”だったのかもしれない。だけど、今はもうきみの“師匠”でしょ」
師匠、と噛みしめるようにライナスの口から漏れる。
「まあ、それも慣れないんだけど」
長く時間を共にしたマオはミツキを“師匠”なんて風には呼ばない。専ら呼び捨てか、さもなくば“ババア”である。
「ミツキって呼んでよ。名前を呼ばれるほうがよっぽど反応しやすいから」
「そんな。恐れ多いです」
「それじゃあ困るんだ」
呼ばれたことのない呼称で呼ばれても、いざとなったときに反応できる保証はない。――これから、そのいざという場所に行くつもりなのだから。
「とりあえずはその練習からかな。……よし、これからライナスが私を“勇者様”って呼ぶたびに腕立て十回」
罰則をつければ体で覚えるかと考えての提案に、ライナスの背筋が伸びた。
「どうしてもダメでしょうか」
「ダメ。がんばりなさいな」
自然にミツキの名前を呼べるようにする訓練。間違えても体を鍛えられるのだからどちらでも都合がいい。師匠らしい指示に満足しながら彼女はベルティナ邸へと足を速めた。




