第十三節 小さな夜の捕り物
見上げた夜空に細やかな星々が輝く。
ミツキが知っている星座はひとつもない。それどころか、こちらの世界の人間は宇宙に興味がないらしく星の神話も、名前すらも聞いたことがなかった。
視力を取り戻した目には煌々と輝く一等星がよく見えた。一晩中位置を変えることのないその星がこちらの世界の北極星にあたるらしい。
家々に挟まれた裏路地から見上げる空は狭く、静かだった。殺人によって酒場は深夜までの営業を揃って自粛したために、道を徘徊する人もない。
――まったく善良な人たちだ。
日本ならそんなこと考えられない。せいぜい警察のパトロールが増える程度だ。自分たちの利益を削ってまで客の安全を優先するなんて。
あちらの世界の、いつまでも眠らない町。眠らない代わりに、何かを削り続けながら輝いているように思える。
それがこの聖都からは感じられない。息をひそめるようにする姿はまるでゴーストタウンのようだった。
月は中天を過ぎ、聖都は静寂に満ちている。
静けさの中に緊張を孕んだ夜だった。どの家もきっちりと鍵を閉め、明かりを落としている。きっと中では殺人犯が家にまで入り込まないよう祈りながら眠っているんだろう。
彼らに申し訳なく思いながら、ミツキはそっと視線を地上に戻した。
敷き詰められた石畳をひとりで歩く。携えたランタンの中には、転ばない程度に明かりを絞った青白い球体がほわほわと浮いている。
その薄明りに照らされて、目の端で藤紫色の前髪が揺れた。
――慣れないなぁ。
ミツキは生まれて以来ずっと同じ色だった髪色を変え、うしろでひとつにまとめている。慎まやかな胸を潰して男物の服に身を包むと、夜目にはどこにでもいる小柄な少年のように見えた。
殺人犯は必ず来る。一日と時間を置かずに行われた犯行と、誰に目撃されるかもわからない白昼堂々の凶行から、今夜も殺人が起こると決め打ちしての囮作戦だった。
コンラッドが指揮する聖騎士たちの警邏が張めぐされた聖都で、その穴を縫うように歩く。周囲に人の気配はないか探りながら、ミツキはわざと足音を立てて、さも殺人鬼に震える市民のように早足で歩いた。
紫髪の男をほぼ無差別に襲う犯人が、無防備に夜道を歩く男装したミツキを見つけるのも時間の問題だろう。近寄ろうとする影があれば、おそらくそれが殺人犯だ。
慎重に気を配りながら通りの先へ意識を巡らせる。
ふと、進行先の路地の影の中で何かが動いた。目を凝らしても、暗くてそこに何があるのかはわからない。目の錯覚のように思えたし、そこからは人の気配もなかった。野良猫か、あるいは。
夜風がミツキの頬を撫でていく。それを合図に彼女は目に魔力を集中させた。人体強化の魔法は得意でないが、これで多少なりとも夜目を利かせることくらいはできる。
その目で路地を覗き込めば、夜闇に紛れる黒い輪郭が家の影に紛れているのが見えた。
聖都に浮浪者の類はいない。そういうものは、すべからく大聖堂に招かれて、そこで寝泊まりしながら日銭を稼ぐ。それに、今夜に限っては酔っぱらいが路地で眠り込んでいるということもないだろう。
――もしかしたら、あれが。
間違いだった場合、誤認逮捕の騒ぎが起これば真犯人が逃げてしまうかもしれない。決定打を見せるまでは迂闊にこちらから行動せず、ミツキは気付いていないふりをしながらその影が動くのを待った。
マオの証言によると、昼間の犯行は被害者の正面に犯人が立っていたらしい。それに、ミツキが見た死者の記憶では、殺人犯は被害者の目の前に現れた。
――来い。
ランタンを持つ左手に力が入る。その明かりが路地に届く寸前、影の中から黒い塊が音もなく生まれ出た。
腰までの黒い外套。その帽子を目深に被った顔は見えない。誰かの影がそのまま立ち上がったように黒く、目の前に対峙しているというのに気配を感じられなかった。
「こんな夜更けにどうされましたか」
ミツキは足を止め、声を低くして問いかけたが返事はない。代わりに、黒い影の足が一歩前へ出た。
外套の前がはだける。男だ。瞬時に姿勢を低くした影が加速する。
――ここまで、被害者の記憶通り。
ミツキは陰に向かって右手を突き出して構えた。
影の右手に短剣が握られている。そこまで目視してから、彼女は迫りくる男に向かって叫ぶ。
「タマ!」
瞬間、赤い猫が右手の指輪から飛び出す。いつもより多く魔力を吸わせた猫は、虎ほどの大きさに膨れ上がり、牙をむき出しにして影に飛び掛かった。
鋭い爪に弾かれた短剣が音を立てて飛んでいく。低い悲鳴とともに影は赤い虎の下敷きにされて倒れた。
「動くな。抵抗すれば即座に燃やす」
言った途端、男の胸を抑えるタマの前足から薄く煙が上がった。押し付けられた肉球の下の服が焦げ臭いにおいを放つ。
「赤猫、だと……!」
「そこまでわかったなら、私が誰かもわかるでしょ」
いつもの調子の声で問えば、犯人は目を見張らせてミツキを見上げる。
取れた帽子からこぼれた男の髪は、藤紫色だった。
「ハッ……、この程度で勇者が出てくるか。聖都はよっぽど人手不足か、馬鹿な聖騎士しかいないらしい」
「黙って。喉を潰すよ」
この男が被害者たちにそうしたように。
言外に含めると、途端に男が口を噤む。
「あと、自殺なんてしようと思わないでね。私、回復魔法はそこまで得意じゃないから、余計ひどいことになるよ」
一度噤んだ口を再び開くことなく、彼はそっぽを向くように首を逸らした。
それを確認してからミツキは空に向かって手を上げる。その指先から細い炎が上がって、屋根よりも高いところで静かに弾けた。
囮作戦終了。じきに近くを巡回していたコンラッドや聖騎士たちが駆けつけて来るだろう。
一分と数えることなく、静夜に複数の足音が聞こえた。
ミツキを囮にして殺人犯を捕まえると決めたのはその日の午前のことだった。
朝になってミツキの視力が回復の兆しを見せ、そこへきて教皇の名義で手紙を出した二国の王が明日には聖都へやってくることが決まったとの知らせが届いた。
マールベイン王国、ヒース大公国はともにイリシア聖教会を国教とする国だ。またイリシア共和国を挟む両国は聖都への巡礼者や貿易商、観光客から得られる利益は大きい。
教皇が招集すればよっぽどのことがない限り断られることはないし、できるかぎり早く予定を立ててくれるだろう。そう踏んでの教皇名義の手紙だったけれど、ミツキが思っていた以上に両国はこれに強く反応してくれたようだ。
下手をすると、ミツキが握っている情報以上に両国は複雑に込み入っているのかもしれない。
他国の政治なんて面倒なことに首は突っ込みたくなかったけれど、マオが人質に取られてしまったのだから仕方ない。
「タマも戻ってきたし大丈夫じゃない?」
マオに預けたはずなのに、なぜか朝一番にミツキのもとに戻ってきた原因はわからない。異常にお腹を空かせて、帰ってきてすぐに甘えられたらもうミツキもマオのもとへ戻れと命令する気が起こらなかった。どこの世界でも猫は自由だ。
ベティが何か言いたそうな気配がしたけれど、殺人犯を捕まえないと前に勧めないことは彼女もよくわかっている。
そもそも聖都においてミツキの手札は多い。使えるだけ使えば、犯人確保もまず間違いなく。最後のダメ押しで囮役をミツキが買って出れば誰がどう考えても現行犯逮捕は確実だった。
そうして捕まえた殺人犯は、ライナスがされたのと同じように髪の色を変えさせられ、その上で呪詛を施されていた。
「質が悪ィな、こりゃあ」
尋問を終えたコンラッドがベルティナ家に帰ってきた途端にそう愚痴るように言う。
静やかに行われた捕り物劇から一晩明けて、陽の当たる中庭の四阿でのんびりと朝食を摂るミツキとベティ、それに妙にかしこまった風情のライナスを尻目に、コンラッドは無作法にパンにかじりついた。
「もう解呪したんですか?」
「まだだ。証拠になるかもしれん」
呪詛をかけた相手を決定づけるのに、施された呪詛そのものの魔力の形跡は動かない証拠になる。
殺人犯の自白した少ない証言の中で、呪詛の内容は目についた紫髪の男の目を潰して殺せ、という無差別殺人を強制する意識改変の呪詛だとわかった。
「そもそも裏家業の男らしいんだよ。殺人が初めてじゃないにしろ、依頼主も呪詛の相手も未だに口を割ろうとしない」
「まぁ、割ったところで信用に値するかは別の話だし」
ともかく、これでマオは釈放される。
未だにライナスの髪色が元に戻らないのは気がかりだけど、ミツキの目の前に立ちふさがった問題はひとまず取り除かれた。
「あとは、今夜の晩餐会がどうなるかだ」
「ああ、うん、そうだね……」
教皇に王に大公、それに三国のお偉いさんが集う晩餐会に、この招集を企画したミツキ自身ももちろん招待されている。間違いなく彼女の苦手な堅苦しい会だ。
「どうして苦手なんですか?」
「政治家の集まりなんて楽しくないから」
不思議な顔をするライナスにつまらなさそうに答えてため息を吐く。過去に何度もそういう会に招待されたが、食事以外に良い事なんてほとんどなかった。
「勇者さまも大変なんですね」
「他人事みたいに言ってるけど、ライナス、きみも来るんだよ?」
「えっ!?」
他人事みたいに言うライナスに不意打ちとばかりに言い放てば、彼は途端に目を白黒させて椅子の上で跳ねるなんて器用な真似をしてみせる。
教皇に召集の手紙を頼む際に、世間話として弟子のことを話してしまったがために教皇自ら連れておいでと言われてしまっては簡単に断ることもできなかった。
「まあ、晩餐会後の歓談のときに紹介する程度だから」
ライナスはいい。問題はマオだ。
ふたりともちゃんとお披露目しろと念を押されては連れて行かないわけにもいかない。
どうやってマオを静かにさせたものか。こういう場に引きずり出されるなんて想定してなかったからマナーも何も教えていない。
いっそのこと、出所を明日まで伸ばすか。そこまで考えてしまうほど、ミツキは憂鬱極まりなかった。
唸ったりため息を吐きだすミツキをベティが苦笑しながら慰めて、ゆるゆるとした時間が過ぎていく。
そののどかなひと時を、ミツキは噛みしめながら目を瞑る。
――一生、こうしてられたらよかったのに。
叶わないとわかりきって願うのはあまりにも苦かった。




