第十二節 焔の仔
聖都北部、銀鼠区と名付けられた市街地は、銀鼠色の鎧を纏う聖騎士たちの居住区だった。聖騎士士官学校に聖騎士団本部と、聖騎士に必要な物はすべて揃うので、警邏以外では聖騎士たちは滅多に他区へ出ることもない。
その銀鼠区聖騎士団本部に設けられた牢獄にマオはいた。聖都で罪を犯した罪人はすべからくここに投獄されるのが常で、勇者の弟子であっても例外ではない。
鉄格子に閉ざされた石造りの寒々しい一室。外は暖かくなり始めていたけれど、ここは牢は地下であるためいっそう冷えた。
明かりは廊下の奥、地上に露出した位置に作られた窓から差し込むわずかな光だけで、昼間だと言うのに薄暗い。その上、常に鼻先に湿気のにおいが漂って、どうしようもなく気が滅入った。
同じく地下に並んだ牢に囚人はいるらしいが、イリシア聖教会の総本山というだけあって、収容されている人数は少ない。それも昼間の刑務作業で今はいないらしく、物音は一切聞こえなかった。
たったひとりこのうら寂しい牢獄に捨て置かれて、マオはどうしようもなく暇を持て余していた。
――助けただけだ。
することもなければ、必然的にこんな場所に幽閉された原因を思い出してしまう。頭の中で何度繰り返しても、思い当たる非はなかった。
目の前で切られた人間を抱えて、通り魔から逃げた。助けを求めて通りに出れば、血を見た人々が半狂乱になりながらも聖騎士と治癒術師を呼んでくれて、何とか事なきを得たのに。
それなのに聖騎士にその場でひっ捕らえられ、引きづるようにしてここに投げ込まれた。捕らえるように叫んだ聖騎士の声は、マオにつっかかってきたあの礼儀のない聖騎士のものと似ていた気がする。
私怨で牢にいれるか。誤認逮捕だとバレたら、あの聖騎士は本当にタダでは済まないだろう。
マオは簡素な寝台に座り直して、白い掛け布を引き寄せた。湿気のせいか布はわずかに湿っていて気持ちが悪かったが、それでも被っていれば寒さがやわらぐ。
脱獄なんて面倒なことをしなくても、そのうちにミツキが乗り込んできてなんとかするだろう。あれはそういう野蛮な人間だ。
胸の前で掛け布を掻き合わせ、マオはそのまま待つことにした。そうして数時間後、迎えが遅いことにいら立ちを覚えはじめてようやく足音が聞こえてきた。
石造りの牢獄に響く足音はふたつ。ひとつは軽くて、もうひとつは重い。ミツキとコンラッドだろう。コンラッドにあの礼儀知らずの聖騎士について告げ口するとして、ミツキには何と文句を言ってやろうか。
無実の罪で不当に投獄された。ちょっとくらいミツキに八つ当たりしたって、バチは当たらないだろう。そう考えて、顔を上げるとちょうどマオの牢の目の前で足音が止まった。
「よーう、マオ。元気だった?」
「……は?」
鉄格子越しに、いつもの調子でマオに向かって気の抜けるような声をかけるミツキ。その隣には、予想通りコンラッドがいた。けれど、ミツキの両目には覆うように白い包帯が巻かれている。
「なんだよ、それ」
そういう趣味はなかっただろ。
内心でそう突っ込みを入れながらも、それを声に載せることはない。
ミツキはマオの給料を巻き上げるし、掃除洗濯水汲み風呂の準備ととんでもなくこき使う極悪非道の元勇者だが、こういう悪ふざけはしたことはなかった。
「何があったんだ。目、見えてないのか?」
「心配しないでよ。一時のもんだから。明日には見えてるって」
ミツキ自身がなんでもないことのように言うので、本当に明日には元に戻っているのだろう。念のためコンラッドの方へ顔を向けると、彼はマオに頷いてみせた。
「ババアが年甲斐もなくどんな無茶したんだか」
「あんた、それ覚えておきなよ。出所したらタダじゃ済まさないから」
湿っぽくなるのがイヤで浴びせた罵倒はきっちり返される。
「んで、俺の釈放は?」
「マオ、お前自分が何したかわかってないのか」
答えたのはコンラッドで、こちらは目元に呆れが浮かんでいた。
「俺はやってねぇ。通り魔だ」
「そっちじゃない。紺碧門で大混乱を起こしただろ」
「……あ」
言われて、そういえばそんなこともあったな、とマオは思い出した。あのクソ聖騎士をからかうついでに人混みに紛れ込んで、それが燎原の火が広がるように騒ぎが大きくなった。
「あれはあの礼儀のない聖騎士が悪い。俺のせいじゃ――」
「マオ」
ミツキが諌めるように名前を呼んで止めた。それを不服に思いながらも、マオは言葉を止めて奥歯を噛みしめる。
「あんまり面会時間が取れなかったんだ。恨み言はちゃんと後で聞いてあげる」
ミツキでさえ面会時間が取れない。それほど聖騎士たちはマオの罪を重く考えているらしい。騒ぎを起こしたからと言って、どうしてそこまで厳重に扱われるのかマオにはわからないが。
「……なんで会いにきたんだよ」
「今頃寂しがってるんじゃないかなぁ、って」
言われた瞬間、まったく返しが見つからなかった。十七にもなって、寂しいなんて。そんなに子どもじゃない。
みるみるうちにマオの顔が赤くなる。目が見えていないくせに、ミツキはまるでその変化を見ているかのように笑った。
「図星だった?」
「んなわけあるか! むしろミツキがいなくて清々してたくらいだ!」
「うわぁ、可愛くない」
「うるせぇ!」
反抗的に喚くもミツキはきゃらきゃらと笑って、マオの苛立ちを煽る。
――本当に何しに来たんだ。暇潰しか。
そう思って、けれどそれはあながち間違いじゃないと気付く。
勇者として魔王討伐を成し遂げたミツキは大陸中の王侯貴族やイリシア聖教会の教皇から莫大な報奨金を得ている。働く必要がないから、常に暇を持て余しているのだ。
暇つぶしで、マオを嘲笑いに来たんだろうか。
そこまで考えて、いや、とマオはかぶりを振った。
ミツキは極悪非道だが、そういう性根の曲がったことが嫌いなのはよく知っている。
「ミツキ、そろそろ時間だ」
本当に面会時間が取れなかったんだろう。コンラッドが促している。
この分だと、本来なら面会すらできなかったところをミツキとコンラッドの権力で無理矢理押し通してきたのかもしれない。
「わかった。……ねえ、マオ」
「なんだよ」
行くならさっさと行けと言わんばかりにぶっきらぼうな返事をして、マオはもう一度ミツキの包帯を見た。
「ちょっとだけなら差し入れできるけど、何がいい?」
なんだ、それ。いつものミツキらしくない。
本来のミツキなら、マオが失敗のひとつでもすれば、それをからかって、場合によっては叱責なり命令なりが飛んでくるのに。
――もしかして、本当に俺に会いに来ただけか。
そういえば、紺碧門での騒ぎについてミツキは一言も言及していない。
無茶苦茶だ。いつもの軽口が飛んでこないから、こっちまで調子が狂う。
「……寒い」
だから、素直にそう口にした。
ほとんど陽光が届かない地下は湿っていて肌寒い。
「わかった。……タマ」
ぼう、と炎が上がる音がした。その刹那にミツキの右手から赤い成猫が飛び出して、マオの胸に飛び掛かる。
「うわっ」
無事に受け止めると、赤い猫は大人しくマオの腕の中に納まった。
「貸してあげる」
腕の中で「なぁん」と甘い声を上げるタマは温かい。これなら夜も難なく過ごせるだろう。
「ミツキ、お前さぁ……」
「いいじゃん、どうせ今夜はコンちゃんち、っていうかベティんち? に泊まるんだし、タマがいなくても大丈夫でしょ」
「はぁ……。タマを暴れさせるなよ。刑期が延びるどころか、お前まで投獄されるぞ」
「わかってるよ、そんな馬鹿じゃない」
マオがタマを寝台に移している間に大人たちは面倒くさそうな話を終えて、ミツキはコンラッドの二の腕を掴んだ。
「じゃあ、もう行くけど。タマに意地悪しないでよ?」
「わかってる」
じゃあな、とコンラッドの声に返事をせずに視線を下げれば、石廊下をふたり分の足音が遠退いていった。
「……、……ありがと」
してもらったことがうれしかったら、そう言うんだよ。
ミツキがそう言ってマオに教えた言葉を、マオは小さくつぶやく。――ミツキに届いたかはわからない。
言った端から恥ずかしくなって、マオは寝台へ俯きに倒れ込んだ。寝台は嫌な音を立てて軋むが、壊れることなくマオを受け入れた。
寝台が狭くなったことを抗議するようにタマが鳴くが、それも無視しているとしばらくして背中に温かな体重が乗った。今はその重さが心地良い。
――なんだこれ、俺は馬鹿か。
恥ずかしくなるなら、最初から言わなければ良かった。そう思うのに、どうしてだか口にしなければならない気がして。
――やめだ。
何とも言えない感情の波を、マオは処理できずに無視した。そうして、そのまま目を瞑ると甘やかな眠気が襲って来る。
昼寝のつもりで目を閉じて、そのまま次の朝まで眠ってしまった。
マオは起き掛けの頭でぼんやりと牢の中を見て、鉄格子の下に冷めたスープとパンが置かれていることに気付く。それで自分が一晩中眠ったことを悟ったのだ。
牢の外からいびきや寝息が聞こえてくる。他の囚人たちがそれぞれの牢で眠っているらしかった。
「俺、いつ出られるんだろ……」
牢獄の寝台は固く湿って、タマがいなければもっとしんどかったに違いない。見た限りでは、食事も期待できそうになかった。
――ライナスの飯が食いたい。
思い出すだけで涎が出る。
口の端を拭って、マオは寝台の上にいるはずのタマを探した。眠ってしまう直前までマオの背中に乗っていたが、目覚めるとそこに重さはなく。
マオの寝返りで場所を移したのか、寝台の足元に丸く膨らんだ掛け布があった。
「おい、タマ」
この猫は何を食べるんだったか。
そう思いながら布を引っ張ると、赤い猫がいた。それも二匹。
「は」
一匹はタマだ。けれど、もう一匹は子猫だった。小さいながらも、顔の造形はタマに似ている気がする。
いつから、紛れ込んでいたのか。昨日タマを受け取った時点では一匹だったはずだ。
「う、うまれた……?」
タマが生んだのか。それ以外に考えられない。
「た、タマ、起きろ」
訳がわからなくて、タマを起こそうと揺すると薄らと目を開けたタマがマオの指を噛んだ。
「いっ」
甘噛みではない。本気だ。一瞬だったので血は出てないが、肌に小さな噛み痕ができている。
「なにすんだ、このっ」
仕返しとばかりに眉間を親指でぐりぐりこすると、タマの前足に腕を掴まれた。そのあとは手を甘噛みされる。
――違う、ジャレたいわけじゃない!
我に返って手を引っ込めると、タマは起き上がって自分の前足を舐めた。そのまま前足で目元を擦っては舐めてを繰り返して顔を洗っている。
「こいつはなんだ。お前の子どもか?」
子猫を指差すが、タマは相変わらずでマオの話を聞いている風には見えない。
タマが妊娠してたなんて聞いてない。ミツキは何を考えているんだ。
頭が痛くなってきたような気がして額に両手をやると、マオ以外の囚人たちが起き出したような気配がしはじめた。この子猫をどうすべきか検討もつかないうちに牢屋番の聖騎士たちの声が聞こえ始める。
タマのことは、ミツキが話を通しているとして、こっちの子猫はどうする。正直に言うべきか。
悩んでいるうちに、廊下の奥の戸が開く音がした。その途端、のんびり顔を洗っていたタマが素早く動く。
「あっ!?」
マオがあっと言ううちにタマはするりと鉄格子を越えて走っていく。すぐに鉄格子に寄って廊下を覗くと、外へ続く扉に一直線に走っていくタマの後姿が見えた。
「……勘弁しろよ」
寝台に残され、安らかな寝息を立てる子猫に視線を戻しながら、マオは途方に暮れて呟いた。




