第十一節 忌まわしい鎖
すっと細められたベティの目がミツキに突き刺さっているのがわかる。ミツキ自身は見えていなくても、怒っている時の彼女はいつもそうだったからだ。美人な分、迫力が増す。目が見えていなくてよかった、と思えるくらいにベティは怖かった。
傍で見ていただけのライナスですら、その光景に緊張して無意識のうちに握りしめた手が汗でじっとりとしている。
ヒリつく空気を破ったのは、ロンドミア大聖堂から戻って来たコンラッドだった。彼は玄関を開けると同時に状況を悟って、深く息を吸う。
「ベティ、悪いが後にしてくれ」
「後とはいつでしょうか? この事件が解決してから? それとも、ミツキさんが完全に失明してからですか?」
「は? 失明って……。おい、ミツキ」
「いや、本当に失明したわけじゃないから。最低でも明日まで見えないってだけで」
失明と聞いて、コンラッドは慌ててミツキを見た。ミツキは彼の声に反応して顔を向けるが、視線が合っている気がしない。
「お前なぁ」
「ごめん」
素直に謝って後ろ頭を掻いた。
「それで、コンちゃんの方はどうだった?」
ベティの怒りはまだ冷めやらないが、あわよくばこれで気が逸れてくれないかな、とミツキは甘く考えながらコンラッドに話を振る。
「ミツキさん、あとで、ですよ」
後頭部に添えていた手に、温かな温度が重なる。そのまま手を取られて、ミツキの隣にベティが座った。
逃がさない、とでも言うようにしっかりと手を握られて、ミツキの背筋に冷たいものが走る。お説教はまだ続行されるようだ。
心配してくれるのは有難いが、少しいきすぎているような気もする。ミツキはゆるく笑いながら、それでもベティを諌めようとは思わなかった。
ミツキだってベティが同じようなことをすれば同じぐらい怒る自信がある。こんな風に本気で叱ってくれる友だちは、元の世界ですらいなかった。
ミツキがこっそり笑っているのを見たのか、手を握るベティの手に力が入る。なんでもない、とゆるゆるとかぶりを振って、ミツキはライナスがいるだろう方向へと首を向けた。
「ライナス、悪いけど、また」
「いや、その必要はねぇ」
同じようにライナスを他所へやろうとして、それをコンラッドが止める。
「お前も聞いといてくれ」
「僕もですか?」
「ああ」
コンラッドにどういう意図があるのか、目の見えないミツキは彼の表情を伺うことすらできない。けれど、いくらコンラッドでも考えなしにライナスを同席させることもないだろう。そういう危機管理は、三人の中でコンラッドが一番長けている。
「俺が得た情報は多くない。短剣の紋章は照合中で、一時マールベインの貴族のものだと出た噂も、今は緘口令が敷かれてんのか誰の口からも出てこねぇ。団長が裏で何やらやってるのかもわからん」
「下手に騒いだら国際問題になりかねませんからね」
「そういうこった」
「でも、短剣に紋章があったのは確かだよ」
クラウディオの死霊術の中で見た被害者の最後の記憶。その中で、確かにミツキは短剣の柄頭の装飾品に何かの紋章が入っているのを見た。
「落としていった短剣を見てないから、一件目と二件目の凶器が同じものとは限らないけど」
「ああ。俺もこっちは手詰まりだ。なにせ短剣は団長直下の連中が捜査中で、俺にすら見せてもらえなかった」
「怪しさ満点じゃん」
「だな」
同意して、コンラッドの気配がわずかに動く。
「んで、もうひとつ。被害者の共通点だ」
コンラッドは最初の被害者の遺体と、二番目の被害者に面会してきたと続けた。
被害者の年齢、職業、生活圏、友人関係に共通点はない。そもそも最初の被害者は白銅区の住人だが、二番目に至っては紺碧区で迷子になっていた巡礼者だ。聖都へもひとりで旅をしてきた。
「ただ、ふたりの髪が紫だった」
この大陸の主流の髪色は茶髪や金髪だが、紫髪は別段珍しいというわけではない。数自体そう多くはないが、聖都でもたまに見かけるくらいにはいる。
「ライナス、こっちへ来てくれ」
「は、はい」
呼ばれて、ライナスが竈の前から動く気配がした。
――あれ?
そこでミツキは違和感を覚えた。
音がする。
鎖が引きづられ、金属同士がじゃらじゃらとぶつかるような音が、わずかにする。本当に小さな音だった。人の話し声や足音にかき消されてしまうほど微かで、いつもなら到底気付けるものじゃない。
――そっか、目が見えないから。
人間は五感から何かを失えば、それを補うべく他の器官が徐々に鋭くなるらしい。以前にも体験したことがある。そのときも、ミツキの耳はよく冴えていた。
鎖の音。神経を逆なでする雑音のように聞こえる。
いったい、どこから鳴っているんだろう。耳を澄ませると、それが食卓の傍へ寄ってきたライナスの方から聞こえているように思えた。
「被害者はふたりともお前と同じ髪色、身長の男だった」
「僕と、同じ」
「犯人は外見の特徴で人を襲っているんですか」
「たぶんな。聖騎士団はその線で捜査および注意喚起を始めてる」
ミツキの耳に三人の声が届き、金属音が掻き消える。
そもそもこんな音を立てる鎖は居間にはなかったはずだ。
――ライナスが、鎖を持っている?
「お前も注意しろ。出来れば、ここから出るんじゃないぞ」
「ねぇ、ごめん。三人ともちょっと黙ってもらえる?」
「ミツキ?」
「いいから、コンちゃん。ちょっと間静かにしてて。ちゃんと説明するから」
緊張を孕んだミツキの固い声が三人を黙らせた。
不可解な鎖の音がどうしても引っかかる。普通なら聞こえない音。視力を失って、初めて聞こえた音。何かあるとミツキの勘が告げていた。
もう一度、ライナスの方へ耳を澄ませる。
「ライナス、ちょっと動いてみて」
「えっ、は、はい」
突然の指示にライナスは戸惑っているんだろう。コンラッドやベティはミツキの突飛な行動には慣れているが、彼はそうじゃない。
たどたどしい足音に衣擦れや呼吸音が重なって聞こえる。しゃら、と合間に異音が混じった。
上だ。座っているミツキより高い位置で音がする。
「ライナス、こっちへ」
言いながら、ミツキは立ち上がる。
ミツキの傍へと歩いてくる足音に伴う異音は、さらに上から聞こえた。
「頭」
そのあたりから、確かに音がした。
「ライナス、頭に鎖とか巻いてないよね?」
家を出る前にライナスの頭にそんなものはなかったし、そもそも頭に鎖を巻くなんて流行はない。目が見えないがための、一応の確認だった。
「はい。何もつけてませんけど」
「……じゃあ、これは」
物理的なものでないのなら。
「魔法?」
目に見えない鎖の魔法なんて、あっただろうか。
ミツキが首を傾げると、隣に立っていたベティの息を飲む音が聞こえた。
「ミツキさんの言う通りです。確かに何かかかってます。すごく弱いもの……、それがとても巧妙に隠されています……、私が言われるまで気付かないなんて」
「なんだって」
食卓の向かいからさらにコンラッドが立ち上がったのか、椅子が倒れる音が響く。
世界を救うほど優秀な修道女で、治癒術師のベティが気付けないような魔法。コンラッドが警戒するには十分な理由だった。
「染色の魔法でも使ってたの? ライナス」
染色の魔法は昔からよくあるもので、服や髪を一時的に別の色に変えることが出来る。誰でも行える簡単なものだが、魔法をかけている間中、少量とは言え魔力を消費し続けるのが欠点で。
他に魔力を使って生活する庶民の間では滅多に使われることはない贅沢な魔法だった。例外としても、金のある貴族なんかが道楽でその魔法を専門に使う召使を雇っている程度に収まる。
「いえ、僕の髪はもともと、この、い、ろ……っ」
「ライナスさん!」
ライナスの声が途中から呻きに変わる。
とっさに手を伸ばすと、すぐ傍にいる彼の腕を掴んだ。
「ライナス、気を強く持って」
掴んでいた腕は、痛むのか彼の頭へと伸びた。それを伝って彼の頭を触ると、柔らかな髪の間をミツキの指が梳くたびに鎖がこすれる嫌な音がする。
「弱いですけど、これは意識改変の――呪詛、です。染色と呪詛が二重にかけられています」
同じようにライナスの髪に触れたベティが即座に分析した。
「クソッ、ンなもん誰が」
「使える呪者なんてそういません。でも、それより解呪が先ですよ」
巧妙に隠されてはいるが、いかんせん、かけた呪詛自体は弱い。ベティにかかれば解呪は容易だった。彼女は「イリシアの言祝ぎ」を唱えてライナスに解呪を施し始める。
人の表皮に沿う細い魔力の流れにその呪詛は隠されていた。蚕糸のようにか細い鎖だ、とミツキは思う。彼女自身、それを指先で触ったのは初めてだった。
触れると同時に喉の奥に苦いものがこみ上げる。
誰が、何の目的でライナスにこんなものを仕掛けたのか。そして、彼自身にいったい何があったのか。
ベティはこの呪詛は弱いと判じた。それなら記憶を大幅に書き換えたり、洗脳してしまうようなものじゃないだろう。ライナスの反応から、彼の髪に関する意識改変が行われたのだと推測できる。
けれど、髪色を誤認させたからと言って、何ができるんだろう。ライナス自身が染色の魔法を無意識に使わされていたとして、そこを誤認させても、せいぜい彼自身の魔力を無駄に浪費させるだけだ。
――わからない。
考えても、どこに繋がるわけでもない。まったく無駄な呪詛のようにしか思えなかった。
「……はい、これで解けました」
解呪が終わり、ライナスの髪に触れてもあの不快な音はもうしなかった。
「ライナスさん、違和感などはありませんか?」
「いいえ、特には。まだ少し頭が痛いくらいです」
「もう呪詛は取り除けましたので、それはそのうち治まると思いますよ。他に記憶がおかしいとか、そういうのはどうです?」
「僕の髪は紫じゃない、ということくらいでしょうか。他には……、今は考え付きません」
「そうですか」
ライナスの声はやや沈みがちだが、体に異常はないらしい。それにほっとして、ミツキは再び椅子に腰を下ろした。
「コンちゃん、ライナスに席を譲ってくれない?」
「ああ、いいぜ」
向かいから椅子を起こす音がして、ライナスの足音がそちらへと動いた。
「すみません。ありがとうございます」
「いいって。それより、呪詛をかけられたときのことは覚えてるか?」
訊くべきことをさっそくコンラッドが質問し始める。ミツキは黙ってその答えに耳を澄ませた。
「いいえ。呪詛なんてものを受けた覚えはないんです」
「そうか」
「すみません」
ライナスの申し訳なさげな声が虚空に溶け消える。
呪詛。あるいは、呪い。そう聞くと、大抵は忌まわしいものを誰もが連想する。けれど、ライナスにかけられたのは「自分の髪の色を誤認する」という、なかなかに平和なものだ。わざわざ呪詛をする意味があるとは思えない。
「ねぇ、染色の魔法はライナスがしてたの?」
「いえ、違います。現に今も僕の魔力は使われていませんし」
些細な魔力浪費を目論む程度ならただの嫌がらせとも思えるが、彼の言葉から未だ頭は藤紫色らしい。
「誰かが、まだ染色の魔法を使い続けてる?」
「そのようですね」
ベティの声が鋭く割って入る。
「本当にわずかですが、ライナスさんにどなたかから魔力の線が繋がっています」
「追えるか?」
「……、……可能ですが、聖都は人が多すぎて繋がりを見極めるのに時間がかかるかと」
「そうか」
このわけのわからない呪詛の手掛かりを追うのとても面倒なようだ。マオだけで手いっぱいなので、今はそれに構っている時間はない。しかし、そちらも手詰まりだ。
「そう言えば、ライナスの生まれはエスファランだったよね」
行き詰った空気を切り替えるつもりで、ミツキはぼんやりとそんなことを口にした。
遠くエスファラン自治領から聖都へ。そこからイリシア聖教会の巡礼者も来ることもあるが、それにしても遠い国だ。魔王討伐の旅でも、ミツキがそこを訪れたのは後半だった。
「はい、そうです。エスファラン、ヘイズミールの里です」
「そこからここに来るまでって、どうしてたの? 旅費もすごくかかると思うんだけど」
「それなら、手持ちの路銀が尽きる前に、いろんなところで働いて工面してたんです」
「結構、苦労したんだね」
お金がないのなら働く。至極まっとうな答えだ。
自分の旅を思い出して、ミツキは渇いた笑みを浮かべた。
過去のミツキの旅では、基本的に金銭面を気にしなくてもよかった。路銀が乏しくても、各国のイリシア聖教会で勇者だと証明すればたいてい支援してもらえる。そもそも国を越えるごとにやれ魔物退治だ、やれ魔族退治だと常にその国の軍や地位のあるものの傍にいて、報奨金だのなんだのと手厚くもらっていたのだ。
ライナスのやりかたがこちらの世界の一人旅の基本だろう。目的地まで歩くか、あるいは乗合馬車を乗り継ぐ。お金が無くなったら、働く。最悪、信者ならイリシア聖教会へ行けば寝床と仕事の斡旋はあるので、よほどの事故でもなければ死ぬこともない。
そういう世界を、ミツキは取り戻したのだ。
「ミツキさん、もしかして、そういう基本的なことも聞かずにライナスさんを弟子に……?」
「えっ」
向かいから深いため息が聞こえた。おそらくコンラッドのものだろう。
「ええと、エスファランから来たって聞いて」
見えないのに、いや、見えていないからこそ、隣から凄まじい圧力を感じる。きっとベティは怒れる女神のような美しい笑みを浮かべているんだろう。
「その……、ミスリードかと思って」
紫髪に紫の瞳の間者に注意しろと言われた矢先に目の前に紫髪紫目のライナスが現れたので、てっきり。あからさまな誘導を回避した、と安堵すら持っていた。
おまけにマオの失態とライナスの美味しい料理が重なって、彼の細かな素性を問うことはすっかり失念してしまっていた。
「“ミスリード”とは何でしょうか? こちらの言葉でしっかり説明していただけますか」
「ひえぇ……」
説教を受けていたときより数割増しで怖い。いつものおっとりしたベティの口調が、今回ばかりは早口になってミツキを責め立てている。
泣きそうになりながらミツキはライナスが現れたときの状況を洗いざらい白状した。
「ミツキさん、ほんっとうに昔から変わりませんね。あまりに考えが足りなさすぎます」
「ごめんなさい」
謝る声は、最後はほとんど掠れるように消えた。
ちょっと世間話程度にしようとした話が、まさか眠れる獅子を起こすとは思わず、ひどい地雷を踏みぬいてしまった気分だ。
「僕も、話さずにすみません」
向かいのライナスも申し訳なさそうにしているのが、いっそうミツキを縮こまらせる。
「そう思うんなら、話してくれ。特に聖都に来る直前のあたりを」
「そうですね。それが呪詛の相手を特定する鍵になりそうですし」
マオの件は新情報もないので一時棚上げにして、ミツキたちはライナスの話を聞くことにした。
故郷のヘイズミールの里を出て、聖都に来る直前はヒース大公国の貴族の屋敷で働いていた、と彼は言った。
場所は、イリシア共和国の東に位置するヒース大公国、そのさらに東の隣国との玄関。その地方領主であるオルステッド伯爵の屋敷だという。
もっとも、伯爵自身は首都にいて、その屋敷に住んでいたのは伯爵の息子夫婦だった。領地の実質的な統治はこの息子、ヘイデン・オルステッド伯爵の仕事で、領民に慕われる良い領主だと評判の男である。
ヘイデン夫妻は敬虔なイリシア教徒でもあり、聖教会の斡旋でライナスを雇い入れた。そこで庭師の手伝いをしながら路銀を貯めていたという。
「そう言えば、髪の色が変わったのはここでした」
呪詛の影響か、いつ変わったのかまでは覚えていない。染色に対する周りの反応もまったく思い出せなかった。
「その当時は呪詛が新しかった分、よく効いたんでしょうね。それに、誰も呪詛を見抜けなかったんですから、無理もありません。もしくは、周りの方々全員に何らかの暗示か呪詛がかけられていたのかもしれません」
「やっぱり新しいと違うの?」
「違います。長く呪詛をかけるつもりなら、よほど強いものにするか、あるいは定期的にかけ直す必要がありますから」
今回ミツキに指摘されてライナスに頭痛が起こったのも、呪詛が古くなって綻びが生じていたからだろう、とベティは推測する。
「それで……、ああ、そうです。お金が十分貯まって屋敷を辞したときに、家令様に手紙を頼まれたんです」
この世界に郵便局はない。代わりに、個人的な手紙のやり取りはミツキの使った黒鳩よりも安全面は劣るが簡単な伝書鳩を作る魔法がある。
その魔法が使えなければ、使える人間に依頼するか、あるいは本物の伝書鳩を使うのがこちらでの一般的な文通の方法だ。
「魔法か、伝書鳩じゃなくて?」
「はい。お屋敷で二ヶ月ほど働かせていただいたのですが、家令様にはよくしていただいてたんです。手紙を頼まれるなんて、僕のことを信頼してくださったのかと思って。それに恩返しになりますし」
「貴族の家令が魔法を使わず手紙を、ねぇ」
個人的なやり取りにしても、人を雇えるだろう。だいたい伯爵の屋敷なら魔法を使える人材なりがいるはずだ。
――きな臭い。
視力に頼れないせいか、今日はミツキの鼻もよく利くらしい。
「ライナス、その手紙、どこへ持ってったのか詳しく話してくれ」
「はい。宛先はマールベインのマキュアス侯爵の家令様です。おふたりは古いご友人だと聞きました」
「んー、それ、黒じゃない?」
他国の貴族の家令同士で文通。古い友人だと言うが、ライナスに真偽は確かめられない。
「本当にご友人同士の文通という線は消えてませんよ?」
「いや、それなら魔法なり鳩なり使えばいいでしょ」
ただの他愛ない手紙なら。魔法であれ、本物の伝書鳩であれ、もし他人に奪われても大事はないはず。そうでないなら、わざわざ人を使わなければならなかった理由があるに違いない。
「大事なモンを、二ヶ月働いたライナスに託すか?」
「じゃあ、託されたのは手紙だけじゃないんじゃない?」
「いえ、手紙以外はお預かりしませんでした。それに、どちらの家令様も僕に良くしてくださいましたし、疑うなんて……、そんな……」
そう言うが、ライナスの声はだんだん自信なさげにしぼんでいく。
「……運んだのは、手紙ではなく呪詛という可能性はありませんか」
呪詛と一口に言っても、その種類は魔法と一緒で様々だ。髪色を誤認させる、なんてものから、人の心を変えさせ、あるいは呪い殺すものまで。
魔法と違って、呪詛は人間にしか効かず、けれど人に対しては絶大な効力を誇る。その代り、呪者への反動も強いということだった。場合によっては反動で呪者が死ぬこともある。呪詛による暗殺が続いたために、厳しく取り締まっている国も少なくない。
「あるね。少なくとも私が視力を失くすまで呪詛を隠し通せるやつがいるんだし。マキュアス侯爵邸まで呪詛を運ばされていてもおかしくない」
呪詛を仕掛ける方法は様々で、ライナスがされたように体に魔力を付着させるものから、物を媒体にして持ち主に害を及ぼすまで。とにかく、やりようはいくらでもある。
「手紙の中身って、見てないんだよね?」
「はい。まさかそんなことになるなんて思ってもみなませんでしたから」
ライナスが運んだ手紙の中に呪詛になるものが紛れていてもおかしくはない。
「……なぁ、今、思い出したんだが」
聞こえたコンラッドの声は心なしか気まずそうな響きを持っていた。
「マキュアス侯爵って、あれだな、屋敷を爆破されたやつだ」
「は?」
「昨日、話しただろ。マールベインに入り込んでたヒースの間者の話だ。間者が逃げる際に領主の屋敷の一部を爆破して、村一つ焼いて逃亡したって」
「えー……、いやいや、なんでそこに繋がるの?」
「紫髪紫目の間者だぞ。しかもライナスが侯爵邸に行ったってのと日付も近い」
目が見えなくてもわかる。今、確実にコンラッドとベティは一縷の隙もなくライナスに対して警戒を抱いているのだと。
「あの、火事の話は聞きましたけど、僕がマキュアス侯爵邸をお暇した二日後のことです。それに、そのころはマールベイン王国とイリシア共和国の国境沿いの町にいました」
「ほら! こんな良い子が間者なわけないって! むしろこの紫髪だって、ライナスに罪を被せるためにやられたやつかもよ!?」
「本人からの証言はアテにならん」
「ミツキさん、残念ですが」
どうやら、ふたりの気持ちは変わらないらしい。
このままだと、ミスリードだと思わせる罠にミツキはまんまと引っかかったことになる。
「違います。僕はそんなひどいことしてません。信じてください!」
果たして、ライナスがふたりの言うような非道な間者だろうか。マオにいいように使われた、彼が。
「……じゃあ、こうしよう」
違う、とミツキは思う。彼のことはまだほとんど何もわかっていない。
勇者に憧れて、弟子入りしたくて遠い故郷からここまで苦労を重ねて旅をしてきた少年。それが真実かどうかもわからないくせに。アレクシスのように、綺麗な顔とは裏腹に汚い側面があるかもしれない。
――でも、そのときはそのときだ。
無暗に信じるわけじゃない。裏切られたら、裏切られたとわかったときに考える。今までそうして、裏切ったやつらは叩きのめしてきた。
結局、勇者とは野蛮な人間でしかない。相手が魔族かそうでないかだけで、どちらに拳を振り落とすかはミツキが決める。
「マールベインの王様とマキュアス侯爵、ヒースの大公様とオルステッド伯爵をイリシアに呼んじゃおう」
「……は?」
「どういうことですか」
きっとふたり、いや、ライナスを入れた三人は目を丸くして面白い顔をしているに違いない。それが拝めないのを残念に思いながらミツキは軽く笑う。
「いやいや、なんで呼びつけるんだよ。そもそも両国の王をどうやって」
「教皇サマにおねだりしたら一発でしょ」
「はァ!?」
「っていうかね、間者がどうのこうのとかあった以上、両国で睨み合いなり小競り合いなりが始まるのは必須だし。なら、今のうちから呼びつけて釘を刺しとけばいいじゃない」
両国が争えば、間に挟まれるイリシア共和国は確実に迷惑をこうむる。街道の警護は増やさなければならないし、両国とイリシアとの入出国手続きが無駄に煩雑化するのも目に見えた。聖都側としてもそれは遠慮願いたいはずだ。
そして、ミツキは勇者だ。イリシア聖教会の教皇もその願いは無碍にできない。平和を求める提案ならなおさら。
「手に入れたコネは最大限に使う。私の邪魔をするものがあるなら、絶対に許さない」
脳裏に浮かぶのは、ほほ笑みを絶やさないアレクシスの顔だった。
「ぎゃふんって言わせてやる」
もしくは三回まわってワン、だ。
「……ぎゃふん、ってなんだ?」
「さあ。あちらの世界の何か屈辱的な言葉だとは思えますけど」
困惑する面々を尻目に、ミツキは意気揚々と立ち上がると玄関へ向かおうとして、机の脚に引っかかってこけた。




