第3部 一枚のイラスト
「なあ、これ、何に見える?」
振り返ると、直人が描きかけの一枚の絵をこちらへ向けていた。
紙の中央に、丸みを帯びた三角形のようなものが描かれている。下からは細い線が何本も伸びていた。
「クラゲ?」
湊が答えると、直人は首を横に振った。
「じゃあ、キノコ」
「違う」
「宇宙人の頭」
「どう見たらそうなるんだよ」
直人は笑いながら、三角形の上に何本か線を加えた。次に、下へ伸びていた線の一本を長くし、その先を曲げる。
そこで湊は気づいた。
「傘か」
「正解」
完成した絵には、強い風にあおられて裏返った傘が描かれていた。最初にクラゲの足だと思った線は、折れ曲がった傘の骨だった。
「分かりにくいだろ」
直人は自分の絵を見下ろした。
「途中まで描いたところで失敗したと思ったんだけど、消すのも面倒でさ」
「もう一回やってくれ」
「何を?」
「別の絵。途中で止めながら描いて」
直人は不思議そうな顔をしたが、ノートの新しいページを開いた。
最初に、縦へ長い二本の線を描く。
「電柱」
「違う」
線の上に小さな丸が加わった。
「信号機」
「違う」
二本の線の間に、いくつもの短い横線が引かれていく。
「はしご」
「正解」
湊は机をたたいて立ち上がった。
「これだ」
「何が?」
「俺たちが作るゲームだよ」
直人は、描きかけのはしごと湊の顔を見比べた。
「絵を描くゲーム?」
「絵が少しずつ完成していくんだ。分かったら早押しする。早く当てるほど高得点になる」
湊は、消したままになっていたホワイトボードへ駆け寄った。
中央に簡単な画面を描く。上には描きかけのイラスト。その下には、四つの英単語を並べた。
「最初から英単語の選択肢を出しておく。さっきの傘なら、umbrella、mushroom、jellyfish、balloon」
「答えはどうするんだ?」
「分かった人が自分のボタンを押す。最初に押した人だけが、選択肢から答えを選べる。正解なら得点。間違えたら、その問題にはもう答えられない」
「声で答えるんじゃないんだな」
「声だと発音の判定が必要になるし、周りがうるさい場所では遊べないからな。画面で選ぶだけなら簡単だ」
直人はホワイトボードを見つめた。
「でも、これだけでゲームになるのか?」
「分からない。だから試す」
湊はスマートフォンを取り出し、止まっていた六人のグループにメッセージを送った。
『明日の放課後、全員集合。作るゲームを決めた』
最初に返信したのは陽斗だった。
『今度こそ本当に?』
湊はすぐに返した。
『本当に一つだけ』
翌日の放課後、六人は久しぶりに視聴覚室へ集まった。
橘は席に着こうともせず、鞄を肩にかけたまま尋ねた。
「一つに決めたんだろうな」
「ああ」
湊はホワイトボードに描いた画面を見せた。
「イラストから英単語を当てる早押しゲームだ」
玲が四つの選択肢を読む。
「絵を見て、合っている英単語を選ぶだけか?」
「ただし、絵は最初から全部見せない。少しずつ表示していく。早い段階で分かってボタンを押した方が高い点を取れる」
湊は直人に合図した。
直人は、五枚の紙を裏返して机に並べた。同じ絵を、描き進めた段階ごとに五枚用意していた。
一枚目には、小さな茶色の曲線だけが描かれている。
選択肢は、次の四つだった。
「snake、belt、river、banana」
響が読み上げる。
直人が二枚目をめくった。曲線が少し長くなり、先端に小さな丸が加わる。
「分かった」
陽斗が机をたたいた。
「snake」
直人が最後の紙をめくる。そこには、とぐろを巻いた蛇が描かれていた。
「正解。まだ二枚目だから四点」
湊が言うと、陽斗は得意そうに笑った。
「簡単すぎるな」
「じゃあ次」
二問目の最初の紙には、細長い灰色の四角形が一本だけ描かれていた。
選択肢は、train、pencil、bridge、knife。
「pencil」
玲がすぐに答えた。
直人が二枚目をめくる。灰色の四角形の下に、太い柱が加わった。
「違う、bridgeだ」
陽斗が言う。
最後の紙に描かれていたのは、川に架かる大きな橋だった。
「玲は間違えたから、この問題は失格」
「一枚目だけなら鉛筆にも見えるだろ」
「だから早く押せばいいとは限らない」
湊はそう言いながら、自分でも初めてそのことに気づいた。
早い段階で答えれば、高い得点を取れる。しかし、情報が少ないため間違える危険も大きい。確実に分かるまで待てば正解しやすいが、その間にほかの人に押されてしまう。
英語だけではなく、相手がいつ押すかを読む必要もある。
三問目が始まるころには、全員が机へ身を乗り出していた。
直人が一枚目をめくる。
赤い三角形が一つ。
「まだ分からないな」と響が言う。
二枚目。三角形の下に、細い緑色の線が加わる。
陽斗が机をたたきかけ、途中で手を止めた。
三枚目。赤い部分に小さな黒い点が現れる。
「watermelon!」
響が机をたたいた。
「いや、strawberryだ」
玲もほぼ同時に手を伸ばした。
「先に押したのは響」
直人が最後の紙をめくる。
赤い実の上に緑色の葉がついた、イチゴの絵だった。
「strawberry。響は不正解」
「問題にwatermelonも入っているのがいやらしいな」
響が悔しそうに椅子へもたれる。その横で、玲が小さく拳を握った。
橘だけはゲームに参加せず、紙とホワイトボードを交互に見ていた。
「絵は何段階で表示する?」
「今は五段階だけど、六段階くらいでもいいと思う」
「一段階ごとの時間は?」
「二秒」
「早押ししたあとは?」
「絵を止めて、押した人に五秒だけ答える時間を与える。正解なら終了。間違えたら、その人を回答できなくして、続きから再開する」
湊が答えるたび、橘は少し考えてから次の質問をした。
「点数は?」
「一段階目なら六点。二段階目なら五点。最後まで待ったら一点」
「同時に押した場合は?」
「先に入力された方」
「遊ぶ人数は?」
「二人から六人。最初は一台のパソコンで、人数分のキーを早押しボタンにする」
橘はそこで質問を止めた。
「それなら作れる」
湊は一瞬、言葉の意味を理解できなかった。
「本当か?」
「絵を段階ごとに切り替えて、最初に押されたキーを判定する。昨日までの企画よりは、ずっと簡単だ」
「キャラクターの育成は?」
直人が尋ねた。
湊は答える前に迷った。
直人が何日もかけて描いたキャラクターだった。できれば使いたかった。しかし、それを残せば、また前と同じことになる。
「入れない」
直人は自分のスケッチブックを見た。
「オンライン対戦は?」と陽斗が聞く。
「入れない」
「ランキングは?」
「入れない」
「リスニングは?」と響が続ける。
「入れない。音は正解音と不正解音だけにする」
最後に玲が尋ねた。
「スペルを入力する問題は?」
湊は首を横に振った。
「作るのは、イラストから英単語を当てる早押しゲームだけだ」
誰もすぐには賛成しなかった。
これまで作ったものの多くが使えなくなる。玲が作った百問も、直人の育成キャラクターも、響の長い音楽も、陽斗が考えたオンライン大会の紹介も捨てなければならない。
それでも橘は、初めて自分からノートパソコンを開いた。
「一週間で、遊べる形にはできる」
「問題は何問いる?」
玲が聞いた。
「まず十問」
「十問だけ?」
「十問が動かなければ、百問あっても意味がない」
玲はしばらく考え、教科書を開いた。
「分かった。絵にしやすくて、間違えやすい選択肢を作れる単語を探す」
響もヘッドホンを取り出した。
「正解音と不正解音だけなら、今日中にできる」
陽斗はホワイトボードの前に立つと、赤いマーカーを手に取った。
「本当に、ほかの機能は全部消すんだな」
湊はうなずいた。
陽斗は、オンライン対戦、ランキング、育成、リスニング、スペル入力という文字を一つずつ消していった。
最後に残ったのは、中央に描かれた一枚のイラストと、その下に並ぶ四つの英単語だけだった。
その小さな画面の上に、湊は改めて題名を書いた。
『WORD RUSH』
今度は、誰もその名前を笑わなかった。




