第2部 作れないゲーム
橘が出ていったあとも、五人はしばらく動けなかった。
ホワイトボードを横切る赤いバツ印が、先ほどまでの盛り上がりを冷やしていた。
「感じ悪いな、あいつ」
陽斗が最初に口を開いた。
「でも、言っていることは正しい」
玲は募集要項を机に置いた。
「オンライン対戦だけでも簡単には作れない。そこに育成やリスニングまで入れるのは無理だろ」
「六人も集まったのに、最初から諦めるのかよ」
湊は赤いマーカーを手に取ると、ホワイトボードのバツ印を消し始めた。赤い線は完全には消えず、薄い跡となって残った。
「全部を一度に作るから無理なんだ。分担すればいい。橘には基本のゲームを作ってもらって、俺たちは素材を用意する」
「橘、もう帰ったけど」
響が扉を見る。
「明日、連れ戻す」
翌日の昼休み、湊はコンピューター室で橘を見つけた。
橘は一番奥の席で、画面いっぱいに並んだ文字を見ていた。湊には、それが何のための文字なのか一行も分からなかった。
「昨日のことなんだけど」
「一つに決まったのか?」
「大体は」
橘が振り返る。
「大体?」
湊は自分で作った企画書を机に置いた。
表紙には『WORD RUSH開発計画』と書いてある。その下には小さな文字で、「四択・スペル・リスニング・育成・オンライン対応予定」と並べていた。
橘は企画書を閉じた。
「何も減ってない」
「分担することにしたんだ。お前はゲームの土台だけ作ってくれればいい。問題は玲、絵は直人、音は響がやる。陽斗は宣伝。俺が全体をまとめる」
「一番何もしないやつが全体をまとめるのか」
「問題のアイデアも考える」
橘はしばらく黙っていた。
湊は机に両手をついた。
「頼む。一週間だけでいい。やってみて、本当に無理だったら減らすから」
「一週間で無理だと分かる時間が無駄だ」
「やらないまま終わるよりいい」
橘はため息をついた。
「四択問題だけだ。それ以外は作らない」
「分かった」
湊は即答した。
「本当に分かっているのか?」
「もちろん」
その日の放課後、六人は再び視聴覚室に集まった。
橘が戻ってきたことで、開発はようやく始まった。
玲は教科書と単語帳を机に積み、四択問題を作った。正解だけでなく、間違いの選択肢にも意味の近い単語を入れた。
「appleの意味を聞いて、選択肢が『リンゴ、机、走る、青い』では簡単すぎる。最低でも果物でそろえた方がいい」
「最初は簡単な方がよくないか?」
湊がのぞき込む。
「簡単なのと、適当なのは違う」
直人は育成用のキャラクターを描き始めた。
丸い卵から足が生え、単語を覚えるたびに鳥のような生き物へ成長していく。進化後の姿だけで五種類あり、それぞれに表情の違いもあった。
響はヘッドホンをつけ、正解音を作っていた。
最初に作った音を聞かせると、玲が首を振った。
「不正解に聞こえる」
「じゃあ、これは?」
電子音が高く鳴る。
「電子レンジみたいだな」と陽斗が言った。
「注文が多いな」
そう言いながらも、響はすぐに作り直した。
陽斗は、ゲームがまだ動いていないうちから紹介動画の構成を考えていた。
「最初に『英単語の勉強、つまらなくないですか?』って出す。次にゲーム画面を見せて、『勉強が対戦に変わる』って入れる」
「見せるゲーム画面がまだないけど」
「先に宣伝の形を作れば、必要な画面も分かるだろ」
それぞれの作業は進んでいた。
ただし、それらを一つにする作業だけは進んでいなかった。
一週間後、橘が最初の試作品を見せた。
画面の中央に英単語が表示され、その下に四つの選択肢が並ぶ。正しい意味を選ぶと得点が入り、次の問題へ進む。背景は白一色で、音も絵もなかった。
「これだけ?」
湊は思わず言った。
橘の目が細くなる。
「これだけだ」
「いや、悪いって意味じゃなくて……キャラクターは?」
「頼まれていない」
直人がスケッチブックを開いた。
「画像はもうできてる。卵の状態と、進化が三段階。それから走る動きも——」
「どこで進化する?」
橘に聞かれ、直人は黙った。
「十問正解したら、とかじゃないか?」
湊が答える。
「連続で十問か、合計で十問か。間違えたら減るのか。ゲームを閉じても記録を残すのか」
「そこは、いい感じに」
「プログラムに『いい感じ』という命令はない」
今度は響が、完成した音を再生した。
短く鋭い正解音のあとに、明るい音楽が流れ始める。
「正解するたびにこれを流したい。連続正解で楽器が増えるようにしてる」
「次の問題は、いつ表示する?」
橘が尋ねた。
「音が終わったあと」
「毎回答えたあとに五秒待つのか?」
「じゃあ、音楽を流しながら次の問題を出せばいいだろ」
「問題を考える音と重ならないか?」
誰も答えられなかった。
玲が作った問題にも問題があった。
同じ英単語に複数の意味があり、選択肢によっては正解が二つ存在した。教科書に載っている意味だけを正解にするのか、一般的な意味も認めるのか。それすら決まっていなかった。
「だから最初にルールを決めろと言った」
橘は椅子にもたれた。
「今決めればいいじゃないか」
湊は言った。
「じゃあ決めろ。これは四択ゲームなのか、育成ゲームなのか、リスニングゲームなのか」
「全部だよ」
「全部と言うのは、何も決めていないのと同じだ」
その言葉に、湊も黙っていられなくなった。
「お前は無理としか言わないよな。こっちはみんな、ちゃんと作ってるんだぞ」
「作ったものを並べても、ゲームにはならない」
「なら、お前がつなげればいいだろ。プログラム担当なんだから」
視聴覚室が静かになった。
橘は何も言わず、ノートパソコンの画面を湊の方へ向けた。
そこには、湊には読めない文字が何百行も並んでいた。
「四択問題を出して、答えを判定して、得点を表示する。これだけでも全部つなげて作ってある」
橘は直人の絵を指さした。
「育成を入れるなら、成長条件と記録方法が必要になる。響の音を入れるなら、どの場面で何秒流すか決める必要がある。オンライン対戦なら、そもそも今の仕組みから作り直しだ」
「だから、それを六人で考えれば——」
「考えると言って、一週間で一つも決めなかっただろ」
橘の声は大きくなかった。それでも、湊には言い返せなかった。
机の上には、玲が作った百問分の問題がある。直人が描いたキャラクターも、響が作った音楽もある。陽斗の紹介動画には、完成後の『WORD RUSH』が派手に動く場面まで描かれている。
それなのに、実際に遊べるのは、白い画面に四択問題が出るだけの試作品だった。
締め切りまで、あと一か月。
「一度、全部止めよう」
橘が言った。
「何を作るのか決まるまで、俺は続きを作らない」
今度は誰も引き止めなかった。
その日から、視聴覚室に集まる人数は少しずつ減っていった。
玲は問題集を持ってこなくなった。響は軽音楽部の練習へ戻り、陽斗も文化祭の会議を理由に顔を出さなくなった。直人だけは、ときどき窓際の席で絵を描いていたが、それがゲームに使われることはなかった。
湊は毎日、放課後の視聴覚室へ行った。
ノートパソコンで試作品を開き、同じ四択問題を繰り返す。正解しても音は鳴らず、画面の隅に得点が増えるだけだった。
これでは、自分が嫌いだった単語テストと何も変わらない。
ある日、湊が試作品を閉じると、後ろから直人の声がした。
「なあ、これ、何に見える?」
振り返ると、直人が描きかけの一枚の絵をこちらへ向けていた。




