第1部 放課後の企画
「朝倉。また三十二点か」
返された答案を見て、朝倉湊は机に突っ伏した。
三十二点満点ならよかったが、残念ながら百点満点だった。赤い数字の周囲には、スペルの間違いを示す丸や線が並んでいる。
単語テストの前には、ちゃんと勉強した。前日の夜、単語帳を何度も読み、紙に書き、覚えたはずだった。しかし、テストが始まると頭の中から英単語だけがきれいに消えてしまった。
「ゲームのアイテム名なら、一回見ただけで覚えられるのにな」
湊がつぶやくと、前の席にいた相馬玲が振り返った。
「ゲームは何時間でもやるからだろ。英単語も同じくらいやれば覚える」
「それができないから困ってんだよ」
玲の答案には九十六点と書かれていた。間違えた一問も、複数の意味を持つ単語について先生と議論している。湊には、同じ授業を受けている人間とは思えなかった。
教壇では、英語教師が答案を返し終え、そのまま連絡事項を話し始めた。
「来月、高校生デジタル作品コンテストの校内選考があります。アプリでも映像でもゲームでも構いません。興味のある人は、廊下に募集要項を貼っているので確認してください」
湊は顔を上げた。
「ゲームでもいいの?」
教師が面倒そうに眼鏡を持ち上げる。
「いいと言っただろう。ただし、遊ぶだけではなく作る側だぞ」
教室に笑いが起きた。
湊も笑ったが、その言葉だけは頭に残った。
ゲームなら、何時間やっても苦にならない。負ければ悔しくてもう一度挑戦するし、知らなかったルールも遊んでいるうちに覚えられる。
それなら、英単語もゲームにしてしまえばいい。
放課後、湊は廊下に貼られた募集要項の前に立っていた。
応募は二人以上のチーム制。校内選考を通過すれば、全国大会へ進める。締め切りは二か月後。審査項目には「独創性」「完成度」「教育的効果」と書かれていた。
教育的効果という言葉はよく分からなかったが、英語ゲームなら条件に合いそうだった。
問題は、湊にはゲームの作り方が分からないことだった。
翌日の放課後、湊は使われていない視聴覚室に五人の男子生徒を集めた。
「俺たちで英語ゲームを作る」
湊が宣言しても、拍手は起こらなかった。
「帰っていいか」
窓際の席に座った橘克一が、ノートパソコンを閉じようとした。
「待て待て。橘が帰ったら誰がプログラムするんだよ」
「引き受けた覚えはない」
橘はコンピューター部に所属しており、一人で簡単なゲームを作ったこともある。無口で愛想はないが、湊が知る中では最も頼りになる人間だった。
その隣では、玲が募集要項を読んでいた。
「英語ゲームと言っても、どんなゲームにするんだ?」
「それを今から決める」
「決めてから人を呼べよ」
正論だったので、湊は聞こえなかったことにした。
後ろの席では、藤代直人が話を聞きながらノートに絵を描いている。教師の似顔絵だった。小さく描かれているのに、誰なのか一目で分かる。
宮原響は机を指でたたき、勝手にリズムを刻んでいた。軽音楽部でキーボードを担当しており、作曲用のソフトも使える。
最後の一人、黒瀬陽斗だけは、湊の話を面白そうに聞いていた。
「全国大会まで行けば、学校のホームページにも載るよな。動画を作ってSNSに出せば、校内選考の前から話題にできるかもしれない」
「まだ何も作ってないけど」
「だから今から作るんだろ」
陽斗は人前で話すのが得意だった。文化祭では司会を務め、知らない教師にも平気で企画を持ち込む。湊は、コンテストで発表するなら陽斗が必要になると思っていた。
湊はホワイトボードの中央に、大きく書いた。
『WORD RUSH』
「これがゲームの名前だ」
「もう決めたのか?」
玲が尋ねる。
「昨日、風呂で考えた。英単語をどんどん答えていくゲーム。素早く答えた方が勝ち」
「具体的には?」
「それを今から決める」
「やっぱり何も決まってないじゃないか」
それでも、六人は少しずつ案を出し始めた。
「普通に四択問題でいいんじゃないか」と玲が言った。
「それだけだと地味だろ。オンラインで全国の人と対戦できるようにしよう」と陽斗が加える。
響が机をたたく手を止めた。
「音を聞いて答えるモードも欲しいな。発音を流して、意味を当てるやつ」
「スペルを入力するモードも必要だろ。四択だけでは覚えたことにならない」
玲が新しい案をホワイトボードに書き足した。
直人も顔を上げる。
「正解するたびにキャラクターが成長するのは? 最初は卵で、英単語を覚えると生き物になる」
「いいな、それ!」
湊はすぐに食いついた。
「ステージも作ろう。学校とか町とか宇宙とか。ボスを倒したら新しい単語が解放される」
「ランキングも必要だな」と陽斗が言う。「毎週順位を更新すれば、何度も遊んでもらえる」
「問題を自動で出してくれる機能も作れないか? 教科書を読み込んで、その範囲から問題を作るとか」
六人の声が重なり始めた。
橘だけが黙っていた。
ホワイトボードには、四択問題、リスニング、スペル入力、オンライン対戦、ランキング、キャラクター育成、ストーリーモード、問題自動生成と、次々に新しい機能が並んでいく。
湊は胸が高鳴っていた。
頭の中では、すでに完成したゲームが動いていた。全国の高校生が同時に対戦し、正解するたびに派手な音が鳴る。育てたキャラクターを使って大会に参加し、英語が苦手な人まで夢中になって遊んでいる。
「これ、本当に二か月で作るのか?」
響の問いに、湊は迷わず答えた。
「六人もいるんだ。余裕だろ」
その瞬間、橘が立ち上がった。
橘はホワイトボードの前まで歩き、書かれている機能を上から下まで確認した。そして、赤いマーカーを手に取る。
大きなバツ印が、すべての案を横切った。
「無理だ」
さっきまで騒がしかった視聴覚室が静まり返る。
「まだ始めてもいないだろ」
湊が言うと、橘は赤いマーカーを置いた。
「だから分かる。お前たちが考えているのは、六人で作る高校生の作品じゃない。何十人もの会社員が、何年もかけて作るゲームだ」
「でも、できるところから作れば——」
「どこから作るんだ?」
湊はホワイトボードを見た。
どの機能も面白そうだった。だからこそ、どれから始めればいいのか分からなかった。
「まず一つに決めろ」
橘はそう言って、ノートパソコンを抱えた。
「それが決まるまで、俺は何も作らない」
視聴覚室の扉が閉まる。
ホワイトボードには、湊たちが考えた夢のような機能と、それを横切る大きな赤いバツ印だけが残されていた。




