ⅵ
翌日、グレアスは酷い二日酔いに見舞われていた。アーロンは手巻きタバコをくわえながら、よれたワイシャツの皺をのばしていた。
「水だ、水だ……いやワインだ……ビールでも良い。くそっ、頭の中でシンバルが鳴りやがってやまねえ」
頭を押さえながら空いた腕はシーツを引っつかんではこねくりまわし、時にはベッドを叩き、げっぷを吐いた。昨日は明らかに飲み過ぎていた。グレアスはピッチャーのほとんどを彼一人で飲み干し、ワインも2瓶開けていた。飲み終わったのは午前4時のことで、それから寝たのは今から3時間前。酔いなど覚めるはずもなく、むしろこれからが正念場と言った有様だった。先が思いやられる酒癖の悪さだった。アーロンはベッドから落っこちたタオルケットをグレアスにかけ直し、水割りワインを取ってきますと言うと階下にいった。旅籠の主人は留守で、代わりに若い女が控えていた。
「水割りワインを頂けますかね。酔い冷ましなので、安い奴で良いですから」
「ああ、お連れの方にですね(と言いながら微笑むのを目にして、私は少し安心した。この人は善良な市民だ)。あの方は昨夜たいへんのんでらしたものね。少々お待ちくださいな、酔い冷ましに良いハーブティーもご用意いたしましょう」
寛容な器の持ち主だった。女はすぐに調理場にゆくと、十分ぐらいで、薄められた白ワインとティーポット、空のティーカップが載った盆を抱えて戻ってきた。
「また何かありましたらご遠慮なくお申し付けくださいね」
人の優しさに触れたのは久々だったので、アーロンはへどもどしながら目札して、盆を受け取り部屋に戻った。グレアスは再び眠りこけていたので、机に置かれたメモ帳の1枚を破って、夕方まで外出する手紙を書き、水割りワインの入ったガラス瓶の下に挟み込んで再び階下にいった。
まだ女中が居た。
「あら、これからお出かけですか?」
「夕方まで、所用を済ませてきます」
「お連れの方は?」
「また眠ってしまったようですから、そのまま寝かせておいてください。ああ、それと今日もこちらに泊まりますので、前払いを」
アーロンが支払いをしようとすると、女は帰ってきてからで良いといった。二三度譲り合い、最後にはそう言ってくれるのならと好意に甘えることにした。
「行ってらっしゃいませ」
旅籠から出ると、まずは街を歩く幾人から聞き込みをした。
金は昨晩、グレアスから今日一日街を歩いて情報収集するのには十分な額を貰っていたが、いつまでも食い扶持を他人任せにしている訳にもいかなかった。近隣に一件、骨董店があることを町人から聞きつけると、まずはそこに顔を出すことにした。目利きに格別自信があるわけでは無かったものの、ある程度のまとまった金額を手にするには物を転がすのが1番だと父親が言っていたのを、幼い頃聞いていたのを思い出したのだった。十になる前に流行病で病床に臥せってそのまま鬼籍に入ったので、彼がもっている父親の記憶はそう多くない。生前の父親がどんな人物だったかについての多くは、根っからの商人気質だったことや、商売がその割に下手だったことなどを、母から笑いながら話されたものだ。
<あれは人が良すぎるのよ。肝心なところで折れちまうから、いっつも旨い蜜は吸いきれず、酸っぱいものばっかり舐めさせられたもんさ。けどまあ、そういう所に惚れてしまったんだから、私も似たようなもんかもしれないね>
大きな声をあげて笑った後は、決まって少し淋しそうな顔をするのが、その話をするときの母のようすだった。アーロンがその話を聞くのは、決まって眠れない日の夜遅くだった。彼の母は晩酌をする習慣があったから、眠れない日は酔った母の相手をする代わりに、昔話を聞いていたのだった。そうして父親に関するエピソードを母づてに得ていったが、商売のことについては、数少ない父親から直に聞いた話のひとつだったので、強く記憶に刻まれていた。
骨董店は旅籠を出た後にすぐ右に折れ、大通りに出た後道沿いに進み、茶屋をふたつ過ぎたところで向かいに渡って側道に折れて路地を進んだ先の右手にある。
目立たない骨董店だとは聞いていたが、なるほど、確かに目立たない。看板も無く、店舗らしいサインのひとつもない。ただろくに手入れもされていない小庭が玄関前の軒下にこぢんまりとあるだけで、植わった植物もひとつ残らず枯れていた。ほんとうにここがその骨董店なのか疑わしい。とそのとき、不意に中から話しかけられた。
「お前さんは客かね? それとも冷やかしかね」
ぎい、と音がして扉が開く。出てきたのは白髪と白髭が繋がった老人だった。
「ここは骨董店ですか」
思わずマジマジとその顔を見ながら尋ねた。
「ああ、そうだよ。なんだい、客か。ならそんなわしの顔を見ていないでとにかくお入り」
中に案内されると、そこは幾つものガラクタと珍しい石(石英や紫水晶など)、職人手製のオブジェなどが所狭しと詰まった玩具箱のような店だった。