第七話「木村さつきの選択」
父からの電話は、いつも夜にくる。
夜の十時か十一時。さつきがちょうど宿題を終えて、寝ようとしているころ。着信音が鳴って、画面に「父」と出る。さつきは少しだけ間を置いて、出る。
「さつきか。今、いいか」
「うん」
「今月ちょっと厳しくてさ。三万、いけるか」
さつきは机の引き出しを開けた。中に封筒がある。バイト代を入れてある封筒。今月分は四万二千円。そこから家に入れる二万を引いて、残りが二万二千円。
「二万ならいける」
「助かるわ。来月には返す」
「うん」
電話が切れた。
さつきは封筒から二万円を抜いた。残りは二千円になった。
来月には返ってこない。わかっていた。去年の秋に貸した五万も、冬に貸した三万も、まだ戻っていない。でも父は「返す」と言う。たぶん、返す気はある。ただ、返せない。
さつきは封筒を引き出しに戻した。
電気を消した。
眠れなかった。
◆
母は、台所にいた。
夜中の十二時近いのに、まだ起きていた。電気をつけて、何をするでもなく、テーブルに座っていた。さつきが水を飲みに来たとき、母は少し驚いた顔をした。
「起きてたの」
「ちょっと」
さつきは冷蔵庫から麦茶を出した。母の分も注いで、テーブルに置いた。母は「ありがとう」と言って、飲んだ。
しばらく、二人とも黙っていた。
「お父さんから電話あった」
さつきが言った。
母は少し黙った。
「……また、お金?」
「うん」
「ごめんね」
「別に」
母は謝る。いつも謝る。でも父を切れない。離婚の話は何度か出たらしいが、毎回うやむやになる。さつきには理由がわからない。聞いたこともある。母は「いろいろあるのよ」とだけ言った。いろいろ、の中身は教えてくれなかった。
「……無理しなくていいのよ」
母が言った。
さつきは麦茶を飲んだ。
無理しなくていい。でも、しなかったらどうなる。家賃は今月も遅れた。催促の手紙が来た。母のパートの給料では、さつきの学費と家賃と光熱費を全部賄えない。さつきが週四でバイトを入れて、ようやく足りる。足りるか、足りないか、ギリギリのところにいる。
そこに父の「三万、いけるか」が来る。
無理しなくていい、とは、どういう意味だろう。さつきには本当にわからなかった。
◆
魔法少女の募集を知ったのは、学校の掲示板だった。
チラシが一枚、貼ってあった。「国家魔法少女、志願者募集」。給与は月額、書いてあった。一年の任期で、その後は延長か退職かを選べる。住居は支給される。家族への仕送り制度がある。
さつきは、その数字を見た。
しばらく、計算した。
家賃、光熱費、母の生活費、父への送金分。全部足した。給与から全部引いても、まだ残る。
さつきは写真を撮って、チラシの前を離れた。
◆
一週間、考えた。
怖いかどうか、と言えば、怖かった。死ぬかもしれない。死亡率が高いという噂は聞いていた。でも噂は噂で、公式には「事故による死亡は年間数件」と書いてある。さつきはその数字を信じているわけではないが、信じないとしても、じゃあどうする、という話になった。
他に選択肢があるか、と考えた。
バイトを増やす。でも今より増やしたら学校に来られなくなる。学校をやめる。でも母が嫌がる。父に返済を迫る。でも返せない人間に迫っても何も出ない。
さつきは一週間かけて、全部の選択肢を並べた。
全部試した上で、残ったのが、魔法少女だった。
逃げたいわけじゃなかった。ただ、これなら家がなんとかなる、と思った。それだけだった。
◆
志願の書類を出す前の晩、父からまた電話があった。
「さつきか。最近どうだ」
「普通」
「そうか。実はちょっと相談があって」
さつきは、止めた。
「明日、話す」
「え?」
「明日、会える? 話がある」
父は少し間を置いた。「……ああ、いいよ」と言った。
翌日、ファミレスで会った。父は老けていた。会うたびに少し老けていく。不健康な老け方をしている。
さつきは書類のコピーをテーブルに置いた。
「魔法少女に志願した」
父は書類を見た。しばらく見て、さつきの顔を見た。
「……本気か」
「うん」
「危なくないか」
「訓練があるから」
父はまた書類を見た。給与の欄を見た。家族への仕送り制度の欄を見た。
「……助かるな」
さつきは、その言葉を聞いた。
怒らなかった。怒る気もなかった。そうだ、と思っただけだった。助かる。その通りだ。さつきが志願した理由は、父を含めた家全体がなんとかなることだったから。父が「助かる」と言うのは、正しい反応だ。
間違っていない。
だから怖かった。
◆
出発の朝、母は泣かなかった。
玄関で、荷物を持って立っているさつきを見て、ただ黙っていた。何か言おうとして、やめた。また言おうとして、やめた。
さつきが先に言った。
「行ってきます」
母は頷いた。
「……気をつけてね」
それだけだった。
さつきは外に出た。振り返らなかった。
近所の人に挨拶をしながら歩いた。六丁目の水瀬さんのお宅にも寄った。お母さんが出てきて、さつきの話を聞いて、少しだけ笑って「頑張ってね」と言った。
さつきは「ありがとうございます」と言って、歩いた。
バスに乗った。
窓の外を見た。
怖い、と思った。でも、戻る理由もなかった。
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第四管区・第二前線基地 廃棄記録 第三号
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管理番号 :#0003
氏名 :木村 さつき(きむら さつき)
生年月日 :██年██月██日(満15歳)
志願動機 :家庭の経済的事情
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■家族情報
母 :木村 ██(パート勤務)
父 :木村 ██(無職 別居)
続柄 :両親 (未婚でも離婚でもない 事実上の別居状態)
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■初期ステータス
魔力残存量 :99.1%
身体損耗率 :0.0%
精神安定度 :A(良好)
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■仕送り設定
金額 :月額██円(上限設定)
宛先 :母(木村 ██)
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■総評
志願動機は経済的。特異な思想傾向なし。
安定した志願者として登録。
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参考:志願動機の分布(当管区・直近登録分)
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憧れ・使命感 :██%
家族のため :██%
経済的事情 :██%
その他・無回答 :██%
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