第二話「水瀬ひかりの最期」
第二話「水瀬ひかりの最期」
◆
朝の食堂は、いつも少し煩い。
椅子を引く音、トレーが当たる音、誰かの笑い声。それが重なって、ひかりにはなんとなく好きな時間だった。戦場の音とは違う。全部、生きている音だから。
「また多めによそってる」
隣に座った安藤このみが、呆れたような顔をした。おかずのトレーに白米が山盛りになっているのを見て言った言葉だ。
「食べないと動けないから」
「それはそうだけど……ひかりって本当においしそうに食べるよね」
ひかりは少し笑った。先月も同じことを言われた気がする。
食べ終わって、ひかりは上着のポケットに手を入れた。封筒の角が指に触れる。先月の給料。もう今月分も入ったのに、まだ渡せていない。面会日、また来られなかったのだ。
「今日の任務、終わったら面会申請出そうかな」
「うん、出しなよ。もう何週も会えてないんでしょ」
「うん。封筒、ずっとポケットに入れてるんだけど、なんか渡せなくて」
このみが何か言いかけて、やめた。かわりに「帰ったら絶対出しなよ」と言った。
「うん、帰ったら」
それだけ言って、ひかりは米を口に入れた。
◆
任務の集合場所で、ひかりはすぐに気がついた。
先輩たちの顔が、違う。
口数が少ない、というだけじゃない。もっと根っこの部分が、違う。眼の置き方が、足の踏み方が、いつもの任務前と微妙にずれている。空気の張り方、みたいなもの。
ブリーフィングで「高難度任務」という言葉が出た。当区域での上位個体の確認。過去の作戦で被害あり。フォーメーションは四人一組。
ひかりは頷いた。
怖くない、と言えば嘘になる。でも、やれる気がした。先月より強くなっていることが自分でわかるから。あの感覚、魔力の流れが手に馴染んできた感覚。訓練のあと、黒木さんに「筋がいい」と言われた日の感覚。
このみが隣に並んだ。
「ひかり、帰ろうね」
小声で言った。
ひかりは頷いた。「うん」と言った。
それだけだった。
◆
最初は、うまくいっていた。
本当に、うまくいっていた。
魔族の動きが読める。先輩の動きに合わせられる。《星灯》の魔力が身体に馴染んで、足が地を蹴るたびに世界がスローモーションに見えた。これだ、とひかりは思った。この感覚。
三体を落とした。四体目も崩した。
このみの援護を入れた。きれいに決まった。
いける。
そう思った瞬間に、空気が変わった。
◆
後で報告書に書かれる言葉で言えば「想定外の個体」だった。
けれどひかりには、そんな言葉はなかった。ただ、巨大なものが来た。影が落ちた。先輩二人が弾き飛ばされた。フォーメーションが一瞬で崩れた。
このみが、視界の端にいた。
動けていない。足が、固まっている。
魔族の腕が上がった。
ひかりの身体は、考える前に動いていた。
◆
衝撃と同時に、感覚が消えた。
見ようとして、見ないまま、理解した。
不思議なほど痛くなかった。ただ、重心がおかしくなった。バランスが取れない。左半身に全部の重さが寄っていく。
このみの声が遠くで聞こえた。
ひかり、という声だった。
ひかりは立った。
倒れなかった。立った。
◆
魔力を右に集中させた。
腕がなかった。それでも、魔力は出た。星灯の核はまだ生きていた。
身体が燃えるように熱かった。骨の中に熱湯が流れているみたいだった。視界の端が少しずつ白くなっていく。
それでも動いた。
先輩たちが立て直した。このみが援護に入った。
ひかりは前に出た。
最後の一撃を、放った。
◆
音が消えた。
魔族が、消えた。
誰かが「やった」と言った。誰かが泣いていた。
ひかりには、もう声が聞こえなかった。
膝が折れた。倒れないように、思ったけれど、倒れた。地面が冷たかった。
空が見えた。
夜空だった。星が出ていた。
あの日と、同じ星だった。あの夜、基地の帰り道に見た、あの空と同じ星が、こんな場所にも出ていた。
お母さん、とひかりは思った。
声に出たかどうか、わからない。
ちゃんと帰りたかったな。
封筒、まだポケットの中にある。
このみの顔が、視界に入った。泣いていた。口が動いていた。ひかりの名前を呼んでいる、と思った。
うん、とひかりは思った。
ちゃんと聞こえてるよ。
ちゃんと、聞こえて——
「 ——」
◆
回収部隊が来たのは、それから十七分後だった。
二人組。無言。
一人がタグを確認した。もう一人が袋を広げた。
タグには番号が書いてあった。
#0001。
二人はその番号を声に出して確認した。そして作業を始めた。
名前は、どちらも呼ばなかった。
◆
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
第四管区・第二前線基地 廃棄記録 追記
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
対象 :#0001
氏名 :水瀬 ひかり
状態 :完全損耗
死亡確認時刻:██:██
死因 :魔力枯渇による存在崩壊
─────────────────────────────────────
■回収記録
回収部位 :右腕(魔力結晶付着 再利用可)
その他 :回収不可(残存部位 損耗率97.3% 廃棄処理)
■市民被害 :0
■処理区分 :廃棄完了
─────────────────────────────────────
■遺族連絡事項
通知内容 :「訓練中の事故による死亡」
送付物 :弔慰金 規定額
備考 :遺品回収済み
(封筒 一通 現金在中 返送処理)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
後記 担当管理官 黒木 誠 (手書き追記)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
市民被害は なかった
(削除予定)




