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第6話 夜会で、あなたの恋を後押しします

 春の夜会は、まるで光の海だった。


 王都でも指折りの大広間には、幾重にも吊るされた燭台が輝き、磨き上げられた床に金色の光を落としている。


 楽団の奏でる優雅な音色に、着飾った貴族たちの声がやわらかく重なる。



 その入り口の手前でエスティバリス・アルメイダは、見事なくらい固まっていた。


「だ、大丈夫ですか?」

 ルドミラがそっと声をかける。


「……だいじょうぶ、のはず、なのだけれど」

 声がちっとも大丈夫ではない。


 薄紅のドレスに身を包んだエスティバリスは、今日も息をのむほどきれいだ。


 やわらかな灯りの下で、その色は彼女の頬をほんのり明るく見せ、銀糸の刺繍が動くたびに上品にきらめく。


 なのに本人は、今にも踵を返して逃げ出しそうな顔をしていた。


「ルドミラ」

「はい」

「わたくし、帰りたいかもしれないわ」

「だめです」

「即答」

「ここまで準備したのですから」

「そうだけれど」

「深呼吸です。肩をひらいて、ゆっくり息を吸って」

「……こう?」

「はい、その調子です。大丈夫。今日は、あなたがいちばん素敵ですから」


 その言葉に、エスティバリスは何度か瞬きをして、それから小さく笑った。


「あなた、その台詞、本当に効くのね」

「そうでしょう?」

「自分で言うのね」

「だって本当ですもの」


 ルドミラは胸を張った。



 今日は付き添い兼相談役。侍女見習いではない。


 ティーカップを運ばなくていいし、静かに控えるだけでもない。


 目の前の令嬢が少しでも楽に呼吸できるようにするのが、自分の役目だ。



「では参りましょう」

「ええ……」

「入場したら、最初は無理に話しすぎなくて大丈夫です。にこやかにご挨拶して、苦しくなったらわたくしを見てください」

「あなたを?」

「はい。わたくしが変な顔をします」

「夜会の入り口で!?」

「少しだけです」

「やめてちょうだい」

 エスティバリスは困ったように笑った。

「でも……ありがとう」


 その笑顔が出たなら、もう半分くらいは勝ったようなものだ。


 ルドミラはそう思いながら、彼女とともに大広間へ足を踏み入れた。


     ◇


 夜会は、最初の十分が勝負である。


 と、ルドミラはなんとなく思った。


 入場してすぐは、皆の視線が集まりやすい。

 誰と話すか、どこに立つか、最初の挨拶がどう始まるかで、空気が決まりやすいのだ。



 そして今日のエスティバリスは、最初こそ緊張していたが、思っていたよりずっと上手くやっていた。


「こんばんは、エスティバリス様」

「こんばんは。お会いできてうれしいです」


 練習したとおりだ。


 笑顔もやわらかい。肩も縮こまっていない。

 ルドミラは少し離れた位置からうんうんと満足げにうなずいた。


 すると、隣に低い声が落ちてくる。


「気分はどうだ、先生」

「ウリセス様」

 ルドミラは振り向いた。


「先生ではなく相談役です」

「では、相談役殿」

「どうも」


 ウリセス・デ・バルモンテは、今日も黒一色に近い礼装で、相変わらず近寄りがたいほど整っていた。 

 顔が怖い。大変怖い。だが、本人はたぶんその自覚が薄い。


「エスティバリス様、とても素敵でしょう?」

「ああ」

 ウリセスはあっさりとうなずく。


「顔色もいい」

「そうなんです! 笑顔も自然になられて」

「君が張り切っていた成果だな」

「ええ、かなり張り切りました」


 ルドミラが胸を張ると、ウリセスは一瞬だけ目を細めた。


「……君も、楽しそうだ」

「そうでしょうか?」

「見ればわかる」

「楽しいです」

 ルドミラは即答した。

「誰かが前向きになるお手伝いって、こんなに楽しいのですね」

「今さらか」

「今さらです」


 そう言って笑ったところで、エスティバリスの視線が少しだけ揺れたのが見えた。


 視線の先を追う。


 そこには、ソラーノ侯爵家の長男、ファブリシオ・デル・ソラーノがいた。


 やはり穏やかで、柔らかくて、そして今日はいつもより少しだけ落ち着かないように見える。

 手元のグラスを持ち直す仕草が、わずかに硬い。


 ――あら。


 ルドミラは内心でにやりとした。


 なるほど。あちらも緊張しているではないか。


「ウリセス様」

「何だ」

「少しだけ、あちらへ行ってまいります」

「また何か企んでいる顔だな」

「心外です。恋の後押しです」

「ほぼ同じ意味に聞こえる」

「失礼な」


 しかし止められなかったので、たぶん本気ではないのだろう。


 ルドミラはさっとエスティバリスの隣へ戻った。


「エスティバリス様」

「はい」

「ファブリシオ様がいらっしゃいます」

「……見えています」

 返事が小さい。大変小さい。


「近づけそうですか?」

「む、無理かもしれないわ」

「大丈夫です」

「その大丈夫、本当に大丈夫かしら」

「かなり大丈夫です」


 ルドミラはさらりと言って、近くにいた顔見知りの令嬢へ声をかけた。


「あら、ベレン様。今夜のお花の飾り、春らしくて素敵ですわね」

「まあ、ルドミラ様。ありがとうございます」

「そういえば、ソラーノ侯爵家は以前、この花の温室をお持ちでしたよね?」

「ええ、たしか」

「でしたら、ファブリシオ様もお詳しいのでは?」


 ごく自然に話題を投げる。


 ベレン嬢は「あら、そうかもしれませんわ」と笑い、その流れで近くにいたファブリシオへ声をかけた。


「ファブリシオ様、このお花、お詳しいかしら?」


 お見事。


 ルドミラは心の中で小さく拍手した。


 ファブリシオは一瞬こちらを見た。


 エスティバリスと視線が合う。

 ほんの一拍遅れて、彼がこちらへ歩いてくる。


「こんばんは、エスティバリス嬢」

「……こんばんは、ファブリシオ様」


 よし、始まった。


 ルドミラは一歩だけ下がる。

 完全に離れはしない。


 けれど、二人の会話の邪魔にもならない、ぎりぎりの位置へ移動する。


「本日の装い、とてもお似合いです」

 ファブリシオが言った。


 直球である。


 ルドミラは危うく「まあ!」と声を出しそうになったが、さすがに堪えた。

 相談役にも品位は必要だ。


 エスティバリスは目を見開き、それからふわりと笑った。


「ありがとうございます。お会いできて、うれしいです」

「……私もです」


 ああ、これは両思いではないか。


 ルドミラは思わず天井を仰ぎたくなったが、夜会の途中で急に上を見る令嬢は怪しいのでやめておいた。


 ファブリシオは続ける。


「その色は、あなたによくお似合いですね」

「そ、そうでしょうか」

「ええ。とても」

「……ありがとうございます」


 エスティバリスの頬がうっすら染まる。


 よかった。練習した『お会いできてうれしい』がきちんと出た。


 ルドミラは小さく拳を握った。


 だが、ここで満足してはいけない。

 会話は始まりが肝心だが、続けるのはもっと大事だ。


 少し間が空きそうになる。


 その瞬間、ルドミラは横からやわらかく口を挟んだ。


「エスティバリス様、先ほどのお花のお話、なさっては?」

「あ」

 エスティバリスが、はっとする。


「そうでしたわ。こちらの飾り花、とても素敵ですわね」

「ええ。春咲きの品種を集めたのでしょう」

 ファブリシオが答える。


「ソラーノ家の温室にも、似た花が?」

「あります。もしご興味があれば、今度、妹のように可愛がっている従妹にも見せてやりたいと思っていて」

「まあ、ぜひ拝見したいです」


 自然だ。


 ちゃんと自然に続いている。


 しかもエスティバリスは逃げていない。笑顔も固まっていない。


 ルドミラは内心で感激していた。


 すると、ファブリシオがふとこちらを見る。


「……ルドミラ嬢」

「はい?」

「あなたは、本当に不思議ですね」

「またそれを言われますの?」

「ええ。あなたがいると、なぜか会話がうまく回る」

「それはよかったです」


 そのときエスティバリスも、そっと言った。


「わたくしも、そう思います」


 言われて、ルドミラの胸が少しだけ熱くなる。


 侍女見習いとしては不器用だった。

 ガヴァネス見習いとしてもきっと落第だった。


 でも、こういうふうに誰かが少し笑って、少し楽になって、前より自然に言葉を交わせるなら。


 それは、自分にしかできないことなのかもしれない。


     ◇


 夜会は進み、場の空気もほぐれていった。


 エスティバリスとファブリシオは、一度話し始めてしまえば意外と話題に困らなかった。


 花の話、学院時代のこと、最近読んだ本の話。

 二人とも穏やかな気質だからか、会話の温度がよく似ている。


 ルドミラはずっと付きっきりではいなかった。


 少し会話が安定したら、さりげなく距離を置く。


 けれど、エスティバリスが不安そうに視線を動かしたら、すぐわかる位置にはいる。

 目が合えば、にこっと笑う。


 それだけで、彼女は小さく頷いてまた前を向いた。


「完璧じゃないか」

 背後でウリセスが言った。


「でしょう?」

「自分で言うな」

「だって本当に」

 ルドミラは小声で返す。


「エスティバリス様、すごく頑張っていらっしゃいます」

「ああ」

「ファブリシオ様も、最初からだいぶやわらかいです」

「それもそうだな」

「両思いって、見ていて楽しいですね」

「他人事だからそう言えるんだろう」

「他人事だからこそ応援したくなるんです!」


 すると、近くに立っていた別の令嬢が、おずおずとこちらへ寄ってきた。


「あの……ルドミラ様」

「はい?」

「少しだけ、ご相談してもよろしいかしら」


 見れば、その令嬢は輪の外れに立っていて、さっきからどうにも居心地が悪そうだった。

 視線を泳がせ、手元の扇をぎゅっと握っている。


「もちろんです」

 ルドミラはすぐに答えた。


「どうなさいました?」

「その……知り合いの方があちらにいるのだけれど、声をかけるタイミングがわからなくて」

「まあ、それは困りますわね」

「はい……」

「でしたら、わたくしが近くまでご一緒いたします」


 令嬢はほっとしたように笑った。


「よろしいの?」

「ええ。大丈夫です。最初の一言だけ決めてしまえば、意外と何とかなりますから」

「何とかなりますかしら」

「かなりの確率で!」


 ルドミラはそう言って、その令嬢をやわらかく話の輪の近くへ誘導した。


 別のところでは、少し気まずそうに立っている令嬢が二人いる。

 以前、お茶会で席が離れて以来、どうも話すきっかけを失っているらしい。


「あら、ルドミラ様では?」


 ルドミラは片方ににこやかに声をかけた。

「この前の刺繍、とても素敵でしたわ」

「えっ、ありがとうございます」

「そういえば、こちらのミレナ様は草花の図案がお好きなのですって」

「まあ、本当?」

「あ、ええ」

「では、今度ぜひ見せてくださいな」


 はい、橋渡し成功。


 気がつけばルドミラは、大広間のあちこちでそんなことをしていた。


 緊張している子には「大丈夫ですよ」と笑いかける。


 話題に詰まったところへ「そういえば」と軽く別の話を差し込む。


 少しだけこぼれたドレスのリボンを整え、立つ位置をそっと直し、誰かと誰かの間にある見えない段差を、ふわりと埋めていく。


 侍女のような繊細な作業ではない。


 ガヴァネスのように、きっちり何かを教えるのでもない。


 でも、人の緊張を軽くしたり、言葉のきっかけを作ったりすることなら、なぜか驚くほど自然にできた。


 そして、そのたびに相手が少し笑ってくれる。


 その笑顔を見るたび、ルドミラはますます楽しくなった。


「……あの伯爵令嬢はどなた?」

「エスティバリス様の付き添いらしいわ」

「まあ、感じのよい方ね」

「少しお話ししたけれど、とても話しやすかったの」

「うちの従妹にも、ああいう方がいてくだされば安心なのに」


 そんなひそひそ話が、ふと耳に入る。


 ルドミラはきょとんとした。


 今のは、もしかして。

 仕事として需要がある、ということだろうか。


     ◇


 夜会も終盤に差しかかった頃。


 エスティバリスは再びルドミラのもとへ戻ってきた。

 頬がほんのり赤く、目元はやわらかくほどけている。


「ルドミラ」

「はい」

「わたくし、ちゃんとお話しできたわ」

「はい! 見ておりました!」

「それに……」

 エスティバリスは声をひそめた。


「今度、お花の温室をご案内くださるそうなの」

「まあ!」


 やはり、うまくいきそうだ。


「よかったですね!」

「ええ……本当に」

 エスティバリスは胸の前で手を重ねた。

「あなたがいてくれたからよ」

「そんな」

「いいえ。本当に」


 その言い方があまりにもまっすぐで、ルドミラは少し照れた。


 嬉しい。


 すごく嬉しい。


 誰かの恋が少し前に進むのを見るのは、思っていた以上に胸があたたかくなるものらしい。


 そこへ、今度はファブリシオがやってくる。


「ルドミラ嬢」

「はい?」

「弟が、あなたにまた虫を見せたいそうです」

「ガエル様らしいですね」

「ええ。それと」

 ファブリシオは柔らかく笑った。


「今夜のこと、感謝しています」

「わたくしは少しお手伝いしただけです」

「その『少し』が、とても大きかった」


 エスティバリスが少し恥ずかしそうに俯く。


 ああ、これは本当に良かったのだな、とルドミラはしみじみ思った。


 ファブリシオが去ったあと、隣から低い声が落ちてきた。


「満足そうだな」

「はい」

 ルドミラは素直に答えた。

「とても」


 ウリセスが少し黙る。


 それから、いつもより静かな声で言った。


「君は、やっと自分の向いた仕事を見つけたんだ」


 ルドミラは目を瞬いた。


「向いた仕事」

「ああ」

「これが、ですか?」

「そうだ。侍女見習いでも、ガヴァネスでもない」

 ウリセスは大広間を見渡した。


「人を見て、空気を読んで、無理をさせずに背中を押す。君が今夜していたのは、そういうことだ」

「……」

「しかも、需要もあるらしい」

 彼は、先ほどの令嬢たちのひそひそ話のほうへちらりと視線をやる。

「ようやく、本人以外はみんな気づいていたことが形になったな」


 言われて、ルドミラの胸がじわりと熱くなる。


 向いている仕事。


 そんなものが自分にあるなんて、少し前までは思ってもみなかった。


 家のために働きたくて、でも何に向いているのかわからなくて、失敗ばかりで。


 それでも今日、誰かが少し笑って、少し話しやすくなって、「いてくれてよかった」と言ってくれた。


 それが仕事になるなら。


 自分にも、できることがあるのかもしれない。


「……うれしいです」

 ルドミラはぽつりと言った。


「やっと、少しわかった気がします」

「そうか」

「でも」

 ルドミラは顔を上げる。


「まだ『何という名前の仕事』かはわかりません」

「そのうちつくだろう」

「適当ですね?」

「適当じゃない。君はきっと、そういう仕事を自分で作る側だ」

「まあ」


 それは、少しだけくすぐったくて、でもすごく誇らしかった。


 ルドミラはにっこり笑った。


「では、作ってしまいましょうか」

「その顔だと本気だな」

「もちろんです!」


 ウリセスは呆れたように息をついたが、口元はわずかにやわらいでいた。


     ◇


 夜会の翌朝。


 エスカランテ伯爵家の食堂に、珍しく慌ただしい足音が響いた。


「ルドミラ様! お手紙が」

「まあ?」

「こちらもです!」

「えっ、また?」


 使用人が抱えているのは、一通や二通ではない。

 上質な封筒が、次々と銀盆の上に積まれていく。


 朝食の席でパンをちぎっていたパスが、ぽかんと口を開けた。


「姉上、何したの」

「何って」

 ルドミラは自分でも驚きながら封を見比べる。


「夜会で、少しお話をつないだり、付き添ったり……」

「少し?」

 父が眉をひそめる。


「その量は少しではないのでは」


 たしかに、少しではないかもしれない。


 ルドミラが最初の一通を開く。


 そこには、夜会で話しかけてきた令嬢の母から、丁寧な筆跡でこう書かれていた。


 ――昨夜は娘を気遣ってくださり、ありがとうございました。もしよろしければ、次のお茶会にも付き添っていただけないでしょうか。


「まあ……」


 次を開く。

 姪の社交の場に、ぜひご同席をお願いしたく――


 また次。

 従妹の夜会の相談役として――


 ルドミラは、何度も瞬きをした。


 これは。


 これはつまり。


「お姉さま、お仕事ですわ!」

 シンティアがきらきらした声を上げる。


 ルドミラは封書の山を見つめたまま、ゆっくりと息を吸った。


 ――本当に、仕事になるのかもしれない。


 侍女見習いでも、ガヴァネスでもなく。


 自分に向いている、別のかたちの何かが。


 その確かな手応えと、胸の高鳴りを抱えながら、ルドミラは次の手紙へと手をのばした。


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