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第4話 もしかして、あの二人は両思いですか?


 エスカランテ伯爵家の居間には、その日、妙な静けさがあった。


 朝からルドミラは、ひどくしおれていたのである。


「お姉さま」

 妹のシンティアが、心配そうにのぞき込む。


「元気、ありませんの?」

「あります」


「ありません」

 弟のパスが即答した。


 ルドミラは、テーブルに頬杖をついたままむうっと唇を尖らせた。


「だって……」

「だって?」


「侍女見習いもだめ、ガヴァネス見習いもだめ、って、二回連続ですよ? そろそろ心がしんなりします」

「しんなり」

 パスが言った。


「しょんぼりじゃなくて?」

「しんなりのほうが、なんとなくお上品でしょう」

「そこだけ伯爵令嬢っぽくしなくてもいいのでは」


 もっともな指摘である。


 ルドミラは再びぐったりとテーブルに突っ伏した。


「わたくし、家の役に立つつもりで張り切っていたのに……」

「役に立ってない、ってことはないんじゃない?」

 パスが言う。


「侍女見習い先でも、ガヴァネス見習い先でも、みんなお姉さまのこと気に入ってたんだろ?」

「それはそうなのですけれど」

「だったら、何かは向いてるんじゃない?」

「それが何かがわからないんです」


 言ってから、ルドミラは深く息をついた。


 そうだ。まさにそこなのだ。


 人には好かれる。相手も打ち解けてくれる。


 けれど、肝心の『仕事』として求められることは、どうにもずれている気がする。


 もっとわかりやすく役に立ちたいのに。



 すると、シンティアがこてんと首をかしげた。


「でも、お姉さまがいると、家の空気は明るくなりますわ」

「え」

「お父さまだって、お姉さまに言い負かされてしょんぼりするときはありますけど、そのあと変な顔をして笑っていますもの」

「それはどういう状況なんでしょう」

「いつものことだね」

 パスがうなずく。


 妹と弟に慰められている。


 たいへんありがたいが、少しだけ情けない。


 そのとき、使用人が居間の扉を開けた。


「ルドミラ様、お客様です」

「お客様?」


 誰だろう、と思って顔を上げた。


 次の瞬間、ルドミラは勢いよく立ち上がった。


「エスティバリス様!?」


 現れたのは、淡い水色のドレスをまとったエスティバリス・アルメイダだった。


 相変わらず上品で、やわらかくて、少しだけ頼りなげで、それでも前よりほんの少しだけ表情がやわらいでいる。


「突然ごめんなさい」

 彼女は控えめに微笑んだ。


「お手紙だけでは足りない気がして……どうしても直接お願いしたくて」


 お願い。


 その言葉に、ルドミラは目をぱちぱちさせた。


 居間の空気が一気にしゃんとする。


 パスがすっと姿勢を正し、シンティアもきらきらした目でエスティバリスを見ていた。


「よろしければ、少しお話しできますか?」

「もちろんです!」


 ルドミラは勢いよく答え、それから慌てて居住まいを正した。


「ご、ご案内いたしますわ!」


     ◇


 応接間に通されたエスティバリスは、出された紅茶にもほとんど手をつけず、カップの縁をそっと見つめていた。


 緊張している。


 それがすぐにわかるくらいには、ルドミラも彼女の表情に慣れてきていた。


「お手紙、拝見いたしました」

 ルドミラが言う。


「夜会で、そばにいてほしいと……」

「ええ」


 エスティバリスは小さくうなずく。


「再来週、春の夜会があるの」

「まあ、あの大きな?」

「はい。学院時代のご縁のある方もたくさんいらっしゃるので……本来なら、わたくしも楽しみにしているべきなのですけれど」


 そこで言葉が細くなる。


 ルドミラは身を乗り出した。


「楽しみではないのですか?」

「楽しみ、ではあるの」

「では?」

「……こわくて」


 その一言は、とても小さかった。


 けれど、ルドミラにはちゃんと届いた。


 エスティバリスは視線を落としたまま、そっと指を重ねる。


「何を話せばいいのかわからないの。ちゃんと笑えるかも、自信がなくて……失敗したらどうしようと思うと、それだけで胸が苦しくなってしまうわ」

「エスティバリス様……」


「みなさまは自然にお話しされるのに、わたくしだけ、何を言うべきか考えすぎてしまって。結局、うまく言えなくて、あとで一人で反省するの」


 ルドミラは黙って聞いていた。


 学院時代から、この人は少しそういうところがあった。


 優しくて、よく気がついて、まわりにも配慮できるのに、自分のことになるとすぐに引いてしまう。


 間違えないように、失礼がないように、と考えすぎてしまって、かえって言葉が出なくなるのだ。


「それで」

 エスティバリスはおずおずと顔を上げた。


「もし……もし、あなたがよければ。夜会で、わたくしの付き添いをしていただけないかしら」


 ルドミラは瞬いた。


「付き添い、ですか?」

「ええ。ただ後ろに立っているだけではなくて……その、相談に乗っていただいたり、何を話せばいいか一緒に考えていただいたり……」

「相談役、みたいな?」

「そう、です」


 エスティバリスは少しだけほっとしたようにうなずいた。


「あなたと一緒なら、頑張れそうなの」


 その言葉に、ルドミラはしばらく何も言えなかった。


 侍女見習いには向いていなかった。


 ガヴァネス見習いも、たぶんだめだった。



 それでも。


 それでもなお、自分を必要だと言ってくれる人がいる。


 それは、思っていたよりずっと胸にくることだった。


「……わたくしで、本当によろしいのですか?」

 思わず、そんなことを言ってしまう。


「お茶をこぼしますし、静かに控えるのも得意ではありませんし、たまに思ったことをそのまま言ってしまいますし」

「ええ」

「全部認めましたね!?」

「でも、だからこそです」


 エスティバリスは、いつもより少しだけはっきりとした声で言った。


「あなたは、わたくしが言えないことをまっすぐ言ってくださるでしょう?」

「……」

「それに、わたくしが緊張していると、すぐ気づいてくださる」

「それは」

「あなたがいると、息がしやすいの」


 また、その言葉だ。


 侍女見習いのときにも言われた言葉。



 ルドミラは、なんだか胸の奥がむずがゆくなって、カップに手をのばした。

 中身はとうに冷めている。


 けれど、少しだけ落ち着く気がした。


「そんなふうに言っていただけるなんて、思ってもみませんでした」

「そう?」

「だって、わたくし、自分では失敗ばかりしたつもりでしたもの」

「失敗も、あったわ」

「やっぱり」

「でも、それだけではなかったでしょう?」


 エスティバリスは、やわらかく笑った。


「わたくし、あなたに何度も助けられたの」

「……もしそうなら、とてもうれしいです」


 そのとき、ルドミラははっと気づいた。


 夜会で不安。何を話せばいいかわからない。うまく笑えない。失敗がこわい。


 そして、わざわざ自分を呼ぶ。


 ……これ、ただの夜会への緊張ではないのでは?


 ルドミラは慎重に尋ねてみた。


「あの、エスティバリス様」

「はい」

「その夜会には……お会いしたい方がいらっしゃるのですか?」


 エスティバリスの肩が、ぴくっと揺れた。


 わかりやすすぎる。


「い、いえ、そんな」

「いらっしゃいますね?」

「ルドミラ……」

「申し訳ありません。ですが、今のお顔でだいたいわかりました」


 エスティバリスは耳まで赤くした。


 その様子があまりにも可憐で、ルドミラは内心で大変なものを見てしまった気分になった。


 これはたぶん、いや絶対に、かなり大事な相談である。


「……ソラーノ侯爵家の」

 エスティバリスが小さくつぶやく。

「ファブリシオ様、です」



 きた。


 やはりだ。


 ルドミラは、思わず膝の上でぎゅっと手を握った。


 落ち着け、わたくし。ここで「やっぱりですか!」と元気よく言ってはいけない。


 相談役は相手が話しやすい空気を作るのが大事。たぶん。



「そうでしたか」

 できるだけ穏やかに言う。


「……とても素敵な方ですものね」

「ええ」

 エスティバリスは恥ずかしそうに目を伏せた。

「学院の頃から、ずっと」

「まあ……!」


 やっぱり少し声が弾んだ。


 しかしエスティバリスは怒るどころか、ますます小さくなってしまった。


「でも、あちらはどう思っていらっしゃるかもわからないし……わたくしが勝手に意識して、変なふうに見えてしまったらどうしようって」

「変なふうには見えません」

「本当に?」


「はい。だって――」


 そこまで言いかけて、ルドミラは口をつぐんだ。


 だって、ファブリシオもエスティバリスのことを気にしていたように思える。


 近況を聞いてきたし、声色もやわらかかったし、何より、あの『さりげなさ』は少し不自然だった。


 けれど、確証のないことを軽々しく言うのも違う。


 ルドミラは少しだけ言い方を選んだ。


「少なくとも、エスティバリス様が思うほど、一方通行には見えませんでした」

「えっ」


 エスティバリスが顔を上げる。


「そ、それは……」

「ソラーノ侯爵家で少しだけお話をしたときに、ファブリシオ様はエスティバリス様の近況を気にしていらっしゃいました」

「そう、なの……?」

「はい。たいへん、さりげないふりをしながら」

「さりげないふり……」


 エスティバリスの頬がさらに赤くなる。


 かわいい。


 そして、おそらく両片思いだ。


 ルドミラの中で、ぱちんと何かがつながった。


 ああ、そうか。この夜会は、エスティバリスにとってただの社交の場ではないのだ。

 想う相手の前に出る場なのだ。そりゃあ緊張もする。


「エスティバリス様」

「はい」

「その夜会で、ファブリシオ様と少しでも自然にお話ししたい、ということですね?」

「……はい」


 小さな返事だった。


 でも、それはたしかに前に進みたい人の声だった。


 ルドミラは、なんだか急に胸が熱くなった。


 人の恋の話なのに、どうしてこんなに張り切りたくなるのだろう。


 たぶん、それはエスティバリスが勇気を出して頼ってくれたからであり、同時に、自分の失敗ばかりに見えていたこれまでのことが、少し違う意味を持ち始めた気がしたからだ。



 侍女見習いはだめだった。


 ガヴァネス見習いもだめだった。


 でも、その途中で誰かが笑ってくれたり、緊張がほぐれたり、少し前を向けたりしたのなら。


 それは、失敗だけではないのかもしれない。


「……わたくし」

 ルドミラはゆっくりと言った。


「少し、自分が何に向いているのかわからなくなっていました」

「ルドミラ」

「でも、エスティバリス様がそうして頼ってくださるのなら、わたくしにもまだできることがあるのかもしれません」


 エスティバリスは、じっとこちらを見ていた。


 その瞳に、期待と不安が半分ずつ揺れている。



 そこへ、扉の外からノックがした。


「失礼する」

 低い声。


 ルドミラが顔を上げると、入ってきたのはウリセスだった。


「ウリセス様!?」

「君の家に来て驚かれるのは慣れてきた」

「慣れないでください」


 彼はルドミラとエスティバリスを見比べ、すぐに状況を察したらしかった。


「……話は済んだか?」

「途中です」

「そうか」


 ウリセスは短く答え、ルドミラの隣に立つ。


 その存在感が妙に落ち着くのは、少し悔しい。


「ウリセス様、なぜこちらへ?」

「アルメイダ侯爵家から使いが来ると聞いていた」

「情報が早すぎません?」

「周囲が放っておけないからだろう」


 それ、自分で言うのだろうか。


 しかしウリセスは真顔でエスティバリスに向き直った。


「エスティバリス嬢。ルドミラは細かい作法や静かな立ち回りには向きませんが」

「ひどい」

「だが、相談役としては、かなり優秀です」

「……」


 ルドミラは目を見開いた。


 エスティバリスも少し驚いたようだったが、それでも静かにうなずく。


「わたくしも、そう思います」

「でしょうね」


 ウリセスは当然のように言う。


「この娘は、相手の緊張をほどくことに関してだけは妙に才がある」

「だけは、って何ですか」

「事実だ」

「むう」


 ルドミラは頬をふくらませたが、胸の中にじんわりとうれしさが広がるのを止められなかった。


 この人は、顔は怖いのに、肝心なところをちゃんと見ている。


 たぶん、自分より先に。


「君がこれまでやってきたことは無駄じゃない」

 ウリセスはルドミラに向かって言った。


「侍女見習いにも、ガヴァネス見習いにも向かないのはもうわかった。だが、その過程で、君にしかできないことも見えてきた」

「わたくしにしか、できないこと」

「少なくとも、エスティバリス嬢はそう思ってここに来たんだろう」

「……はい」

 エスティバリスがそっと答える。


「わたくしは、ルドミラにお願いしたいです」


 だめだ。


 そんなふうに言われたら、もう、やるしかないではないか。


 ルドミラは背筋を伸ばした。


 お茶をこぼすかもしれない。静かに立つのは苦手だ。言わなくていいことまで言ってしまうこともある。



 でも。


 人の緊張をほどきたい。笑ってほしい。前を向くきっかけになりたい。


 それなら、やってみたいと思う。


 ルドミラは勢いよく立ち上がった。


「わかりました!」


 エスティバリスがびくっとする。


 ウリセスが少しだけ眉を寄せる。


「まずはそこから気をつけろ、声が大きい」

「すみません、でも気合いが入ったので!」


 ルドミラはエスティバリスの前に立ち、きっぱりと言い切った。


「夜会までに、あなたをいちばん素敵な令嬢にしてみせます!」



 応接間に、しんと一瞬の静寂。


 そのあと。


 エスティバリスが目を丸くし、それから花が開くように笑った。


「……ありがとう」

「お任せください!」

「大丈夫かしら」

「たぶん!」

「たぶん」

 ウリセスが即座に拾う。

「そこは断言しろ」

「で、では、かなりの確率で!」

「微妙に頼りない」

「でも、頑張ります!」


 ルドミラがそう言うと、エスティバリスは今度こそはっきりとうなずいた。


 その顔は、来たときより少し明るい。


 それだけで、もう十分うれしい。


 ――よし。


 ルドミラは胸の中で拳を握った。



 次は、ただ失敗するだけでは終わらせない。


 想う相手の前でちゃんと笑えるように。言葉が出るように。自信を持てるように。



 がさつ令嬢の就活は、どうやら今度こそ、少しだけ『向いていること』に近づき始めたらしい。


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