第107話 理事長の謝罪
エリカはハンター協会のビルへやって来た。 理事長に会うのが目的だ。 理事長の居場所が分からないので、窓口の職員に尋ねることにした。
チン(あのー)
エリカの呼びかけに職員が振り向く。 あまり話をしたことがない職員である。
「はい、ご用件を承ります」
ここの職員はエリカの存在に慣れており、いちいち「ファントムさんですか?」と尋ねはしない。
チン(理事長さんに会いたいんですけど)
「でしたら、理事長室にご案内いたします」
◇❖◇
「こちらが理事長室です」
チン(ありがとう)
エリカは理事長室のドアを開いた。 白髪交じりの初老の男性が、立派な机に座って何やら書類仕事をしている。
エリカは机に歩み寄り、男性に向かってベルを鳴らす。
チン?(マロン君のことで話があるんだけど?)
エリカのベル音は礼儀正しいとは言えない。 ガブリュー大佐の圧力に屈してマロン君をクビにした理事長を、エリカは良く思っていない。
「むっ、このベルの音はファントムさんですかな?」
チン(ええ、そうよ)
「どういったご用件かな?」
チン(マロン君の復職について、あなたがどう考えてるのか聞かせてちょうだい)
理事長は、手にしていたペンを机においた。
「ふむ。 彼には申し訳ないことをしたと思っておるし、ガブリュー大佐の権勢が失墜したいま彼の復職には何の問題もない。 彼のように優秀な人物には戻ってきてもらいところだが......」
チン?(何か問題でも?)
「うむ。 どの面下げて彼に会えばよいかわからん」
理事長の気持ちはエリカにも理解できた。
チン...(それは... そうですね)
しかし、それでもここは1つ理事長が頑張るべきである。 エリカはその気持ちをそのまま理事長にぶつけてみた。
チン!(それでもここは1つ理事長が頑張るべきです!)
本当にそのままである。 しかしそれが功を奏した。 ゴトリ。 理事長の心が動いた。
「うむ、その通りだな」
(なんだ、結構いい人じゃん。 けっきょく悪いのはガブリュー大佐だったのよね)
「じゃあ、マロン君をこの部屋まで連れてきておくれ。 私から彼のもとへ出向いても――」
チンチン(ハイハイ、どの面下げて彼に会えばよいかわからないのよね? ホントしょうがないんだから。 マロン君の住所を教えなさい。 私が連れてきてあげる)
「うむ、ひと思いに連れてきてくれい」
エリカはマロン君の自宅の住所を理事長に調べさせ、その住所へ急行した。 一刻も早く彼に朗報を届けたかった。
◇❖◇
マロン君の家は、ごく普通のアパートの一室だった。 部屋の前まで来たエリカは呼び鈴を鳴らす。 チャリンチャリン。 エリカの家の呼び鈴よりも安っぽい音だ。
しばらく待って、ようやく玄関のドアが開きマロン君が顔を覗かせる。 もう午前9時を過ぎているのに、まだ顔も洗っていないらしい。 少しばかり無精ヒゲが生えている。 エリカが見たことのない、だらしないマロン君だ。
いつものマロン君なら呼び鈴を鳴らしたのがエリカだとすぐ気付くはずだが、自宅という特殊なシチュエーションのためか、それとも今しがたまで寝ていて頭が動いていないのか、来訪者の姿はどこかと視線を彷徨わせている。
マロン君の髭の色も栗色なのを確認し終えてもまだ彼がエリカに気付かないので、エリカはベルを鳴らした。
チン(おはようマロン君。 いま起きたばっかりなの?)
マロン君は少し驚いてから、エリカが見慣れた笑顔を浮かべる。
「エリカさん! どうしてここへ? とりあえず入ってください。 どうぞ中へ」
◇❖◇
マロン君が淹れてくれた紅茶を前に、エリカは朗報を告げる。
チン(ハンター協会がマロン君をまた雇ってくれるそうよ)
マロン君は数度まばたきして、エリカのベルの音を理解すると喜びに破顔した。
「ほんとですか! ありがとうございます、エリカさん」
チン(いいってことよ)
真正面から感謝を述べられてしまって恥じらうエリカ。 言葉遣いが些か妙なのも赤く染まる白い頬も、恥じらいが理由である。 面と向かってお礼を言われるような事態は極力避けるようにしているが、今回ばかりは逃げようがなかった。
「ということはエリカさん、《支配》を自力で打ち破ったんですね?」
ようやく頭が目覚め始めたマロン君は、いつもの勘の良さを発揮してたちまち事態の全貌を見抜いた。
チン(ええ)
「《支配》を自力で打ち破るなんて前代未聞ですよ。 さすがはファントムさん、たいしたものだ」
(えへへ)
褒められて素直に照れるエリカ。
紅茶を飲み終えた2人は早速ハンター協会へ向かうことにした。
◇❖◇
ハンター協会ビルに到着したエリカとマロン君。 理事長室の前まで来て、マロン君がドアをノックする。 コンコン。
「入りたまえ」
2人が中に入ると、理事長は立派な机の向こう側でドアに背を向けて立ち、窓から外の風景を眺めていた。 理事長室は協会ビルの3階にあり、窓からの眺めが良いと言えなくもない。
チン(マロン君を連れてきたわよ)
「うむ」
チン(こっち向きなさいよ)
「このままじゃ... ダメかな?」
チン!(ダメに決まってるでしょ! きちんとマロン君のほうを向いて謝りなさい)
叱りつけるエリカをマロン君がなだめる。
「まあまあエリカさん、そんなに怒鳴らなくても」
チン...(でも...)
「ガブリュー大佐は軍でも三指に入る実力者。 理事長が僕をクビにしたのも仕方のないことです。 大佐の差し金で僕は再就職にも困っていました。 このミザル市で大佐の意向に逆らえたのはエリカさんぐらいのものですよ」
この言葉を聞いた理事長はくるりと向き直ってマロン君のもとへ歩み寄り、彼の手を握り締めて言う。
「その通りだ。 さすがはマロン君、ワシの言いたかったことを見事に代弁してくれおったわすまんかった」
(マロン君を褒めるより謝りなさいよね―― って、理事長サンいま謝った?)
そう、理事長は謝罪していた。 エリカの耳にも留まらぬさりげなさで彼は謝罪を済ませていたのだ。
しかしマロン君には、そのさりげない謝罪で十分だったようだ。 彼は理事長の手を握り返して笑顔である。
「それでは理事長、今日から元の職場に復帰して宜しいんですね?」
「もちろんだよマロン君。 そうだ、給料を2%アップしてやろう。 そろそろ昇給の頃合いだと思っておった」
マロン君の復職に問題なしと判断したエリカは、その場をそそくさと後にした。 マロン君はエリカなどより、よほど人付き合いが上手なのだ。 これ以上エリカが口を挟む必要はなかった。




