10. 日常
「んんーっ! はあ、よく眠ったわ」
起き上がり、ぐーっと伸びをしたアリシアに侍女のハンナが笑顔で水が入ったグラスを差し出した。
「おはようございます、殿下。どうぞ」
「ありがとう。ケヴィンは? もう来てるのかしら」
「はい、先ほど執務室にもう入られたようですよ。なんでも、重要な会議がおありなんですってね」
ハンナの言葉に、はっと我に返ったように息を呑むアリシア。そうだったわ、と焦りが滲んだ声で呟いてから、慌てて起き出す。
「大変、急がなくてはならないわ。西の辺境伯についての会議なのよ。ケヴィンにばかり準備を任せるわけにはいかないわ」
「まあそうなのですか。でしたら、急いでご準備をしなければなりませんね」
「ええ、今日は清楚な感じのものでお願い」
「かしこまりました」
ハンナ以外にも、メイドが数人入ってきて、迅速に準備が進められる。準備が整って、お礼をメイドたちとハンナに告げたら、アリシアはなるべく急いで執務室に向かった。
執務室の扉を開けると、中ではケヴィンひとりが、今日の会議で使うための書類をさっさとまとめていた。
ごめんなさい、と言いつつ入ろうかと思ったけれど、窓から差している光がケヴィンを照らすその美しい景色にしばし見惚れてしまった。
ケヴィンが何気なくこちらに視線をやると、
「なっ・・・! 来ていたんですか!?」
ばっちり目があってしまった。何かあったのだろうか、ケヴィンの頬が少し赤い。ついでに耳も赤くなっている気がする。
気のせいかしらね。
アリシアはそう結論づけると、笑顔を浮かべて中へ入っていった。
「ケヴィン、ごめんなさい。会議が今日あるってこと、忘れていたの。書類まとめてくれていたのね、ありがとう」
にっこりと「さすがはわたくしの側近ね」と付け加えるのも忘れない。
「いえ・・・どうせそんなことだろうと思っておりましたが。・・・ゆっくりお休みになれましたか?」
「ええ。ありがとう、ケヴィン。わたくしも手伝うわ」
「もうすぐ終わりますから、殿下はご自身の書類でどのような会議の進め方をなさるかを、確認なさっていてください」
「ああ、議長はわたくしになったんだったわね」
先日まで皇帝が務めていた重鎮たちとの重要な会議の議長を、任されるようになったのだ。兄のウィルソンはもっと大きな会議の議長を任されており、アリシアはバランスをとるために別の会議の議長を任されたのだろうと推測している。
(ダリアもその内、何かを任されるようになるのかもしれないわね。でも、どうかしら、わたくしとお兄様がいなくならない限り、ダリアには皇帝の座は回ってこない。となると、いずれ降嫁することになり皇族ではなくなる。そんな女性に何かを任すことは出来ないかも)
冷静に考えつつも、ケヴィンがまとめてくれた書類を手にとり、内容を確認した。
「今回の議題は、西の辺境伯についてだったわよね」
「はい。辺境伯から作物の取れ高が減っているため、今年の税を減らしてほしいという奏上がありました。また、洪水を起こしやすい川があるからどうにかしたいとのことです」
「ふうん・・・。では、税免除時のためのいくつか他の条件を考えておかなければならないわね。妥当なものをいくつか今から考えるわ。もし他の誰からも意見が出なかった場合に備えてよ。それから・・・洪水を起こす川ね。そちらの方は調査員を派遣しなければならないわ。まずどこら辺に位置するのか、地図で確認したいわね」
アリシアの要求に、ケヴィンはすぐに地図を引っ張ってきた。地図というのは、他国には回らない貴重なものだ。戦争が起きたときに地図が敵国に回ってしまうと、それだけこちらは不利になる。もちろん、スパイが忍び込み、地図をつくられている可能性は大いにあるけれど。
アリシアは思考を迅速に巡らせながら、いくつか税免除時の条件をまとめた。それからケヴィンとともに川の位置を把握し、なぜ洪水を起こしやすいのかを確認して対策を考えた。
♢♢♢
「では、今から会議を始めます。議長はわたくし、フィクタール帝国が第一皇女、アリシアが務めます。よろしくお願いします」
アリシアの宣言から始まった会議は、重鎮ばかり集まっているというのに穏やかな空気感で始まった。貴族たちより一段高い場所から貴族たちを見下ろしているのは皇帝だ。本日、皇后は孤児院を回っており、不在。ウィルソンも別の公務があり不在だ。つまり、この場において皇族は皇帝とアリシアだ(皇女)だけ。
「アリシア第一皇女殿下の補佐を務めさせていただきます、エルミス公爵が次男ケヴィンです。よろしくお願い致します」
ケヴィンの挨拶も済み、アリシアは書類をめくりながら議題に移ることにした。
「本日の議題は、西の辺境伯について。アジリメッタ辺境伯から今年の税について奏上がありました。今年、アジリメッタ辺境伯領では不作だったそうね?」
アリシアが問いかけたのは、アジリメッタ辺境伯。わざわざこの会議のため、辺境伯領から王都へきてくれたのだ。
「はい。今年は雨が中々降らず、干ばつが起こりまして。領民たちには備蓄から少し食料を配ったのですが、中々それだけでは厳しくなってしまいました。ですので、減税、または税の免除を申し出させていただきました」
実は、不作だから税を免除してくれという奏上は結構多い。例年、数件は必ず出るものだ。
「事情は分かりました。一度、調査員を派遣したところ、例年よりもかなりの不作だったと分かりました。そのため、免税の措置をとるという奏上を行った。さて、ここまでで何か質問はありますか?」
アリシアの問いかけに、貴族たちがそれぞれ顔を見合わせる。そのうち、いつも手厳しい質問を被せることで有名なダートン公爵が手を挙げた。
「ダートン公爵。発言を許します」
「ありがとうございます、第一皇女殿下。アジリメッタ辺境伯殿。今年は不作だと分かるのは、もう少し前だと思うが? 何故、そのときに奏上しなかったのだ?」
警戒していたアジリメッタ辺境伯が、緊張した面持ちで口を開く。普段、これほどの重鎮たちと接したことが無いからだろうか。それとも、ダートン公爵の質問だからだろうか。
「何度も奏上させていただこうとしていたのですが・・・」
非常に言いにくそうにアジリメッタ辺境伯が説明を始める。
「前辺境伯がそんな奏上をしてはならんと何度も・・・」
「それは、前辺境伯にとめられたと言うことかしら?」
アリシアの助け舟に、そうですとアジリメッタ辺境伯が頷いた。少し申し訳無さそうにしながらも。
「なぜ前辺境伯にとめられているのかしら?」
「辺境伯と言う地域柄、武力が全てという考えの者が多いのですが、前辺境伯は一番強いのです。剣術に秀でておりますし、軍学等に関することも全て彼が一番優秀でして・・・」
前辺境伯は確か、今の辺境伯の伯父だったわねとアリシアは、記憶をたどった。伯父に実権を握られていると言ったところか。
(免税をすることは恥ずかしいことだという謎のプライドで、奏上をやめる人もいるのは事実よね。でも幾らなんでも・・・)
謎のプライドとばっさりと切って捨てる。もちろん、口には出していないけれど。
「前辺境伯は今、辺境伯領に?」
「いいえ、殿下。ついでと申しまして、王都に来ております。どうやら、旧友と会うそうでして」
「では、わたくしの名で彼を呼び出させていただくのが良いかしら」
アリシアの提案に、周りの貴族たちは賛成とばかりに頷いて拍手を送った。それを総意とみなした皇女は、ケヴィンに指示を出しておき、会議の進行をおこなった。
「ではこの件に関しては、明日前辺境伯を交えての会議を開くと言うことに致しましょう。それでよろしいでしょうか? アジリメッタ辺境伯」
「はい、もちろんです。第一皇女殿下のご温情にお礼申し上げます」
「ではその通りに進めます。それ以外にも、洪水を起こしやすい川があるそうですね」
アリシアが議題を二つ目に移すと、ケヴィンが口を開いた。
「そちらはまだ、調査はすんでおりません。すぐに調査員を派遣する予定です」
「感謝致します」
礼を述べるアジリメッタ辺境伯にふとアリシアは尋ねる。
「今までは、どのように対処していたのかしら」
「は・・・今まで、ですか」
ダートン公爵が不審そうにアジリメッタ辺境伯を睨んでいる。アリシアは彼の答えや態度に違和感を覚え始めていた。
(先ほど、今年は干ばつだったといっていたわね。確か、先ほど確認した地図によると耕作地と洪水しやすいリール川は近かったはず。雨が降ることが少なかったということは、今年は洪水は起きていないはずよね?)
美しいアリシアの翡翠の瞳がきらりと輝いたのを、貴族たちは見た。




