第十二話
そしてその夜。
晃は、暖簾を下げた小料理屋の戸をそっと引き開けた。
室内には、まだ明かりがついている。
が、客はもちろん、店の者の姿も見えない-風音以外には。
風音は一人、机を拭いていた。
「ここで話してて、大丈夫なんですか?」
「店仕舞いは普段から俺の仕事だからな。特段怪しまれることも無い。・・・適当に座ってくれ」
言われて、二人は近くの椅子に腰を下ろした。
「・・・」
風音は黙々と机を拭き続けている。
「あの・・・風、いや、良一さん」
「風音でいい。その名を知る者に、上っ面の名前なんて何の意味も無いからな」
「じゃあ、風音さん。俺たちは・・・刹那を探しているんです。氷雨さんから、三の頭だった風音さんなら何か知っているかもしれないとお聞きしたので」
「だろうな」
風音は、漸くその手を止めて顔を上げた。
そして晃にまっすぐ視線を向ける。
その顔に、昼間のような笑顔はない。
「あんたからは刹那の匂いがする。・・・店に入って来た時から分かっていた」
「正確に言うと、俺ではないんですけどね」
「・・・どういうことだ?」
晃と蒼介は、影突を受けた了祐のこと、了祐が今は晃の影となっていること、そして九頭見の里跡を訪れた時のことを説明した。
その間、風音の表情は全く変わらなかった。
ただ、話を聞き終えて一言。
「・・・悪いが俺は力になれない」
「刹那の行方は知らないということか?」
蒼介が問いかける。
しかし風音はそれには答えず、布巾を置くと無言でこちらに近づいてきた。
昼間の笑顔とは正反対の、苦し気な顔をしている。
晃はそっと横の蒼介に視線を向けたが、蒼介は口元だけ笑ってみせた。
大丈夫だ、この男には殺気が無い。
二人の目の前に立った風音が口を開く。
「あんたたちの事情は分かった。・・・気の毒だと思う」
そう言って、影となっている了祐にも視線を向けた。
「氷雨は九頭見の頭としてあんたたちに頭を下げたが、俺は違う。・・・俺は九頭見を捨てた。もう、普通の人間として暮らしてる。だから、ただの町人として、あんたたちに頭を下げるよ」
そしてその場に坐して頭を地につけた。
「風音さん・・・」
「もう俺を巻き込まないでくれ。・・・刹那の居場所も影突のことも本当に知らない。あいつは俺が今こうして暮らしていることもきっと知らない。だから今後ここに現れることも無い。・・・俺は今の暮らしを守りたいんだ」
晃は、椅子から立ち上がると、風音の前にしゃがみこんだ。
肩に手を置いて、顔を上げるように促す。
「・・・一緒に働いていた女性の方は奥さんですか?」
「そうだ。この店の一人娘で・・・あいつだけは俺の素性を知っているが、親御さんも周りの人間も知らない。・・・知られたくない。俺の我儘ですまないが」
「我儘なんかじゃないですよ。幸せを願うのは誰も皆同じです。・・・ですよね?」
こちらを振り返る晃に、蒼介も頷いた。
「俺たちは、あんたの生活を壊すために来た訳じゃない。刹那の行方を知らぬなら、二度とここには来ないと誓っていい」
『・・・風音が幸せなら、氷雨も日向も喜ぶだろう』
二人の答えに笑顔を見せる晃。
ただし、了祐の声は風音には聞こえないので、風音に伝えてやる。
それを聞いた風音が、了祐の影に向かってもう一度深く頭を下げた。
「・・・遅くなるとご迷惑なのでそろそろ行きましょうか」
「そうだな」
戸口まで進んで、晃はふと振り返った。
「元気な赤ちゃんが生まれるといいですね。どうぞ末永くお幸せに」
まだ土間に座り込んだままの風音が、はっとして顔を上げた。
晃の優しい笑顔。
蒼介は笑顔は見せないものの、そこに自分を非難するような表情は感じられない。
そして刹那の術の犠牲者である了祐すら、自分の幸せを認めてくれた-。
「待て。・・・待ってくれ」
引き戸を少し開けかけた晃が、首を傾げた。
「どうしました?」
「あんたたちが話してた、石川久志という政府方の男。・・・あいつには気をつけろ」
「・・・!」
「俺は・・・何度か顔を合わせたことがあるが、あいつは人斬りを楽しんでいる。ただひたすらに自分の欲望を満たし、そのためなら何をしてもいいと思っている。・・・あいつは狂ってる」
そう話す風音は、少し震えているようだった。
安心させるため、晃は笑って見せた。
「大丈夫ですよ。了祐も蒼介さんも強いので」
すると、違うと風音が首を振った。
「あいつはもともと刀を振ったことも無い農民の出なんだ。たまたま運よく倒幕派に雇われ、そこから見取りだけで独自にあそこまでの技術を身に着けた。お前たちはあいつを殺すべきだった。・・・あいつはその隙を決して逃さない。一度勝てぬと分かれば、次には更に強くなる。化け物だ・・・決して油断するな」
驚いて口を開こうとする晃より先に、蒼介が声を掛けた。
「忠告は受け取っておく。・・・邪魔したな」




