第八話
久志の姿が見えなくなるまで山道を進んだ所で、了祐が突如その場に崩れ落ちた。
呼吸も荒く、額に脂汗が浮かんでいる。
「了祐!」
蒼介が慌ててその体を支える。
傍らを歩いていた小虎も、様子を窺うようにこちらを見ている。
「・・・さすがに長居しすぎたな」
しかも激しく動きすぎた。
全身が痛いと晃に怒られるだろうか、そう思って苦笑する。
「しばらく、晃を頼む」
「任せろ」
そして蒼介の腕の下に見えていた羽織が、一瞬歪むようにしてその色を変えた。
***
晃に替わったその顔は、まずぼんやりと辺りを見回し、そして次の瞬間弾かれるように顔を上げた。
「晃、大丈夫か」
「蒼介さん!・・・どうなったの、俺。了祐は大丈夫?」
「・・・?」
晃の言葉の意図が掴めず、蒼介は首を傾げた。晃はひどく慌てた様子だった。
「俺、覚えてないんだ。了祐と入れ替わってからの記憶が、何にもない」
あの時、少しでも了祐の力になりたいと思った。
了祐が自分を呼ぶ声も聞こえていた-早く替われ、と。
それなのに、無駄な意地を張ったのは自分だ。
結局何もできないまま、力尽きた。
あんな状態で出てきた了祐は、果たして大丈夫だったのか。
俺のせいで了祐が負けたのだとしたら。
「大丈夫だ、落ち着け」
蒼介は、了祐が現れてからの出来事を話して聞かせた。
誰も殺さず、怪我無くあの場を脱したことが分かると、晃は少しだけ安心した顔をしたが。
「でも・・・」
「どうした、まだ何かあるのか?」
「俺に戻ってから、了祐の気配が全然しない。声も聞こえないんです」
振り返れば、自分の後ろに影はちゃんとある。
蒼介は、先ほどの了祐の最後の言葉を思い出した。
しばらく、晃を頼む-了祐はそう言っていたのではなかったか。
「恐らく、あいつは少し無理をし過ぎたんだろう。しばらく出てこられないのも自覚しているようだった。・・・大丈夫だよ、少し休ませてやれ。その間は俺が守る。あいつに任されたからな」
そう言って笑う蒼介を見て、やっと晃の顔にも笑顔が戻った。
足元で体を擦り付けている小虎を撫でてやる。
お前にも心配かけたな、と。
「ありがと、蒼介さん。・・・でも俺、やっぱりもうちょっと強くなりたい」
「気持ちは分かるが焦るな。そもそも了祐も俺も、そんなことは望んでいない」
了祐が久志に向けた言葉、それは蒼介の思いとも重なるものだ。
自分たちのような人間は必要ない、そんな世の中になったと思った。
なのに現実は遥か遠く、政府は裏で旧態依然として久志のような若者を駒にして。
他方で、負けを認めたはずの旧幕派は、各地で不穏な動きを繰り返している。
「晃はそのままでいい」
「・・・いつまでも子ども扱いですか?」
不貞腐れたような言い方に、もう一度蒼介は笑う。
言葉の真意は、伝わらなくてもいい。
***
ひとまずは、ということで二人は街道に戻ると近くの宿場へ落ち着いた。
「とりあえずはゆっくり休め。疲れただろう」
部屋に入るなり一番陽当たりのよい場所で丸くなる小虎を横目に、蒼介が言った。
しかし晃は逆に問いかける。
「蒼介さんこそ大丈夫ですか?・・・刀を抜いて、実際に戦ったんでしょう?」
それを聞いた蒼介は、ああと頷いた。
「・・・そうだな。数は多かったが、左程技術は無い連中だった。殺さずに倒すことができてよかったよ」
刀を持てば、自分は嬉々として相手を殺すのではないかと。
そう恐れていた、何年も。
だが、実際にあの場で思い出したのは、了祐達と訓練を行なっていた当時の自分だった。
幕府のためと、一途に考え励んでいたあの頃。
そこには確かに、強く信じるものがあった。
なのに人斬りを重ねるうちに、いつの間にか見失っていた。
しかし、今の自分は違う。
誇りと信念を持って、新たに守るべきものを見つけた。
目の前の男が、それを俺に教えてくれた。
だから俺はもう、刀を持つことを恐れずに進める。
「俺は本当に時間を無駄にしたんだな」
了祐が久志に言った言葉が、脳裏に蘇る。
-俺は自分のような人間を増やしたくない。お前はまだ間に合うはずだ-
生きる標を失って立ち止まっていた歳月。
その間、自分のような人間を増やさぬために、きっと自分にも何かできたはずだ。
了祐は、時が止まったまま明治の世に飛ばされて、それでもそう口にできたというのに。
「歳だけ先に重ねたが、やはり了祐には昔からずっと敵わないままだ」
そう言って自嘲ぎみに笑う蒼介に、晃は首を横に振った。
「そんなことないですよ。時を過ごした蒼介さんも、時を失った了祐も・・・俺からしたら二人とも辛いし大変だったと思います。そして今回も、俺を守ってくれてありがとう」
「さっきは守れなかった。自分のことで手いっぱいだったからな。・・・それと、自分だけ辛くないみたいな言い方をするな」
蒼介が再び笑う。
ただし今度は自嘲ではなく、苦笑いだ。
晃がきょとんとした表情を見せる。
「俺?だって辛くないですもん。昔はそりゃ色々ありましたけど、今はこうして了祐や蒼介さんに会えて、なすべきことも分かってる。・・・こんな言い方したら二人には悪いけど、俺は今、自分は結構幸せだと思ってますから」
「・・・晃」
了祐はまだ目覚めていない。蒼介は、ずっと気がかりだったことを尋ねた。
「お前は、本当に怖くないのか?」
「・・・?」
「師範に言われたんだろう?・・・いつか了祐に体を奪われるかも、と」
これまでの状況を聞けば、晃の中の了祐の存在が明らかに強くなっているのが分かる。
しかも今回は、了祐が現れていた間、晃は記憶を失っていたという。
了祐が久志と戦っていたあの時、もしかして彼は身も心も完全に了祐だったのではないか。
了祐による侵食の速さは、既に師範の予想を超えているように思われた。
だが、蒼介のその考えを聞いても、晃の言い分は変わらなかった。
「赤井さんにも言いましたけど、俺は了祐と自分の勘を信じてます。それはこの先も変わりません」
言い切って、楽しそうに笑う。
「ま、確かに、これが了祐じゃなく別な人間だったら怖かったかもしれないですけどね。俺は、俺以上に了祐自身が、そうなることを恐れているのを知ってるから。だから大丈夫です。・・・もしも俺が完全に了祐に替わってしまっても、きっとあいつは何年かかっても、元に戻す方法をきっと探してくれるはずだから」
「・・・なるほどな」
確かに了祐はそういう男だ。
それでも、ここまで言い切るには、相当の覚悟がいるだろう。
ここまで信じられていると知ったら、あいつはどう思うのかな。
不器用で一途な彼の表情を想像して、蒼介も小さく笑った。




