第六話
かつて九頭見の里の端を流れていた川は、夕日が反射して黄金色に輝いて見えた。
それを見渡すなだらかな草原に、日向がぽつんと座っていた。
近づいていくと、まだ距離があるところで厳しい視線を向けられた。
「何の用だ」
「氷雨さんとの話は終わったよ。今夜はここに泊めてもらうことになった。日向と少し話せないかなと思ってきたんだけど、駄目かな」
「一の頭が許したなら、お前たちは敵じゃない。それは分かるけど、俺は」
「・・・信じられない?」
日向が大きな瞳でじっと晃を見つめている。
「危険なものは持ってないよ。・・・あ、猫は連れてきちゃったけどね」
そう言って晃は足元の小虎を抱き上げた。
それを見た日向の顔が微かに緩んだのを見て、晃も微笑んだ。
「小虎っていうんだ。優しい猫だよ、なでてみる?」
「・・・いいのか?」
「もちろん」
しばらく、晃は黙ったまま、日向に小虎を預けた。
小虎はゴロゴロ言って、日向に撫でられるままになっている。
そうして、日向の顔が少しずつ年相応の顔に戻るのを見て、少し離れたところに腰を下ろした。
「・・・氷雨さんに話を聞いたよ。日向はえらいな」
反射的に日向が顔を上げる。
動きが止まった日向の掌に、小虎が自分の頭を擦り付けた。
「なぜそう思う」
「俺に出来なかったことをやっているからだよ」
「・・・?」
「俺も日向と同じなんだ。・・・目の前で、住んでた寺を焼かれて、大事な仲間を失った」
「・・・そう、なのか」
夕暮れの中で、輝く水面を見つめる晃の横顔は、穏やかで、悲しそうだった。
「日向は皆を助けるために必死で走ったんだろう?・・・俺は何もできなかった。ただ、目の前で仲間が死ぬのを見てただけだ」
「違う、俺は間に合わなかった。遅かったんだ、全然役に立てなかった。・・・あと少し、もっと足が速ければ、頭のところに早く辿り着けて、死なないで済んだ人がいたかもしれない。全部、俺のせいだ」
「違うよ、日向のせいじゃない。・・・でも、どんなにそう言われても自分を責めちゃうよな。それも俺と同じだ。俺も、ずっと自分を責めて、差し出された手を振り払って閉じこもってた。ずっと死ぬまで一人で後悔して生きていくんだろうと思ってた」
「・・・」
「俺、昔から絵を描くのが好きでさ。特に風景画が得意だった。色んな景色を見るのが大好きだった。・・・だけど、あの炎を見てから風景画は一切描けなくなった」
「どうして?」
晃は、自分の両手に視線を落とした。
開いたその手を、そっと握りしめる。
「瞬きした瞬間、自分の描いてる絵が燃えあがるんだ。・・・もちろん現実じゃないよ。でも、何回試してもそうなる。その度にあの夜を思い出す。・・・だから今でも怖くて、描けない」
黙って聞いていた了祐は、晃と二条直隆との会話を思い出していた。
風景画はまだ描けないのか、と。
そこにはそんな理由があったのか。
「それでも俺は、今一緒に旅をしてる仲間や、離れていても俺を見守っていてくれる人たちと出会って、辛いのが自分だけじゃないって分かったんだ。皆、それぞれが後悔して、悲しんで・・・それでも必死で前に進もうとしてた」
「・・・」
「あのまま閉じこもってたら、本当に死ぬまで気づけなかった。・・・日向、お前も同じだよ。忘れろなんて、俺には言えない。忘れてしまうことはきっと、忘れられないことよりもずっと苦しい。そう、俺は思うから。きっと全部自分の中にあっていいんだよ、後悔も悲しみも。でも、それに潰されるな」
「・・・できるかな」
「できるよ。絶対にできる」
そう言って晃は立ち上がると、日向のすぐ横まで来た。
そして少しかがんで、日向の頬を流れ落ちた涙を拭ってやる。
「俺の勘はすごく当たるんだ、きっと大丈夫。・・・だから日向は、いつかちゃんとここを離れると約束してほしい。氷雨さんも心配してるからね」
「・・・うん」
「前に進まなくちゃな。俺も、日向も」
その声に込められた決意。
その強さが眩しく感じられて、了祐は思わず目を細めた。
***
小屋に戻る道を並ぶようにして歩きながら、日向が問いかける。
「二の頭を探してるんだろう?見つけたら・・・殺すのか?」
「分からない。氷雨さんにも言ったけど、俺たちにもどうしても譲れないことがあるんだ」
「二の頭は・・・俺たちが隠れずに生きていけるようにしてくれるって、いつも言ってた」
長く続く江戸の世で、生まれた時から危険視され、社会から隔絶された隠れ里で生きてきた子供達。
刹那はそんな世の中を変えるため、討幕派と手を組むことを強く主張したという。
「里長や一の頭は初めは反対してた。でも二の頭が皆を説得して、結局倒幕派についたんだ」
『・・・』
了祐は、刹那との会話を思い出していた。
信念を持って討幕派に与すると宣言していた刹那。
その信念の真実を知ってなお、自分に彼を否定することはできるだろうか。
敵の心情を知ってしまえば、きっと刀は握れなくなる。
それが分かっていたからこそ、自分はずっと心を無にして、否、心を殺して人斬りを続けてきたのではなかったか。
その了祐の後悔も包み込んで、晃は殺さない道を選ぶと言ってくれた。
たとえそれが不可能だとしても。
「日向。俺は刹那を殺さないっていう約束はできない。でも、きちんと話をする。それは約束するよ」
「俺はもう一度、二の頭に会いたい。それも伝えてくれるか?」
「約束するよ」
「・・・信じる」
ようやく、日向が笑顔を見せてくれた。
その顔は年相応の、可愛い笑顔だった。
***
次の日の早朝。
見送る氷雨と日向に礼を言って、晃たちは小屋を出た。
「これからどこに向かうつもりだ」
氷雨が問う。
そう、刹那の行方は結局分からないままだ。
時間がない、そう言った師範の言葉が重く響く。
「・・・今、あちこちで反政府の蜂起が起きていると聞きます。そこに合流していないか探してみようかと思います」
蒼介も、晃に続いて口を開いた。
「師範の情報網からも何か掴めるかもしれない。隻腕の忍び、という事実が分かったことは大きい。それに昨日お前が教えてくれた話も役に立つと思う。・・・感謝する」
氷雨が小さく笑った。
どうもこの二人は二人で、晃と了祐が日向と話していた間、それなりに仲良くなれたようだ。
聞けば同じ歳だというし。
「よかったですね、いいお友達ができて」
『絶対合わなそうに見えたけどな』
「そうそう。昨日置いてけぼりにしちゃった時は随分心細そうだったし、心配してたんですけどね」
「・・・子供扱いするな」
了祐の声は聞こえなくとも、晃と蒼介のやりとりだけで日向も思わず笑ってしまう。
それに氷雨が一瞬驚いた表情を、次に穏やかな笑みを浮かべた。
「日向も随分打ち解けたようだな。どうだ、いっそ晃に嫁にもらってもらえば。彼はいい男だと思うぞ」
「・・・え?」
『・・・?』
「・・・嫁?」
言われた日向が真っ赤になって、怒っている。
「頭!馬鹿なこと言うな!」
「そんなにむきになるな。まだ早かったか?」
いやいや、そこではない、と。
三人揃って思うことは同じだ。
「日向・・・君、女の子だったの?」
髪も短いし、言葉遣いも相まって、三人ともすっかり少年だと見誤っていた。
さらに晃は、昨日涙を拭ったりしてしまった己を思い出し、気恥ずかしさに顔を覆う。
「年頃の女の子に、俺は一体なんて気障なことを・・・」
それを聞いた日向が赤い顔のまま、ぶっきらぼうに言った。
「別に、嫌じゃなかったからいい」
「そ、そう・・・?・・・ありがとう」
『よかったな、晃』
「・・・」




