第十話
そこは座敷牢と呼ぶには広い空間だった。
高い位置にある大きな窓からは、十分すぎる程の陽が入りこんでいる。
目の前の格子さえなければ至って普通の部屋のようだった。
敢えてこのような作りにした父親の気持ちが伝わってくる。
そして蒼介は、その広い座敷牢の奥の壁に背をもたれて座っていた。
胸先まで伸びた髪、やつれた顔、そして暗く冷めた瞳。
彼は、晃を一瞥すると、すぐその瞳を伏せた。
「やっぱりな」
「・・・?」
「”影”は死んだ。・・・知ってるよ。でも、それでももし会えるのなら、鬼であろうと化け物であろうと構わない。そう思ったんだがな」
「蒼介さん」
「一体お前は何だ。何故、俺を知っている。何故、お前から”影”の気配がする。・・・まさかお前が”影”を殺したのか?」
「違います」
やはり彼も赤井と同じく、了祐の気配を感じ取っているようだ。
晃は格子に近づき、膝をついた。
「”影”は死んでいません。俺は、今日・・・あいつを連れてきました」
次の瞬間、晃には何が起こったのか分からなかった。
彼の目で唯一確認できたのは、蒼介がゆらりと揺れたように見えた、ただそれ一つだけ。
だが、気づけば蒼介はすぐ目の前で格子から右手を出し、晃の羽織の襟を掴み上げていた。
「わっ、何を・・・」
細い体からは想像もつかない強大な力で締め上げられ、息が苦しい。
顔を引き寄せられ、不穏な光を宿した瞳が晃を見据える。
「戯言を言うな。・・・先に忠告しておく。俺をこれ以上怒らせると、このままお前を殺すかもしれん。俺は人斬りだからな。箍が外れれば自分でも止められない。・・・分かったならさっさと出ていけ」
そう言い捨て、蒼介は晃から腕を離したー否。
そのはずだったが、逆に彼の腕はしっかりと掴み返されていた。
反射的に蒼介は自分の腕に視線を落とす。
桔梗色の羽織から伸びた腕―この男の羽織は、そんな色ではなかった。
この色の羽織を着ていた人間を、俺は知っている-。
弾かれるように顔を上げた蒼介の瞳が徐々に見開かれた。
「嘘をつくな。お前がそんな人間じゃないことは、俺がよく知ってる」
今まで見知らぬ人間がいた場所に座り、そう言ってこちらを静かに見つめている男は。
「・・・”影”?」
蒼介の腕からそっと手を離しながら、了祐は頷いた。
そうすると、見慣れた藍色の首巻に一瞬口元が隠れる。
「遅れてすまなかったな、”雪”」
それを聞いて、蒼介が寂しそうな笑顔を見せた。
「・・・本当だな。もっと早く戻ってきて欲しかったよ、”影”」
***
了祐は、行方知れずとされてからのことを手短に説明した。
その途中、立ち眩みのように視界が暗く歪むのを何度も感じた。
ついに姿も声も現わすことができたが、限界は間もなくのようだ。
晃への負担も心配だった。
『俺のことは心配いらないから、ちゃんと蒼介さんと話して』
そんな了祐の心を読んだように、晃の声が聞こえた。
いや、もしかして実際に読めているのかもしれない。
ここまで自分達の存在が入り混じってしまっているからには。
了祐は焦りを抑えて蒼介に尋ねた。
「信じてもらえるか?」
「”影”がそんな嘘をつく人間じゃないことは、俺がよく知ってるよ」
先程の了祐の言葉を真似て、蒼介が小さく笑った。
「今回、俺はお前の名を初めて知った。俺の名も知って欲しい。俺は・・・佐野了祐という」
「了祐、か。・・・”影”よりずっといい名だ」
了祐も口元に笑みを浮かべた。
「具合はどうだ?・・・師範もずっと心配している」
「何度も来てくれた、知ってるよ。・・・でもやっぱり師範には顔向けができない。了祐、俺はな・・・お前がいなくなった後、その代わりになろうと足掻いたんだ」
弱音を全部飲み込んで、震える自分を押し殺した。
任務を果たすことだけを考えるようにして、その他は一切考えることを止めた。
「そうしたら、いつの間にか、人を斬る時に何も感じなくなった。人を斬るあの瞬間の音も、匂いも、人を斬る刃の感触も。・・・一切が俺の中から消えてしまった。もう震えることも吐くことも無い。でもそれは、俺がただの人殺しになっただけだ。俺は、人を殺すことではなく、それを恐れなくなった自分が恐ろしかった。いつの日か、嬉々として人を殺すんじゃないか。それが怖くて・・・だからここに閉じ込めてもらった」
もう誰も傷つけないために。
それ以上に自分を守るために。
せっかく育ててくれた師範には、こんな自分を見せられない。
だから会えない、と。
了祐は、聞きながら自分の視界が暗くなっていくのを感じた。
もう本当に戻らなければならない。
心の奥が、これ以上は危険だと告げている。
「蒼介、俺は影に戻らなくちゃいならない。その前に、師範の伝言を伝えておく」
―すまなかった、もう大丈夫だ―と。
「俺もお前に言っておく。蒼介はただの人殺しなんかじゃ絶対にない。どれだけ時間がかかってもいい。前を向いて生きろ。・・・俺は絶対に元に戻って、またお前に会いに来るから」
言葉の後半は、彼自身が遠ざかるように聞こえ、そして最後はほとんど聞き取れなかった。
そうして静かになった了祐の体が、ぼやけるようにかすんだかと思うと、蒼介の目の前で、ゆっくりと先程の若草色の着物の男に替わった。




