表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
影の記  作者: 水鳥川 陸
第四章 居場所
33/67

第五話

「いらっしゃい!」


感じの良い女性の声が響く。

見渡すと、運良く角の方の、陽の光がよく差し込む上席が空いていた。


「あそこ座ってもいいですか?」

「もちろんですよ。お好きなところにどうぞ」

「あの、実は猫もいるんですけど・・・大人しくさせますので見逃してもらえませんか?」


晃の懐をのぞき込んだ賄いの女性は、にこりと笑った。


「かわいい猫ねぇ。大丈夫ですよ。どうぞ」


有難く礼を言って、角の席に座る。

奥を見れば、蕎麦を茹でているのは女性と同じ年の頃の男性一人だ。

他には店の者らしい人間は見当たらない。

かけそばを一杯頼んだ晃は、女性に尋ねた。


「感じのいいお店ですね。ご夫婦ですか?」

「ありがとうございます。今はまだ夫婦じゃないんですけどね」


そう言って、ころころと笑う。

笑顔の似合う素敵な女性だ。


「はるこ。油売ってねぇで、こっちも頼むよ」


奥から男性に声を掛けられた女性は、はぁいと返事をして駆けて行った。


『・・・はるこ』


今まで特に反応もしなかった了祐が呟いた。

晃は小さく返事をする。


「そう、晴子さんだよ」


慌てて女性の、晴子の姿を目で追う。

綺麗な着物じゃない、着古した着物に頭巾。

化粧っけのない、だが整った顔立ち。

それはやはり自分の記憶の中の母親とよく似ている。

なのに佇まいが違いすぎて、言われるまで全く気付かなかった。

いや、そもそも了祐の思い描く晴子は、いつまでも九歳のままだった。

会えない間に時は流れ、彼女はもうとっくに自分よりも年上、大人の女性になっているというのに。


「はい、かけそば一杯。こっちは猫ちゃんにね」


手を伸ばせばすぐ触れられそうなところに、会いたかった妹がいる。

会わないと誓ったはずの妹がいる。

蕎麦をすすりながら、晃は言葉少なに教えてくれた。


「赤井さんだよ。・・・あの人が調べてた」


出立に際し渡された紙きれ。

そこにはこの店の場所、そして晴子の名が書いてあった。

少し薄れかけた文字から、昨日今日調べて書いたものではないことが分かる。

やはり赤井は、自分の育てた暗殺者とその家族の末路にずっと責任を感じ続けてきたのだろう。


この間も、晴子は配膳やら片付けやらと、休む間もなく動き回っている。

だが、常連らしき客と世間話をする横顔には笑みが見え、疲れた様子は一切見えなかった。


『・・・すごく幸せそうだ』

「そうだな」

『晴子は・・・ちゃんと自分の居場所を見つけられたんだな』

「うん」



ゆっくりと蕎麦を食べ終えた晃は、再び矢立と紙を取り出した。


「おいしいお蕎麦のお礼をしなくちゃね」


そう言うと、先程と同じようにすらすらと筆を動かしていく。

晃の動きに気付いた晴子が傍に寄ってきた。


「お客さん?」

「俺、似顔絵描きなんですよ。・・・はい、どうでしょう?」

「まあ、すごい」


晴子が歓声を上げて、出来上がった絵を周りの客に見せて回る。

覗き込んだ客からも、似てるじゃないかという声が上がっている。


「将来、もしも俺が有名になったら高く値が付くかもしれませんよ。良ければ捨てずにとっておいてください。・・・お代はここに置いておきます。それでは御馳走様」


笑顔でそう述べた晃は、お代と一緒にもう一枚の紙をそっと机に置き、店を出た。



店を出ると、日差しが暑いくらいだった。

店の前で、山歩きの準備を整える。

自分用のご飯までもらえた小虎は、機嫌よく晃のそばをぐるぐる回っている。


「会えてよかった?・・・それとも、やっぱり会わない方がよかった?」

『・・・会えて、よかった。ありがとう』

「赤井のおっさんも喜ぶよ、それ聞いたら」


最後まで迷っていたのだろう。

だから了祐に直接伝えず自分に任せると言ったのだ。

押し付けられたのかもしれないが、少しは頼りにされたのなら、晃も嬉しく思う。

あれだけ頼りないだの情けないだのと言われ続けていたのだから。


「いつか、名乗れたらいいな」

『それは必要ない。一目見られただけで十分だ』


そんな話をしていると、勢いよく蕎麦屋の扉が開いた-晴子だ。


「お客さん!・・・良かった、まだいて」

「あれ、もしかしてお代が足りませんでしたか?」

「違います。お忘れですよ、このお武家さんの絵」


晴子が開いた紙を見て、了祐が絶句する。

もちろん今は見えないけれど、晃には了祐が絶句しているのが確信できた。


「ああ、そちらはまた別の人の絵なんですけど。何だかあなたに似てるので差し上げます」

「え、似てます?・・・この人が、私に?」

「ええ、優しい目元がとてもよく似ていると思います。・・・何かご縁のある方かもしれませんね。よかったら彼も大事にしてやってください」


それでは、というと、晃は軽く手を上げて振り返らず歩き出した。



遠ざかっていく後ろ姿を見送って、晴子はもう一度、見知らぬ侍の描かれた紙に視線を落とした。

暖かそうな首巻、それを見ていて、ふと思い出す。

ずっと昔、母が大事そうに首巻を抱えて、隠れて泣いているのを見た。

あれはいつのことだったろうか?


そうだ、あれは大好きだったすぐ上の兄が、突然亡くなってしまった日だ。

翌朝起きたら、兄はもういないと言われて。

夜中に出かけて亡くなったといい、遺体をこの目にすることすら叶わず。

自分も一日中泣き続けて残った家族を困らせた、あの時だ。


慌てて顔を上げたが、もうあの猫を連れた旅人の姿は見えなくなっていた。


「晴子、早く戻れよ」

「あ・・・はぁい」


晴子はもう一度彼の歩き去った方向を見やると、暖簾をくぐり中へ戻っていった。


        ***


『やりすぎだ、馬鹿。俺は晴子が見られるだけでよかったって言ったんだよ』

「でも嘘じゃないし」

『なんだよ、嘘って』

「似てるよ、了祐と晴子さん」

『・・・晴子が人斬りと似ててたまるか』

「だからそこに戻るなっての」

『それも事実だ、嘘じゃない』

「じゃあ、了祐は自分の親が嫌いなのか?」

『・・・なんでいきなりそうなるんだよ』

「お前たちはその二人から生まれた同じ兄妹だろう?似てて当然じゃないか。自分のことを否定するのは、お前の大事な親のことを否定するのと一緒じゃないのか?」

『・・・』

「黙ればいいと思ってんだろ。卑怯だな」

『違う。・・・いや違わない。お前の言う通りだ』


晃は立ち止まって笑った。


「そうやっていつも素直だとかわいいんだけどな、了祐って」


また馬鹿だなと返されると思ったが、了祐は珍しく何も言い返さなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ