第十話
「未華子は、晃が画家になる決意をして東京に来たと思っているようだけど。・・・本当の理由は聞かせてもらえるのかな?」
「それは・・・」
口ごもる晃に、直隆は優しく、だがはっきりと述べた。
「私はどんな理由であれ、晃や未華子が何か新しいことを始めるというのならば、できうる限りの協力をしたい。・・・それは兄からの遺言でもあるからね」
「・・・?」
『・・・!』
虎丸も驚いて直隆を見上げた。
「晃も知っているように、兄が死んだのは維新後だけれども、その前から体調はかなり悪化していた。内々に、私が家督を継ぐ話も進んでいたから、維新前からよく呼ばれて話をしたよ。・・・幕府のためにという名目で、晃と同じような年頃の若者を多く犠牲にしてきたと言っていた。何を守るために彼らを犠牲にしたのだろうと、ひどく後悔していた。兄自身は本当は、彼らのために最期まで戦い続けたかったんだろうね。でも、藩の皆の命を守るために、新政府に抵抗はしないと決めた。藩主としては間違いじゃなかったと私も思う。だが、犠牲となった若者は無駄死でしかない。二度とそんな時代は作るなと、何度も繰り返して、兄は亡くなった」
「・・・」
まっすぐに向けられた直隆の視線に、虎丸は射抜かれているような気がした。
何故だろうと思って気づく。
これは晃の目線だ。
晃の目で、自分も今直隆を見ている。
どうしてか分からないが、何の前触れもなく、晃の目で自分も今直隆を見ていた。
「だから、話せないことは話さなくてもいいけれど、何か困っていることがあるなら教えてほしい」
「・・・いいかな、虎丸?」
影にではなく胸元に手をあてて呼びかける。
虎丸が自分とともにあることに、晃もまた気づいていた。
ただ一人事情を知らない直隆だけが、怪訝そうに首を傾げる。
『任せる。・・・この人は、きっと大丈夫だ』
それを聞いた晃は小さく笑うと呟いた。
俺も同じ意見だ、と。
そして顔を上げる。
「二条様。・・・信じてもらえないかもしれませんが、お話しさせていただきます」
***
長い話になった。
その間、二条直隆は顔色一つ変えず、黙って話を聞いていた。
そして晃が話し終えると、すっかり冷めただろう湯呑を持ち上げて茶を一口含んだ。
その後は長い沈黙が続いた。
やはり途方もない話過ぎただろうか。
晃が少し心配になる位の時間が過ぎ、直隆がようやく口を開いた。
「さっき話した兄の話で、ひとつ言わなかったことがあるんだ。・・・兄が一番後悔していると話したこと。自分のために犠牲になった者達は全て手厚く葬ってきた。けれどもただ一人、死体も何もなく行方知れずとなった若者がいた、と」
『・・・』
「仲間内では”影”と呼ばれていて、本名はついに分からなかった。いつも藍色の首巻で顔を隠し、本音は何も語らない若者だった。自分のために本当に申し訳ないことをした、と悔やんでいたよ」
直隆は、言いながら椅子から立ち上がると、晃の目の前まで近づいてきた。
「それともう一つ。さっき道場で晃が未華子に勝った時、私には一瞬、晃の姿が別の人間に見えた。錯覚かとも思ったけれど、藍色の首巻が確かに見えた気がしたんだよ」
「・・・」
「・・・兄の願いだ。よければ君の本当の名前を聞かせてもらえないかい?」
直隆の兄の願い。
それは自分の兄-賢祐と同じではないか。
誰もが皆、彼の名を掬いあげようとしてくれる。
捨てたものは拾えばいいと、そう晃も言ってくれた。
「佐野・・・」
晃の口から出た言葉は、だが晃の声ではなかった。
青みがかった黒い瞳が直隆を見つめた。
「俺は、佐野了祐と申します」
直隆が、あの二条氏によく似た顔で笑った。
「これで兄もひとつ安心できただろう。ありがとう、了祐」




