第九話
「さっきの足払いは素晴らしかったね。晃があんなに柔術を極めているとは知らなかったよ。未華子も一度は落ち込んだが、俄然やる気が増したようだね」
にこにこと話す直隆。
ここは彼の書斎だ。
食後、二人で話そうと連れられてきたのだ。
未華子も同席したがったが、晃を困らせた罰として部屋で大人しくしているように言いつけられ、悔しそうに下がっていった。
「あれは・・・たまたまです。それまでは投げ飛ばされ続けてましたから」
と言って頭を下げた晃は、ここぞとばかり足元の影を睨みつけた。
「それも見てたよ。少し前からね。・・・なあ、晃。私も、養子に出るまではかなり熱心に剣術や体術を習わされていたからね。基本的なことは一通り分かっているつもりだ。その上で言わせてもらうと、あれは偶然できる動きじゃないと思うがね」
直隆はあくまで穏やかな物言いを崩さないが、目を逸らすことなく真っ直ぐに晃を見つめていた。
「・・・一瞬のことで、よく覚えておりません」
「なるほど。とりあえずそういうことにしておこう。こちらも、未華子が随分迷惑をかけてしまったからね。嫌な思いをしただろうが、どうか勘弁してやってほしい」
晃は大きくかぶりを振った。
「そんなことありません、俺の方こそ迷惑をかけているから。・・・未華子さんには、俺のことはもう忘れて、幸せになってほしいと思っています」
直隆は、それまで以上に口角を上げて笑った。
「私からしたら、未華子も君も互いを思いやりすぎだな。ただ、未華子はあの性格だ。強くなって人を守ること。確かに初めは責任感だったかもしれないが、今はそれをきちんと自分の生きる標として前に進んでいる。だからあの子のことは心配いらない。それより、晃。・・・あの時から、立ち止まったままなのは君だよ」
「・・・」
「後悔するのは、あの時代に打算や恐れで実際に動けなかった私たち、大人だけでいい。・・・晃、あの時は守れなくて本当にすまなかった」
その瞬間、虎丸の目の前が真っ赤になった。
何かが燃えている-火事か?
晃に声をかけようとして、しかし気づく。
違う、これは今じゃない。
何も燃えてない。
これは晃の記憶だー。
***
目の前で、お堂が勢いよく燃えていた。
火をつけられたのだということは分かっていた。
静安も自分も、火の始末には特に気を使っていた。
御本尊様を守るため、そういつも厳しく和尚様に言われていたから。
静安に叩き起こされて、和尚様と共に外へ飛び出した。
それを見届けると、静安は、井戸の水を被り中へ引き返そうとする。
「静安!」
「運び出せるものがないか見てくる。お前は和尚様をお守りしろ」
そして静安が中に入ってすぐ、梁が崩れ、御堂は崩壊した。
「静安!!」
翌日になっても、辺りには焦げた匂いが深く残っていた。
いつかはこうなるかもと言われていた。
新政府が出した御触れにより、各地で廃仏毀釈-寺が襲撃される事件が起きていると聞いていた。
「静安が死んじゃったんだ・・・」
背後に立つ誰かに向けて、晃は話しかけた。
「俺が・・・もっと強かったら守れたのかなぁ」
しかし和尚は、誰も何も恨んではいけないと言うのだ。
きっと良くなると信じた新しい時代のことも。
寺に火をつけた誰かのことも。
そして静安を救えなかった自分のことも。
「でも・・・俺は全てが憎い。憎まないなんて無理だよ」
涙が次から次へと地面に落ちて吸い込まれていく。
「晃には無理よ、弱いもの」
敢えて強い言葉が背後からする。
強い言葉なのに、それは泣き声で。
「私がもっと強くなる。強くなって、絶対にもっと違う世を作ってみせる。・・・だから晃は、それを待っていて」
***
虎丸が我に返ると、そこは二条邸の書斎に違いなかった。
晃の記憶が見えたのは、ほんの一瞬の出来事だったようだ。
『晃・・・』
思わずつぶやいた言葉にも反応は無く、晃は俯いたまま。
「絵は、やはりまだ描けないのかい?」
「・・・時々、遊びで町の人の似顔絵を描いたりはしてます。特に子供達が喜んでくれるから。でも、風景画は描いていません。どんな景色も、描けませんでした」
火事が起きる前、晃はよく寺や御本尊様の絵を描いていた。
それは全部燃えて無くなったはずだったが、火事からしばらく後、散々に引き裂かれた彼の絵が道端に捨てられているのを見つけた。
人々に求められるまま描いて渡した絵は、いつの間にか憎しみの対象にされていた。
もしかするとこの絵のせいで火をつけられたのかもしれない、そう思った。
自分さえ大人しくしていれば、静安は死ななくて済んだのかもしれない、と。




