第五話
東京の朝は、早くから既に喧騒に包まれていた。
赤井は、とりあえず晃の足が全快するまでは東京に留まるべきだという。
「その間に俺の方の返事も来ると思うからよ。何だったらそれを待つ間、東京見物でも行くか?・・・本当にこの数年ですっかり変わっちまったからな、この街は。色々面白いもんもあるぜ」
しかし、虎丸は少し黙って、そしてこう答えた。
『ありがとうございます。・・・でも、行きたい場所があるんです』
「・・・?」
それは晃も知らなかった。
でも確か、旅に出る時にも何か言いかけていたのではなかったか。
『実家がどうなっているのか、確認してきます』
「・・・そうか、お前は東京の生まれだったか」
赤井は小さく頷いた。
赤井は表向き、”裏”の人間の素性も名前も一切聞かなかった。
必要なのは腕-技術だけでいい、と。
しかし実際には赤井は”裏”への選定にも関わっていたと聞く。
何も知らないはずがない。
だがしかし、その後に続く言葉は何も無かった。
***
赤井の住む長屋から虎丸の実家がある武家屋敷通りまでは、同じ東京とはいえ少々距離がある。
人力車に乗るかどうか悩んだが、結局歩くことにした。
確かに赤井の言う通り、行き交う人や建物を見て歩くだけでも何だか胸が躍る-少なくとも、晃は。
そして足元を歩く小虎も、田舎の野山とは違う刺激に興味津々のようだ。
その一方で、虎丸は長屋を出てから言葉少なで、緊張しているのが分かる。
急ぐなら人力車にしようかと問いかけると、自分には必要ないと強く断わられた。
「・・・怖い?」
『・・・分からない』
「もし、家族に会えたらどうする?・・・俺は、出来るなら体を貸すよ」
『会わない・・・会えないよ』
七年という月日、しかも自分たちの主である幕府を失った御家人一家。
どうなっているのだろうか。
それでも、どんな形でもいいから皆生きていてくれればいい。
自分がいなくても、幸せに笑っていてくれればいい。
それを遠くでいられるだけでいい。
***
見覚えのある通り。
十三歳で家を出て以来、一度も帰ったことのない場所だが、それでも記憶は残るものらしい。
洋風建築の建物や新しい家に並ぶようにして、懐かしい屋敷や店が見えた。
そして、そこを走り抜ける幼いころの自分の幻も見えた気がした。
ゆっくり歩く晃に、かける声が微かに震える。
『あそこだ』
通りの角に立つ一軒の武家屋敷。
そのまま、何も変わらず残っていた。
「・・・訪ねてみようか?」
虎丸の返事より早く、門から小さな子供が走り出てきた。
「父ちゃん、早く!!」
呼ばれて後から出てきたのは、虎丸の見知らぬ男性だった。
虎丸の動揺が、晃にも伝わる。
あれは一体誰だ?
「・・・虎丸?」
晃が小声で呼びかけるが、返事がない。
意を決して、晃は男性に声をかけた。
「すみません、お急ぎの所。少々お尋ねしたいのですが・・・」
呼びかけられた男性は、人の好さそうな顔をこちらに向けた。
子供は小虎に気付き、寄ってきて頭を撫でた。
小虎も大人しく撫でられるままになっている。
「どうされました?」
「あ・・・実は私の父がこちらに住まれているお武家様に、以前大変お世話になったもので、一度是非お礼をと思ってお尋ねしたのですが」
もしものために、と歩きながら考えていた文句をすらすらと述べる。
すると男性は困ったように笑った。
「申し訳ないのですが、実は私は昨年商いのためこちらに越したばかりでして。・・・二年程空き家だということで、一旦お借りしておるだけなのです。以前の方のことはよく存じ上げません」
「父ちゃん、早くしないと紙芝居始まっちゃうよ!」
子供は当初の用事を思い出したのだろう。
それに急かされた父親は、晃に頭を下げて去っていった。
数年前から空き家だった屋敷。
どうしてこう、嫌な予感しかしないのだろう。
会話を聞いていただろう虎丸は全く声を発しない。
「あの・・・」
後ろから突然かけられた声に驚いて振り返る。
一人の年配の女性が立っていた。
「すみません、お話が聞こえちゃって。私、お向かいの屋敷で五年前から働いてるんですが。・・・こちらに住まわれていたお武家様・・・佐野様でしたらもうおられませんよ」
心臓が大きく音を立てる。
きっとこれは虎丸の心臓の音だ。
「・・・どういうことでしょう」
「ご主人様も息子さんも、御一新の戦争で亡くなられたんです。息子さんは、北海道の方まで行かれたと聞きました。奥方様はそれですっかり気を落とされて、後を追うように病で間も無く・・皆さん、私たちのようなものにもお優しい方たちでしたのに・・・」
涙を浮かべて話す様子に、嘘は感じられなかった。
『妹は・・・晴子は?』
呆然と呟く声は、もちろんこの女性には聞こえていない。
「・・・お嬢さんがおられたと聞いていたのですが」
「晴子様ですね。・・・お一人で残られた晴子様は、佐野家を継がれずにお屋敷を出られました。その後のことは分かりません」
礼を言って、女性が向かいの屋敷に入っていったのを見届けて。
晃は、もう一度、虎丸の実家を見上げた。
「・・・佐野っていうのか、お前」
『ああ』
「名前も教えてくれよ」
『虎丸でいい。・・・佐野の氏も、もう家がないから不要だ。ある程度予想はしてた・・・だから俺のことは心配いらない』
その時、優しいくらいに心地よい風が吹き抜けていった。
「なぁ。やっぱりあれ、できないかな」
『・・・?』
「やっぱり俺の体貸してやるから、ちゃんと自分の目でこの家を見て、この場所の空気や、匂いを感じておけよ」
『・・・そんなに簡単に出来るものじゃないだろう』
虎丸が小さく笑った。
あれから二人で何度か試してみたものの、結局一度も成功しなかったから。
「大丈夫だよ。・・・俺、ずっと思ってたんけど。お前は普段すごい冷静だけどさ、何かの拍子にすごい感情が大きくなった時・・・怒ったり悲しかったり嬉しかったりとか・・・そう言う時に、俺を押しのけて表に出てきちゃうんじゃないかな」
旅籠では、虎丸は晃を守るために必死だったという。
もしこの自分の考えが正しいなら、きっと今ならいけるはずだ。
「その代わり感情を抑えようとするな。・・・泣きたきゃ、泣いてもいいからさ」
そういうと晃は瞼を閉じた。
それは決して長い時間ではなかったけれど。
再びゆっくりと瞼を開ける。
普段の晃の茶の強い瞳とは異なる、青みがかった黒い瞳。
その瞳が一瞬驚いたように見開かれ、そして眩しそうに懐かしい我が家を見つめた。
「ただいま。・・・遅くなって、ごめん」




