第三話
普通の人間には虎丸の声は聞こえない。
それは衝撃の事実だった。
これまでずっと、虎丸の声を気にして宿屋を選んでいたのも不要だったということだ。
逆に自分は、単に独り言を言う不審者に見えていただろう。
何だか落ち込むよな、と晃は思った。
一方の虎丸は先ほどから、居住まいを正して師範を眺めていた。
明らかに歳を重ねた師範の顔に、七年の歳月を改めて実感する。
”裏”に入って初めの半年、鬼のような師範に、徹底的に殺人剣を仕込まれた。
道場では決して学びきれない、本気の殺し合いの方法だ。
虎丸にとって、未だに師範は畏怖の対象だ。
ただ、なぜあんな綺麗な人と夫婦になったのかは気になっている。
大人しくて綺麗な人だが、その実相当肝の座った女性なのだろうと思う。
「・・・”影”?」
「虎丸?どうかした?」
両人から呼び掛けられて我に返り、人知れず赤面する。
下衆の勘ぐりじゃないかと自分を叱咤する。
”影”でよかったなと、初めて思った。
「いえ、失礼いたしました。大丈夫です」
赤井は、遠い目をして天井を見上げた。
「俺は、お前が行方知れずだという報告を受けていたよ。信じられなかった。・・・あの当時、組織の中で一番腕が経つのは間違いなくお前だった。任務を投げ出して逃げるような奴でもなかったからな。自分で探しに行きたかったが・・・すまないな、出来なかった」
当然だ、出来るわけがない。
たとえどんなに情が湧こうと、自分たちは幕府の使い捨ての駒。
そして赤井は失った分その駒を増やすのが仕事だったのだ。
行方知れずの駒を探す余裕などありはしない。
赤井だけではない、”影”もそうして多くの場面でたくさんの仲間の命を見捨ててきた。
『・・・俺がもっと強くなければならなかったんです。・・・間に合わなくて、申し訳ありませんでした』
赤井は、小さく笑うと、”影”の頭の部分をポンポンと撫でた。
「・・・死なずに戻ってきてくれただけで充分だよ。・・・俺は後悔はしねぇ。あの時、お前らを育てたことは間違いじゃなかったと思ってる。けどな、頑張って強くなった若い奴らが次々死んじまって、それでも俺は生きてて、時代は変わり続けてる。そう考えると、どうも落ち着かなくってな」
ああ、この人は。
後悔しないと言っているのに、すごく後悔しているんだ。
晃はそう感じた。
嘘で隠さないとやり切れないくらい、きっと辛い思いをいっぱいしたんだろう。
『・・・・』
虎丸は何も言えずに黙っていた。
泣いているのかもしれない、と晃は思った。
そんな空気を換えるように、赤井がうるさい位に大きく手を打つ。
「ま、湿っぽい話はこのくらいだ。お前の問題がまだ解決してないからな。・・・あの当時、倒幕派についていた忍の噂は聞いている。九頭見の一族といい、非常に特殊で危険な技を多用し、それを幕府から危険視され、昔から隠れ里に住んでいたんだそうだ。それが理由は分からんが、討幕派と組んだ。お前がかけられたという影突って術は、俺はこれまで聞いたことが無い。九頭見の術で間違いないと思う」
『・・・解けますか』
「どんな技であろうと、忍びの術の解き方は二手のみ。お前も知っているだろうが、一手は術をかけた本人が解くか死ぬ。もう一手はかけられた側が自力で解く。・・・まあ、さらに言えばかけられた方が死ぬっていうのもあるが、それは術が解けたわけじゃないからな。いずれにせよ・・・例外は無い。例え九頭見だろうとそれは一緒のはずだ」
『術は解けてない。刹那は生きています』
「じゃあ、そいつを見つけて術を解かすか・・・殺すか。ただ一つ、問題がある」
『・・・?』
「九頭見は維新後、明治政府によって壊滅させられた、と聞いている」
「・・・!!」
『・・・!!』
二人は息を呑んだ。
「力は借りたものの、御しがたい。しかも自分たちのどす黒い闇の部分を知りすぎた連中だ。初めから、維新が成れば消すつもりだったんじゃねえかと思うがな」
『でも刹那は死んでいません。他にも生き残った者がいるんじゃないでしょうか』
「そうだな。それについても俺の方で調べてみる。何しろ、隠れ里の場所っていうのがそもそもはっきりしてなくてな」




