第四話
食後に風呂を済ませて部屋に戻ると、既に小虎は布団の上でいびきをかいて寝ていた。
よいしょ、と声に出して、晃が布団ではなく畳に寝転がる。
そうすると、影により近づける感じがする。
「勢いでここまで来ちゃったけどさ、できればもう少し詳しく聞いてもいい?・・・虎丸が影になった訳」
それは虎丸自身も思っていた。
何も聞かずに、二つ返事で東京への旅を引き受けてくれた晃。
対して自分が明かしたのは、二条家に関する任務の途中に忍びの術を受けてこうなったこと、それが今から七年も前の出来事であること、それだけだ。
自分は彼に名前さえ明かしていない。
『俺は・・・武家の子なんだ。武家とはいってもお目見え以下の御家人の家で、そのまま行っても出世の見込みも無いような家柄だ。勉学が得意な兄と違って、自分は勉学はからきしだったけど、剣術だけは誰にも負けなかった』
通っていた道場では、十二歳で師範代になっていた。
優秀な兄もおり、嗣子としての重圧も無く、ゆくゆくは道場を継ぎ生きていくのだろうと、自分だけでなく家族もそう思っていた。
しかし。
ある日、父が江戸城に呼び出された。
夜遅くに青白い顔で戻った父はそのまま無言で自室に籠り、翌朝まず兄を、次いで母を呼んだ。
『父の部屋から出てきた二人とも暗い顔をしていたけど、自分には理由が分からなかった。分かったのはその日の夜。俺を部屋に呼んだ父は、俺に頭を下げて言ったんだ。・・・家と名を捨て、徳川のために命を捨ててくれ、と』
諸藩が幕府に対し公然と反意を現し始めたあの頃、幕府要人の暗殺も増え始めていた。
対抗する警備組織として、表立っては新選組や京都見回り組等が作られていたものの。
当時の幕府が密かに求めていたのは、決して裏切らず、決して表に名を出すこともなく、ひたすらに汚れ仕事を任すことのできる”裏”の精鋭部隊だったのだ。
『幕府の禄で生かされている御家人の次男。俺は適任だったんだろう。』
そうして、家の存廃をちらつかせれば、父に断ることは出来ない。
もちろん、自分にも断る理由などない。
『そして俺は、世間的には病で死んだことになり、”裏”の一員になった。・・・人もいっぱい殺してるし、逆にいつ殺されてもおかしくなかった』
それなのに、今、自分は忍びの術を解き、まだ生きようとしている。
それは巻き込んでしまった晃のためだと言ってはいるが、本当は自分が助かりたいだけじゃないのか。
そう問いかける自分自身がいる。
虎丸の話を黙って聞いていた晃は、最後に小さく息をついた。
「自分が生き残っていることを後悔するのは、お前が殺した人への侮辱だ。お前は殺した人達の分も生き抜かなくちゃいけない。俺はそう思うな。・・・お前はむしろ、その人たちの分も背負っていくために、やっぱり早く人間に戻らなくちゃ駄目だ」
『・・・晃』
晃は、笑顔でポンポンと影を軽くたたいた。
「乗り掛かった舟だ。俺も手伝うからさ」
***
翌朝。
不要と言われたにもかかわらず、晃は結局早くに起きて飯の支度や土間の掃除を手伝った。
旅籠の夫婦には随分感謝され、出立前には握り飯と煮干しを包みいっぱいに持たされる程である。
ついでに言うと、手渡してくれた娘も、随分と名残惜しそうにしていた。
旅籠を出た晃は、小虎と影の虎丸を連れ、再び街道を歩き始める。
「いやぁ、なんか得しちゃったね」
『お前の人徳だろう』
「情けは人のためならず、って和尚様の受け売りだけど。・・・もしまたこの道を通ることがあれば、必ずまたここに寄ろうな」
その言葉は、当然虎丸も一緒にという響きを含んでいて、彼は声に出さずに苦笑した。
いつか-それは本当に自分の行く末にあるものなのだろうか。
「あ?お前今笑っただろう」
『笑ってない』
「分かるんだからな、何となく」
『笑ってないって』
「う~ん・・・顔が見えないってのは卑怯だな」
『そうか?』
「当たり前だろ。風呂も便所もこっちの行動はすべて虎丸に握られてるのに、こっちは何もできないなんて絶対卑怯だよ」
『そういう時は関与しないようにしてる』
目を閉ざせば何も見えないし聞こえない。
地の底はずっと、自分一人だけの孤独な世界だ。
時に自分の存在すら忘れてしまいそうなくらいに。
「せめてこないだみたいに虎丸が見えるようにならないかな。・・・小虎」
すぐ脇の草むらで蝶を追いかけていた小虎が耳を立ててこちらを見ている。
晃は小虎を抱き上げて虎丸の影に近づけた。
「あの時はお前が鳴いたら見えたんだけどな。試しに頼むよ」
遊びを邪魔され不機嫌そうな小虎は、だが腹を撫でられると嬉しそうに喉を鳴らし、一声鳴いた。
晃が影を凝視する。
「・・・」
『・・・どうだ』
「全っ然見えない。やっぱ駄目かぁ」




