英雄の面影
シン州、ロクル市――タカ捜査署。
ローゼルト組による誘拐未遂事件の後、イシハルは自身の保護のため、個室に孤立して収容されていた。
突然、室内に心地よい風が吹き抜けた。
空間が歪み、時空の扉が開く。そこから現れたのは、銀髪に翡翠色の瞳を持つエルフの少女――エマであった。イシハルの覚醒を察知して駆けつけたのだ。
エマはイシハルへと歩み寄り、その場に膝をついて頭を垂れた。
「お帰りなさいませ……始祖様」
イシハルは困惑した様子で彼女を見つめる。
「何のこと……? 始祖って誰?」
エマは驚きに目を見開き、密かに呟いた。(……記憶を失っておられるの?)
彼女は意を決し、恭しく答えた。
「貴方様は偉大なる始祖……『エリカド・ジョンシール』様です。かつて魔王の軍勢を一人で滅ぼしたお方……」
「僕……本当に君が何言ってるのか分からないよ」
エマは震える声で尋ねた。
「……お身体の状態を調べさせていただいてもよろしいでしょうか?」
イシハルはエマをじっと見つめ、幼い笑みを浮かべた。
「うん。お姉さん、優しい人みたいだから……いいよ」
エマはイシハルに近づき、その頭に手を置くと、不思議な呪文を唱え始めた。
イシハルが不思議そうに見つめる中、エマの目からボロボロと大粒の涙が溢れ出した。
彼女は膝から崩れ落ち、激しくすすり泣いた。
彼女の脳裏に、記憶の奔流が流れ込んできたのだ――。
赤髪と紅の瞳を持つ男、エリカド。
貧困の中にいた幼い自分を抱きしめ、育ててくれた恩人。共に過ごした穏やかな日々。そして、たった一滴の血で魔王軍を壊滅させた、絶対的な魔法の力。
だが、同時に見えてしまった――彼の凄惨な最期が。
突如現れた謎の魔法がエリカドの力を吸い上げ、その魂をこの現代世界へと転移させ、彼の肉体が消滅していく様を。
イシハルはそっと歩み寄り、彼女の頬の涙を拭った。そして穏やかで無垢な声で囁いた。
「泣かないで……僕たちはみんな、決められた運命のもとに生まれてきたんだから」
その言葉に、エマはイシハルの面影の中に、はっきりとエリカドの姿を見た。
彼女は立ち上がり、涙を拭って力強く頷いた。
「参りましょう……ここからお出しします」
イシハルは彼女の手を握り返した。その姿はまるで、仲睦まじい母親と息子のようであった。
次の瞬間、二人の姿はかき消え、深い森の中へと瞬間移動していった――。
――つづく――
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