PHASE II-23|侵蝕
「桐生隊長の第二回公判、資料まとめてあります」
白倉は士官用ラウンジのテーブルに書類一式を揃えて置いた。
向かいに座る冴木は資料を受け取り、数枚めくって内容を確認すると、珈琲の香るカウンターや革張りのソファへ視線を巡らせた。
「……軍のラウンジにしては、ここは意外とちゃんとしてるね」
窓ぎわの席には、やわらかな陽が差し込んでいた。
近くに置かれていた白磁のデザートプレートへと目を留め、冴木は表情を緩める。手元のカップを口元へ運び、珈琲をゆっくりと味った。
「いい豆、使ってるね」
「デザートも評判いいみたいです。タルト生地には、アールグレイを練り込んでいるらしくて」
冴木は軽く頷き、フォークでタルトの端を切る。
「……ああ、だからか。香りが少し柔らかいと思った」
満足そうな冴木の様子に、白倉は書類の束を手元へ引き寄せ、上から順にページをめくった。
「今回の公判での隊長側の主張、これ、何ですかね」
「どのあたり?」
「通信のところです。未登録の信号とか、軍規格じゃないとか」
そう言って、該当する箇所を指で押さえ、資料をテーブルの中央へ寄せる。
「この部分です。現地で、未確認の電波が飛んでたってことでしょうか」
「……妙だね」
資料に目を落としたまま、冴木は少し考える。やがてページをめくる手を止め、話題を変えるように顔を上げた。
「任務の方は、どうなってる?」
白倉はタブレットを取り出し、手元で画面を開いた。
「予定通り現地に到着して、前線拠点の展開も完了しています。現在は回収に向けた準備段階で、各班とも出動待機の状態です」
「この報告、何?センサーの検知結果にばらつきがある、って」
「軽微な誤差なので、問題ないと判断されています」
該当ログを開き、白倉は内容を追いながら続ける。
「現場では環境要因によるものだろうと」
「誤差で済むかもしれないけど、今回の任務、情報が少ない。気にしておいて」
「分かりました。関連ログは優先的に拾っておきます」
白倉はタブレットの表示を閉じてテーブルに戻し、手元のグラスに指をかけた。薄く色づいたフルーツティーが光を受けて揺れる。
「……こういう場所での打ち合わせも、たまにはいいですね」
「そうだね。場所が変わると、頭の回り方も変わるよね」
「次は、隊長も誘ってみますか……あ、いえ、その……今の件が落ち着いたらですが」
言い直すように口にしてから、白倉は少し気まずそうに言葉を止めた。冴木はカップを置き、少しだけ笑う。
「次は三人で。嫌がっても、引っ張ってこようか」
白倉は小さく頷いたあと、すぐに何かを思い出した顔をした。
「隊長の左肩の傷、まだ響いているのでしょうか」
「医療側には確認してる。監察補佐官がフォローに入ってるみたいだし、経過も安定してるって」
「監察補佐官、……篠宮さん、でしたか」
「そうそう。可愛いよね」
「資料を見た限りですが、以前から何度か隊長と同じ案件を担当されてるようです」
「長い付き合いみたいだね」
「業務上の関わりにしては、隊長への対応が随分丁寧ですね」
「気づいた?」
冴木は軽く受けてから、少し面白がるように続けた。
「分かりやすいよ。彼女、隊長のこと好きでしょ」
白倉が言葉を返す前に、テーブルの脇で足音が止まった。
「失礼します。よろしければ、こちら……」
カウンターの奥から出てきたスタッフが、小皿を差し出す。小ぶりの焼き菓子が二つ並んでいた。抹茶を練り込んだようなやわらかな緑色で、表面に薄く焼き色がついている。
「来月から出す予定です。試作なんですが」
「へぇ、いいね。こういうの、嬉しい」
「よかったら、感想いただけると助かります」
「もちろん。ちゃんと味わっておくよ」
冴木は顔を上げて、柔らかく笑った。
短いやり取りのあと、スタッフは安堵したように下がっていく。
「……冴木さんって、誰にでもそうなんですね」
「そうって?」
「その顔で、ああいう笑い方をされると……相手、困ると思います」
「別に、何もしてないよ」
「隊長にも、やけに距離が近いですよね……それも、やっぱり……」
「計算じゃないよ」
白倉の言葉を一度受け止めるように、冴木は少しだけ間を置く。
「隊長にも、よく言われるよ。やめろって」
「無意識なんですか」
冴木は、テーブルに両肘をついた。悪びれた様子もなく、さっき出された焼き菓子をもう一度口にする。
「どうかな……気づいたら、そうなってる」
「気づいたらって……それ、」
胸の奥に引っかかった言葉を、白倉はそのまま飲み込んだ。
「ん、何?」
「いえ。なんでもありません」
*
零域前線展開拠点【ZΩ-00/FWD】
敵支配区域 外縁接触ライン
前線拠点/先遣隊帰還予定時刻
神崎率いる六班先遣隊の帰還予定時刻は、すでに過ぎていた。通信は途切れたまま。追跡に出したドローンも、救出予定の観測チームの信号源付近で消息を絶っている。
分析班のコンテナ内では、通信担当が呼び出しを繰り返していた。
「先遣隊、応答ありません」
「困ったね」
情報分析担当の横で、柔らかい声が返った。
長い髪をひとつに結い、肩の横へ流した長身の男が、分析班のコンテナ内で表示を確認している。
三班班長、綾瀬 千景
撤収支援、救出、機動補助を担う三班の指揮官だった。
「ドローンは」
「追跡不能です。映像は返っていますが、現在座標が確定できません」
「六班の神崎班長からも、応答なしですか」
綾瀬は乱れた座標の表示を確認してから、隣に控えていた副班長へ向いた。
「戌亥くん」
「はい、綾瀬班長」
「三班を出そう。救出装備は軽量で。搬送具は二基、機動補助は先行。帰還導線を先に作ってください」
戌亥は、信頼する班長の穏やかな顔を見て、小さく頷く。
「了解しました」
「準備が整い次第、出発します……それと、阿久津くんの様子は?」
「四班の鷹羽根班長が付き添っています」
「まだ、気持ち悪いと?」
「そのようです」
「桐生隊長不在で阿久津くんが不安定になるのは分かります。けれど、今回はそれだけではなさそうですね」
結んだ髪の根元に指を添え、綾瀬は優しげな目元を曇らせた。
*
崩れかけた施設の脇で、観測チームの小型発信機が点滅していた。建物の外壁は何かに食い荒らされたように剥がれ、入口の扉は片側だけ開いたまま歪んでいる。
「……なんでこんなところに落ちてる」
緋堂は手袋越しに小型発信機を拾い上げた。指先で軽く泥を払ってから、神崎へ手渡す。
「観測チームのものか」
「反応は一致してます」
神崎は入口の奥を見据えたまま、低く言う。
「中を確認する」
「自分が先に行きます」
羽柴は返事を待たず、建物内へ踏み込んだ。
中は薄暗く、破損されたセンサーポッド、小型観測ドローンの残骸が床に散っている。
緋堂も続いて中へ入り、吐きかけた悪態を喉の奥で止めた。
「……なんだ、これ」
非常灯の赤い光の下に、観測チームの隊員が数人、折り重なるように横たわっていた。
識別タグ、手袋をつけたままの腕。身体は人の形を保っていない。露出した皮膚も、装備の隙間から覗く肉も、無数の小さな歯で食い千切られたように欠けていた。
「……全滅か」
「いや、生存者を探せ」
後方で索敵担当の隊員が、熱源探知端末を見たまま声を上げた。
「神崎班長、熱源来ます」
端末の画面に、点状の反応が次々と増えていく。
「敵性反応か」
「分類できません。数は…‥追えません。……これ、まだまだ増えてます」
端末の警告音が、途切れず鳴り続ける。
壊れた観測機材の継ぎ目から、黒い粒が這い出した。
床の亀裂、壁際、散乱した装備の影からも、同じ黒が滲むように広がっていく。
緋堂が即座に声を張った。
「全員下がれ。群体虫型兵器だ」
*
前線拠点の士官待機区画に置かれた簡易コンテナの中で、阿久津は簡易ベッドの端に座っていた。
毛布を肩に掛けたまま、壁の一点を見ている。血の気の薄い肌はいつものことだが、今日はその白さがコンテナの照明に余計に冷たく見えた。
「朔夜ちゃん、生きてるー?」
軽い声が入口から飛んだ。
四班班長、鷹羽根 紫苑。
近接補助、屋内制圧、機動戦を担う四班指揮官。
扉に寄りかかり、雑に流した金髪の下で、鷹羽根は笑っていた。
「死んでるなら返事して」
「……うるさい。朔夜って呼ぶな」
「いいじゃん、減るもんじゃないし。呼んでいいのは桐生隊長だけだもんね」
阿久津は毛布を握ったまま、鷹羽根を睨む。
「隊長には会えた?例の副官が連れてってくれたんだっけ」
「副官は好きじゃない」
「でも、わざわざ声かけて連れて行ってくれたんでしょ」
不満そうに口元を歪め、阿久津は黙ったまま肩を丸めた。
「それは、そう」
「じゃあ、そこは感謝しときなよ」
「……隊長、手枷してた。許さない」
「軍警察も大袈裟だね」
鷹羽根は寝台の隣へ腰を下ろした。軽い調子で近づくくせに、阿久津が嫌がる距離だけはきっちり避けている。
「隊長、戻るって言った」
「じゃあ安心だ」
「違う、安心じゃない」
阿久津は毛布を払い、寝台から立ち上がった。
「朔夜ちゃん?」
呼びかけに答えず、壁に掛けていた短銃身の自動小銃を手に取る。細い指が慣れた動きで安全装置を外し、弾倉を確認する。
「隊長が言った。二班が、前に行けって」
鷹羽根の口元に残っていた笑みが、そこで薄くなる。
「来る」
阿久津は入口の方を見た。血の気の薄い顔に、さっきまでの不機嫌とは違う色が混じっている。
「たくさん来る。退いて」
鷹羽根が半身をずらした瞬間、阿久津はその肩越しに銃口を上げた。
発砲音が簡易コンテナの中で弾ける。
弾は開いた入口を抜け、外壁の継ぎ目へ食い込んだ。張りついていた黒い粒が散る。細い脚を持つ小さな黒い点が、壁の継ぎ目からばらばらに剥がれ、すぐにまた寄り集まる。
「……群体虫型兵器?」
鷹羽根が腰の銃を引き抜く。
銃口を傾け横へ振り、続けて撃ち込んだ。
床下の配線口、外壁の影、仮設灯の支柱の根元。黒い群れが、音もなく急速に広がり始めていた。
「朔夜ちゃん、後ろ下がって」
「いやだ、邪魔」
「だよね」
床下の配線口から、黒い粒があふれる。外壁の継ぎ目を這っていた群れが、仮設灯の支柱を伝い、通路の床へ広がっている。
鷹羽根が片手でコンテナ内の固定通信機を叩く。
「こちら士官待機区画。敵性群体を確認。たぶん群体虫型兵器。全区画、警戒レベルを上げて」
固定通信機の向こうで、雑音が跳ねた。
『こちらでも確認しています。反応、多すぎます。追えません』
「焼却系かEMP系、誰か持ってきてる?持ってきてないよね、知ってた」
『群体虫型兵器だけではありません。全通信系に異常。補正信号が削られています。空気中に、微細な──』
音が途切れた。
次の瞬間、情報班のコンテナの方から悲鳴が上がる。
黒い機械仕掛けの虫の群れが足元の地面を這い、草地と岩の隙間を埋めるように漆黒の絨毯となって押し寄せ、あたり一面を埋め尽くしていく。




