PHASE II-24|拾遺
零域基地の執務区画へ戻る途中、冴木は紙袋を持ち直した。中には、バゲットサンドとクロワッサンサンドが入ったランチボックスが二つ。軍施設の無機質な廊下に、焼いたパンとハーブのいい匂いがふわりと香っていた。
執務室の扉を開けると、白倉は補佐官席で端末に向かい、資料をめくっていた。机の端には、開けられていない栄養補助食品が置かれている。
「白倉くん、お昼まだだよね」
「ええ、まぁ。そんなことより、前線からの報告と、次回公判に向けた通知がいくつか──」
冴木は、焼きたてのパンの香りがする紙袋を白倉のデスクへ置いた。
「これ、前に一緒に行ったカフェの店員さん、いたでしょ。彼が持ってきてくれた」
「いい匂いですね。あのお店、配達していましたか?」
「してないと思う」
白倉は紙袋を見てから、冴木の顔へ向き直った。
「では、わざわざ届けに来たんですか」
「たぶん」
「良くないですよ、そういうの」
「そういうの?」
冴木は軽く笑って紙袋からランチボックスを取り出し、蓋を開いた。中には、バゲットサンドと、サーモンとクリームチーズを挟んだクロワッサンサンドが並んでいる。
「すごい。美味しそうですね」
「じゃ、遠慮なくどうぞ」
包み紙を広げた白倉が、クロワッサンサンドを手に取る。
「……おいしいです」
「よかった」
「よかった、ではなくてですね。冴木さんはもう少し、自分がどう見られているか気にした方がいいです」
「気にしてるよ」
「今の返事で、気にしていないことだけは分かりました」
指先をウェットティッシュで拭くと、白倉は端末の画面を冴木の方へ向けた。
「食べながらで失礼します。次回公判に向けた追加証拠申請の件です」
「隊長側の新たな証拠提出?」
「はい。閲覧制限がかかっていて、こちらで確認できるのは件名だけです」
「件名は?」
「現地回収物、および通信関連資料とあります」
「……現地回収物?」
「桐生隊長は、FRINGE-07で何かを回収されたのでしょうか。確認した作戦記録には、そのような記載はありませんでした」
一瞬、冴木の目がわずかに見開かれる。だが、白倉が次の言葉を待つころには、すでにいつもの顔に戻っていた。
「何か、気になりますか」
「うん、まぁね」
冴木は袖口に隠れた小型端末へ親指を滑らせた。黒い画面に、赤い文字が一瞬だけ走る。
ASSET ID : AA0047
PRIVATE CHANNEL
MODE : 非保存接続
STATUS : 待機
呼び出しを残したまま、袖口を少し引き、画面を隠す。
「前線展開拠点との通信は、途絶えたまま?」
「はい。いずれも応答がありません」
「前線側で通信障害が発生していると見ていいね」
「自動ステータスも止まっています。拠点側で何か起きている可能性があります」
「基地に残ってる予備兵力を、出動準備に入らせて」
「了解しました」
白倉が指示を打ち込み始める横で、冴木は残っていたバゲットを口に入れた。包み紙を小さく丸め、デスク脇のゴミ箱へ放る。袖口の内側で小型端末が短く震え、その振動を受けるように、何事もなかったように立ち上がる。
「ちょっと出てくるね」
「えっ、どこへですか」
「察して」
「まさか、このサンドイッチのお礼とか言いませんよね」
「すぐ戻る」
冴木は上着を取り、扉へ向かった。
「冴木さん」
呼び止められて、冴木は振り返らないまま足を止める。
「前線に動きがあれば、すぐ共有します」
「うん。お願い」
扉が閉まる直前、袖口の端末がもう一度震えた。
*
冴木が執務室を出ると、扉の向こうの廊下は昼の明るさを残していた。
前線からの通信途絶、次回公判に向けた追加証拠申請、現地回収物、通信関連資料。白倉の声で読み上げられた単語が、順番を変えながら頭の中に残っている。
袖口の内側では、小型端末がまだ沈黙していなかった。
執務区画を抜け、補給連絡棟へ向かう通路に入ると、人の気配は一気に薄くなった。壁際には未開封の資材箱が積まれ、搬入口の方から乾いた外気が流れ込んでいる。
旧搬入口脇の資材ラックに背を預けるようにして、志岐 恭司が立っていた。銀縁の眼鏡の奥で、冴木の袖口を一度だけ確かめるように見てから、口を開く。
「こんな時間に呼び出すな。副官というのは暇なのか」
「暇なら、もっと雰囲気いい場所に呼んでる」
「用件は」
冴木は搬入口の奥へ入り、背後の通路を確かめてから声を落とした。
「次回公判の追加証拠が出た」
「通信ログだろ」
「現地回収物って付いてる」
志岐は何も言わず、立ち位置を変えた。長身に遮られ、通路側からは冴木の姿が見えなくなる。
「FRINGE-07の発信機、任務後は自壊処理だったよね」
「管制上は、全機自動ロスト。砂に埋めていた機体も含めて、残存反応なし。別動隊の処理報告も上がってる」
「でも、現地回収物があの発信機なら、自壊処理が完了する前に、誰かが砂の中から回収したことになる」
「拾える人間は限られる」
冴木はすぐに返せなかった。
砂嵐で閉ざされた地下通信室の暗さが、頭の奥で形を取り戻す。アルコールの熱に鈍った呼吸が、任務を優先すべき場所で、冴木の意識を蓮の体温の近さへと縛りつけていた。
「……回収される可能性に、対処してなかった」
「お前がそんなミスをするはずがない」
志岐は眼鏡を外し、目元を指で押さえた。
「回収したとすれば、桐生蓮か」
「それ以外、考えられない」
「厄介だな。九條が動き出してる。桐生への接見申請が出た」
「……このタイミングで?」
冴木の表情が変わる。額に手を当て、押し殺すように息を吐いた。
「既に発信機が、九條司令官の手に渡ってるってこと……」
「すぐに上へ報告する」
搬入口の扉へ向かいかけた志岐の腕を、冴木は反射的に掴んだ。
「……俺が、見落とした」
「大丈夫だ」
志岐は冴木の手首を軽く握った。
「上には俺が通す。お前は零域に戻れ」
そう言い残し、補給連絡棟の奥へ向かう足音が、搬送車両の駆動音に紛れていく。
その直後、軍服の内ポケットで零域の通常端末が震えた。
『冴木さん、前線展開拠点との通信が完全に途絶えました』
「白倉くん、落ち着いて。予備回線は?」
『……すみません。通常回線、予備回線、司令区画経由、すべて応答なしです』
「分かった。回線は繋いだままにして」
『断片だけですが、情報班の回線に、群体虫型兵器という音声が残っています』
「群体虫型兵器…… 対群体装備は」
『携行記録にはありません。今回の任務では想定されていませんでした』
「すぐ戻る。基地に残ってる予備兵力は、出動準備の確認に入って」
『了解しました。……冴木さん』
「何」
『何かありましたか』
「どうして」
『声が、暗いです』
「そりゃそうだよ。白倉くんが、せっかくのカフェ店員くんとの素敵な時間を邪魔するんだから」
『……そういうことにしておきます』
「冗談。すぐ戻る」
*
軍警察管理区画【GP-03】
特別接見室
接見室の卓を挟み、統合防衛軍・第六方面軍司令官、九條 宗継は、要人殺害および任務違反で起訴された被告人と向かい合っていた。
「居心地はどうだ」
「快適とは言いませんが、悪くはありません」
「お前がそう答える時点で、まともな環境とは言い難いな」
蓮の濃色の上衣には階級章がなく、手首には移送時と同じ磁束拘束具が嵌められている。九條はそれらを確かめるように眺め、短く息を吐いた。
「要人殺害、捕縛指定任務違反、職務権限逸脱。たいそうな肩書が付いたものだ」
「残念ながら、まだ確定ではありません」
九條の口元に、皮肉とも安堵ともつかないものが浮かぶ。
「例の発信機を、次回公判期日の追加証拠として提出した」
「解析できたのですか」
「完全にはな。通信先までは追えていない」
「ですが、何者かをあぶり出すことは可能です」
「黒幕は赤域の連中だろう。今さら言うまでもないがな」
「ええ。ですが、現時点では、それを裏付ける証拠がありません」
「だからこそ、あの発信機が足掛かりになってくれればいいんだが。軍規格でも中央規格でもない通信機器が、あの作戦現場に存在した。その事実だけで、裁判の形は変わる」
九條は椅子の背から身体を起こした。さっきまで皮肉に混じっていた軽さが、声から消える。
「前線展開拠点との通信が途絶えた」
「例の回収任務ですか」
「そうだ。この任務もきな臭いもんだ。どうせ赤域絡みだろう」
「今のところ任務を拒否する理由はない、ということですね」
「その認識でいい。先遣隊、救出に出た三班。いずれも更新が止まっている。最後に残った断片通信には、群体虫型兵器の語が入っていた」
「厄介ですね。専用装備なしでの制圧は難しい」
「解析前の群体兵器だ。現時点の軍標準火力で押し返せる相手とは限らない」
「……冴木は」
「基地側で対応している。予備兵力の準備を進めている段階だ」
「状況が見えない以上、妥当です」
「お前も、拘束具を付けられて座っているだけでは、そろそろ体が鈍るだろう」
九條の椅子が静かに引かれた。接見室の出口へ向かい、扉の前で足を止める。
「行けるか」
「いつでも、動けます」




