PHASE II-22|予兆
零域前線展開拠点【ZΩ-00/FWD】
敵支配区域 外縁接触ライン
「そこ、通信コンテナ先だ。固定は後でいい、回線だけ通せ」
煙草の灰を雑に落とし、緋堂は面倒くさそうに声を投げた。
「了解っ!」
隊で一番若い羽柴が、真っ先に顔を上げる。
現地到着から三十分。新たに指定された前線展開地点。
零域の設営部隊は、岩と草地が入り混じる空白区画に、仮設拠点を展開していた。クレーンアーム付きの大型車両が、低く唸りながらコンテナを吊り上げる。
「こっちは大体片付いた。緋堂、何か手伝うか?」
手袋を外しながら、久世が資材の間を抜け、緋堂の隣に並んだ。
「悪いな。こっちはまだまだだ」
固定作業の中断された通信コンテナと、指示待ちのまま動けずにいる隊員たちを見やり、緋堂は苛立ちを隠さず吐き捨てた。
「確かに色々と、噛み合ってないな」
現場を見渡し、短く舌打ちした緋堂は、ふと、設営ラインの端に目を留める。
指揮官用の簡易区画を組んでいる中央で、阿久津が梱包されたフレーム材やパネルを運んでいた。作業用に後ろでひとつに結ばれた黒髪が、動きに合わせて細く揺れる。血の気の薄い横顔は、いつも通り表情が乏しい。
「阿久津さん、あんなとこで何やってる」
「指揮官ユニット……桐生隊長のだろう」
「……ああ。そういうことか」
「隊長、戻れると思うか?」
「さぁな。ただ、あの人以外の下につくとか、考えたかねぇな」
緋堂は鼻で笑うように息を抜いた。
「それにしても、この任務なんなんだ」
「敵支配区域に取り残された観測チームの回収と、指定回収物の確保とは聞いてるが」
「その回収物だよ。何だよそれ」
クレーンの駆動音が低く続く中、設営ラインの一角で固定具の締結音が重なる。
短い沈黙のあと、不意に背後から呼びかけられた。
「二人とも、桐生隊長の公判、始まる」
振り返った先、少し離れた位置で戌亥が軽く手を上げていた。
「情報統制班が、公判の生中継を繋いでる。班のコンテナで見られるらしい」
「……俺はいい。やめておく」
「久世さん行かないなら、俺、見てきていいっすか」
話し込む三人の姿に気づいた羽柴が、作業の手を止めて駆け寄ってきた。
「やっぱ気になるじゃないっすか」
じっとしていられない羽柴を見て、緋堂は首を傾け、鈍い音をひとつ鳴らした。
「……見たくはねぇけど、まあ、付き合ってやる」
煙草を足元で踏み消して歩き出した緋堂のすぐ後ろを、羽柴が食いつくようについていく。
「そんなに急がなくても、逃げないよ」
戌亥は穏やかな調子で声をかけ、二人よりわずかに遅れて歩き出した。
仮設ラインの間を抜けて情報統制班のコンテナに近づくと、入口付近にはすでに人だかりができていた。
「うわ、混んでる……」
中は想像以上に詰まっていた。壁面のモニター前に隊員たちが集まり、空いたスペースはほとんどない。あちこちで交わされる雑談が重なり、狭い内部はざわついた熱気に包まれている。
「見えなさそうっすね、これ」
「前、行けばいいだけだろ」
緋堂は羽柴の背を押して、人の隙間にねじ込んだ。もみくちゃになる羽柴を見て笑いながら、自分はコンテナの側面にもたれて腕を組む。戌亥も隣に寄り、同じように壁へ体を預けた。
「始まったぞ……」
両手首を磁束拘束具で繋がれ、軍警察に挟まれて入廷した自分たちの隊長の姿に、全員が息を呑んだ。
階級章の外された上衣。指揮官であることを示すものは、そこには一つもない。それでも、その立ち姿は先陣に立つときと変わらず、真っ直ぐ前を見据えていた。
隊員たちの間から、抑えきれない不満の声が次々と上がる。
「隊長に限って、あり得ないだろ」
「嵌められてるに決まってる」
「……副官、怪しくないか。あのタイミングで来て、これだぞ」
少し後ろの壁にもたれたまま、緋堂も戌亥も、それらを雑音のように受け流していた。
「お前さ、冴木さんと、同期なんだろ」
「まぁな。寮も同じ部屋だった。嫌でも知ってる」
緋堂はモニターを見たまま、口元だけで笑う。
「昔から、ああいう距離感だ。それ聞くってことは……お前も、そういう距離まで行ったか?」
「どうだろうね」
「あいつ、気に入れば誰とでも寝るぞ。そういうの、何も引きずらねぇし……昔からずっとな」
何も返さない戌亥に、緋堂は肩越しに少しだけ声を低くした。
「本気になったら、しんどいだけだ」
前方では、羽柴が身を乗り出したまま、法廷映像から目を離せずにいる。
情報統制班のオペレーターだけが、別の画面に目を落としていた。小さな声が、コンソールの内側で交差する。
「……ドローンが拾ってきた座標、微妙にズレてないか」
「補正入ってるな。誤差の範囲か」
通信状態のインジケータが一瞬だけ色を変えた。
ログにだけ、短い断線の記録が残る。
「今の、回線……なんだ?」
「ログ、印つけとけ」
数値は一度だけ跳ねて、すぐに安定値へ推移したものの、画面の端に残った違和感だけは消えきらなかった。
*
日が沈むころには、前線展開拠点の輪郭だけは形になっていた。情報統制班のコンテナにはまだ灯りが残り、通信班は仮設アンテナの調整を続けている。
設営を終えた隊員たちは、短い休息を取れる者から順に待機区画へ戻っていた。
仮設待機区画には、油と湿った草の匂いが残っている。簡易灯の下に置かれたテーブルには、携帯食の空き袋と、即席の暇つぶしに使われているカードが広がっていた。
「これ、降りた方がいいっすかね」
羽柴は手元のカードを睨み、真剣な声で聞いた。
向かいの緋堂はカードの端を揃えながら、短く返す。
「聞く時点で負けてる」
隣でカードを伏せていた戌亥が、困ったように肩をすくめる。
「降りたら、笑う」
「詰んでないっすか、それ」
羽柴が手元のカードを伏せたところで、ブリーフィング帰りの神崎が通りかかった。
その後ろに阿久津が続く。硝子細工めいた顔立ちと温度のない表情は、相変わらず目を引いた。
「明朝出る人間が、ずいぶん余裕だな」
神崎の声に、羽柴は伏せたカードへ手を伸ばしたまま固まった。
「いや、これは、集中力の鍛錬で……」
戌亥は飲み残しの携帯カップを簡易テーブルに置き、神崎へ声を向ける。
「どんな感じです」
「分析班が、観測チームの携行信号を拾っている。ただ、取得するたびに座標がずれる。ドローンも一機、戻っていない」
コンテナの支柱にもたれていた久世が、体を起こした。
「地形や環境要因が原因ですか」
「はっきりしない。だから明朝、先遣隊を出す。ドローンが最後に拾った座標の手前まで入り、信号源と周辺状況を直接確認する」
「先遣隊って、俺も入ってますよね」
「緋堂お前も入る。六班が主軸だからな、羽柴もだ」
「えっ、俺もっすか。了解っす!」
「早めに休め。明日は、座標を信用できない場所へ入る」
神崎はそれ以上の質問を片手で制し、阿久津を伴って居住コンテナの並ぶ方へ歩き出した。
仮設灯の届く範囲を抜ける手前で、阿久津が足を止める。風だけが抜けていく岩肌と草地の境目を、じっと見据えた。
「……気持ち悪い」
「どうした」
神崎も同じ方角へ視線を向けた。
「なんかいる」
「なにか?」
「うん。こっちへ寄ってる」
その先には、闇に沈む草原しか見えなかった。




