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PHASE II-20|移送

 軍警察管理区画【GP-03】

 医療棟 外科診療区画


 歩くたびに両手首でリング状の磁束拘束具(ロックギア)が、小さく軋むような音を立てた。拘束区画から医療棟へ移送中、手首に食い込む冷たさが、いまは隊長ではなく被拘束者なのだと無言で告げていた。


「こちらへ」


 医療棟の処置室にはすでに、監察補佐官の篠宮が待っていた。蓮の手首の拘束具に気づいたのか、わずかに息を呑んだ。


「……桐生少佐がこのまま公判手続きに入れる状態かどうか、確認に来ました」


 篠宮の言葉を受け、蓮の左右に立つ軍警察の一人が解除キーを起動した。磁束リングへかざすと、短い電子音とともに拘束が緩む。


「一時的に外しますが、処置が済み次第、再装着となります」


 両手首の拘束が外れ、滞っていた血が指先へ戻る。手首にはまだ圧迫痕が残っていた。蓮は軽く手を振り、指を何度か握り込み、痺れを逃がした。


 ノックのあと、看護師と医師が入ってきた。


「このまま同席させていただきます」


 篠宮はそう告げ、一歩引いて背後に回った。

 蓮は促されるまま、処置台へ腰を下ろした。看護師の指がシャツの前を開き、肩の固定具を外していく。湿ったガーゼが剥がされると、整った縫合痕が露わになった。傷口はほとんど塞がっている。


「軽度の発赤があります。疼痛は?」


「問題ない」


 消毒用の冷スプレーが吹きつけられる。ヒリつく刺激が走り、反射的に眉間へ力が入った。続けて抗生物質配合の軟膏が薄く塗られ、白いパッドが乗せられる。


「縫合は保たれています。炎症は許容範囲です」


 新しい固定バンドが脇の下を通され、鎖骨の上でクロスされる。器具を片づける音が響く中、医師が口を開いた。


「身体所見は安定。公判手続きに支障はありません」


 看護師が処置台を拭き、二人は無言で退室した。

 蓮がシャツの前を整えると、後ろから篠宮の静かな声が届いた。


「経過は良好のようで、安心しました」


 篠宮はそこで一度言葉を切った。


「初公判に備えて、関係者の記録を確認しました。新しい副官の経歴も、拝見しています」


「ああ」


赤域管理部(レッドセクター)からの異動、少し珍しい配置ですね。……目を引く方だと」


「言いたいことは分かる」


「FRINGE-07の報告書も確認しました」


 篠宮は椅子の背に掛けられていた蓮の上着を手に取る。


「砂嵐の中で、副官が一時的に隊列を離れてます。桐生少佐はその確認に向かわれて、負傷されたようですね」


 言いながら、手にした上着をそっと蓮の肩へ掛けた。


「離脱の理由については、報告書に記載がありませんでした」


「必要なら本人に聞く」


 篠宮はそれ以上踏み込まず、静かに頷いた。


「……承知しました」


 沈黙を切るように、扉の前に控えていた軍警察の兵士が一歩前へ出た。


「処置は終了しました。拘束具を再装着します」


 手首へ拘束リングを当てようとした、瞬間──


拘束具それ、まだいいよね」


 声と同時に扉が開き、意外な人物が入ってくる。

 艶の残る顔立ちと、かすかな甘い気配に、篠宮の思考が止まる。


「面会時間の延長申請、通ってるはずだから」


 軍警察の兵士に穏やかな声を投げかけながら、冴木は口元にごく浅い笑みを浮かべた。兵士が返答を躊躇する間に、蓮が低く問いただす。


「規定外なら断る」


「規定の範囲内で、調整はしてあるよ。白倉くんの同期の子に、少し協力してもらったけど」


 冴木は口元の笑みを崩さず、蓮のそばまで歩み寄った。


拘束具そういうのも、似合うんだ」


 距離に対する意識が抜けたまま、頬へ手を添えて、そのまま顔を覗き込む。


「おい。また無意識とか言うなら、やめろ」


「別に、そういうつもりじゃないけど」


「何の用だ」


「明日の任務の確認」


 冴木は小型端末を起動し、蓮の前に配置図を開いた。中央へ寄せる動線の先頭に二班、後方に六班を残す形で展開されている。蓮はしばらく図面を見てから、短く頷いた。


「悪くない」


 小さく息をつくと、蓮の低い声がわずかに和らいだ。


「班長たちはまとまりそうか」


「なんとか。まぁ、厄介なのもいるけど」


 冴木は少しだけ安堵して視線を上げた。ふと、こちらを見ていた篠宮と目が合う。浅く微笑み、何でもない調子でその手元へ視線を滑らせる。資料をまとめたバッグの持ち手に、小さな青いリボンが結ばれていた。


(……ああ)


 見覚えがある。

 カップの奥に置いてあった小さなハーブティーの箱──あのリボンと同じもの。


「桐生隊長に、差し入れしてる人?」


 冴木が軽く笑うと、篠宮はバッグの持ち手を引き寄せるようにして、リボンを隠した。


「……軍法務総監部 監察補佐官の篠宮です」


「納得」


 赤域の人間らしい距離の詰め方を目の前で展開され、篠宮は声音を引き締める。


「必要があれば、副官にも確認をお願いすることになるかと思います」


「そんな顔で言うと、怖がられるよ」


 軽く返されて、篠宮は一瞬言葉に詰まった。耳の先を赤くしながら、思わず蓮を振り返る。

 冴木がもう一歩踏み込もうとしたところで、蓮の腕が背後から回った。


「……やめろ」


「別に、まだ何も言ってないけど」


「ろくなこと言わないだろ」


 冴木が悪びれもせず笑ったところで、扉の脇に控えていた兵士が前へ出た。


「面会時間終了です」


 兵士が蓮の手を取った。外されていた磁束拘束具(ロックギア)が、再び手首に嵌められる。短い電子音のあと、磁束が固定された。冴木はその音を聞きながら、表情を変えなかった。

 蓮は抵抗せず、軍警察に促されるまま処置室を出ていく。その背中を追うように、冴木も後ろについた。


「桐生少佐……」


 篠宮は、持ち手のリボンを指先で押さえたまま、去っていく背中を見送った。



 医療棟を出ると、待機していた車両のドアが開き、軍警察の兵士が蓮に乗車を促した。

 車両の陰では、困ったように眼鏡を押し上げる白倉の隣で、阿久津が身を乗り出していた。


「隊長!」


 制止の声を振り切り、阿久津は弾かれたように駆け出した。


「おい、下がれ」


「少しだけだ」


 勢いよく詰め寄る阿久津を、蓮は片手で受け止める。


「阿久津、どうした」


「……無理」


「何がだ」


「隊長がいない」


「先陣は、お前に任せてる」


「戻ってくる?」


「ああ」


 抑えきれないように、阿久津は蓮の胸元へ額を押しつけ、言葉を飲み込んだ。肩で切り揃えられた艶のある黒髪が、小さく震える。


「離れろ」


 軍警察の声が割って入る。

 蓮は阿久津の肩を軽く押し戻し、何も言わず車両へ向かった。

 ドアが閉まる。

  冴木はその様子を、そっと目を細めて見送った。

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