PHASE II-19|密会
副官席の端末画面には、作戦共有フォルダの一覧が展開されたままになっていた。冴木は椅子の背に体を預け、指先でタッチパネルを弾くようにスクロールする。
「……嘘でしょ。明後日が実働だよね、この任務」
向かいの席で資料の照合をしていた白倉が顔を上げた。
「はい、四十八時間以内に実施予定です」
「配置表、誰も入れてないんだけど」
白倉が端末を引き寄せる。
戦術区画マップ、回収経路、バックアップ配置。主要項目の多くが空白のまま残っていた。
「……未入力ですね」
「四班の戌亥くんだけ入れてる。綾瀬班長のフォローかな」
「鷹羽根班長あたりも協力的かと思いましたが……横のつながりは、思った以上に強いですね」
「みたいだね」
冴木は立ち上がり、コーヒーメーカーの残りをカップに注いだ。
「二班からは、隊長への面会申請が来てます」
「阿久津班長、次の面会連れて行く?」
冗談とも本気ともつかない調子に、白倉が少し困ったように首を振る。
共有フォルダへ戻りながら、冴木は軽く肩を回した。
スクリーンに浮かぶ未入力欄をしばらく眺める。
「……仕方ないか。先にこっちで枠だけ組んでおこう」
「こちらの作業、もう少しで区切りがつきます。必要でしたら、配置整理の方も手伝います」
冴木は時計を見る。
表示は二十二時を少し回っていた。
「いや、大丈夫。あとは俺がやるよ。ここ最近ずっと遅いでしょ。今日はもう上がって」
「ありがとうございます」
白倉は少し逡巡して、小さく頷いた。
「……桐生隊長、起訴されたそうですね」
「みたいだね」
ふいに冴木の手首の端末が、音を立てずに振動した。
カップを置こうとした手が、止まる。
手首の小型端末が暗転し、画面が黒へ切り替わり、赤い文字だけが浮かぶ。
ASSET ID : AA0047
STATUS : 安定
EXTERNAL : 許容範囲
PHASE : 維持
PRIORITY : 変更なし
LOG : 非保持
冴木が表示を確認した数秒後、画面は自動的に消灯した。カップをデスクへ置き、指先で軽く首の後ろを押さえる。
「……俺もそろそろ上がろうかな、今夜は」
「そうしましょう。冴木さんも、今日はもう休んでください」
「白倉くんも、あんまり無理しないで」
「はい」
二人はそれぞれ椅子の背に掛けていた上着を手に取った。
廊下へ出ると、夜間灯に照らされた通路は昼間よりも広く見えた。
「また明日。よろしくね」
互いに軽く手を上げ、別々の方向へ歩き出す。
冴木は歩きながら、軍服のポケットの中で手首の端末の感触を確かめるように、軽く指を動かした。
*
夜景を見下ろすホテルの一室は、薄い灯りに沈んでいた。
バスルームの扉が軋み、湿った蒸気が寝室の空気を曇らせた。濡れた前髪をタオルで無造作に押さえながら、冴木が裸足で出てくる。シーツには、さっきまでの行為の名残が雑に刻まれていた。
窓際に立つ志岐 恭司は電子煙草をひと吸いし、濡れた冴木をゆっくり振り返った。赤域で何度か組んでいた頃、志岐はまだ紙巻き煙草を吸っていたはずだった。
「なに、それ。煙草、変えたの?流行りのやつに」
「悪いか」
「別に。体でも労わり始めたのかと思って。笑える」
志岐は電子煙草を指先で回した。冴木の軽口を流すように、視線だけを窓の外へ戻す。
「引き渡して終わりの案件だったろ」
「そのつもりだったんだけどね。ちょっと確認したくて」
冴木は腰にバスタオルを巻いただけの裸のまま、ベッドサイドに座った。濡れた髪をゆるくかき上げる。
「桐生の件か」
「零域の隊長が被る形になるって、聞いてないんだけど」
「隊長ね。そこまで気にする対象なのか」
「気にしてるわけじゃないよ。ただ、自分の知らないところで事が動いてるのが引っかかる」
「特に問題はないと聞いてる」
服を着るそぶりすら見せないまま、冴木は前髪の雫を床に落とした。
「砂漠では生きたまま引き渡してる。あれで終わりのはずでしょ」
「あぁ。対象は予定通り確保してる」
「じゃあ、なんで零域に皺寄せがいってる」
「回りくどいな。らしくない」
銀縁の奥で、切れ長の瞳が、険を帯びた。
「監視下と分かってて俺を呼んだんだろ。何を聞きたい」
「分かってたら呼んでない」
冴木はベッドの縁から、そのまま後ろへ倒れ込んだ。
シーツが低く軋み、湿った髪が枕に乱れる。
「赤域の任務に関係ないのに、なんで零域の隊長が拘束される?」
「桐生の失態にして、軍の発言力を削ぐ。作戦と交渉、全部中央に寄せる気だろ」
志岐は窓際のテーブルからグラスを取り、残っていた酒をゆっくりと飲み下した。
「裁判まで持っていけば、捕縛対象は死亡で固定される。そうなれば、それ以外は全部ノイズだ」
「疑う余地がなくなる、か。上は最初から、そのつもりで?」
冴木の中で、いくつかの可能性が静かに並ぶ。
「……それにしては、九條司令の沈黙、不自然なんだよね」
「何がだ」
「零域の隊長は代替が利かないって、あの人自身が言ってた」
冴木は寝転がったまま、志岐を見上げる。
「それを、このまま切ると思う?」
「やめておけ。俺たちの領分じゃない」
隣に腰を下ろした志岐は、指先で冴木の前髪を梳いた。
「この任務で赤域を外れるんだろ。余計なこと考えるな」
「分かってるって」
「本当にか」
冴木は仰向けのまま、少しだけ間を置いた。
「別に、嫌いで離れるわけじゃないよ」
「……」
「少し間が空くのも、悪くないってだけ」
手首を持ち上げ、端末の暗い画面を覗く。
画面はすでに沈黙していた。
「さっきも、あからさまに状態確認ログ飛んできてたし」
「俺にも来てる。赤域の監視下ってこと、忘れるな」
志岐は身をかがめ、冴木の額へ軽く口づけた。




