PHASE II-17|接見
軍警察管理区画【GP-03】
接見室
蓮は背もたれに体を預けたまま、正面の空いた椅子へ視線を向けていた。
扉の横に立つ憲兵が、時計に目を落とす。
控えめなノックが二度。
「失礼します」
開いた扉の向こうに、小柄な女性の姿があった。
ひとつにまとめられた淡い栗色の髪が、胸元までゆるく波打っている。装飾のない軍法務官制服の襟元で、天秤を刻んだ銀の徽章だけが、かすかに光を返していた。
統合防衛軍、軍法務総監部──
差し出されたIDを確認し、憲兵が一歩退いた。
「軍法務総監部 監察補佐官の篠宮 小鳥です。本日、桐生少佐への接見を申請しています」
肩書とは不釣り合いなほど、声の調子はやわらかい。
憲兵は短く頷き、彼女を室内へ通した。
背後で、扉が控えめに閉まる。
「お久しぶりです」
「篠宮か」
軽く一礼した篠宮の穏やかな表情は、記憶にあるまま変わらなかった。
「思ったより、お元気そうで安心しました」
「見ての通りだ」
これまでも互いに作戦後の法務確認で、何度か顔を合わせていた。
「最後にご一緒した案件、遅くまでお付き合いいただいたのを覚えています」
「そんなこともあったな」
「ご一緒できて心強かったです」
「今回はあの時とは立場が違う」
「はい……できれば別の形で、お会いしたかったです」
篠宮は、手元の端末を静かに卓上へ置いた。
画面には、すでに閲覧済みの資料が整然と並んでいる。軍警察から共有された調書、中央戦略府から提出されたログ、作戦記録の再分類通知。
「軍警察側での事実関係の整理は、すでに終わっています」
蓮は返事の代わりに、ゆるく息を吐いた。
「提出されている記録によると、捕縛指定命令書は桐生少佐の端末で閲覧されています。中央回線との接続履歴も残っています」
「そうらしいな」
「証拠能力に問題がある状態ではありません」
そこで、彼女はいったん言葉を切った。
「この内容であれば、起訴判断に進む可能性は高いと思います」
「理解している」
「……ただ、個人的な印象を、ここで述べるべきではないのかもしれませんが」
顔を上げ、柔らかな色の瞳をまっすぐ蓮へ向けた。
「桐生少佐が、思想的な理由で命令を逸脱するとは考えにくい、という印象があります」
「評価は不要だ」
「ええ、本来は」
苦笑に近い表情が、篠宮の顔に浮かぶ。
「もう一度だけ確認させてください。捕縛指定について、何らかの命令を受けた記憶はありませんか」
「ない」
「分かりました。それと、医療記録も確認しました。左肩、負傷されていますね」
「問題はない」
「そうおっしゃると思いました」
篠宮は安堵と痛ましさを一緒に飲み込むように、まぶたを伏せる。
「医療班には、もう手配をかけてあります。炎症値が高めでしたから、せめて、疼痛管理だけでも」
端末ケースから薄い同意書を取り出し、蓮の前へ滑らせる。
「投薬同意書です。署名だけお願いします」
「手際がいいな」
「何度も書いていただいていますから」
蓮は差し出されたペンを取り、すぐにサインを済ませる。
何度も見てきた筆跡は、いつもと同じように癖がなく、綺麗に整っていた。
篠宮は同意書を受け取り、小さく咳払いをする。
「以前も、お会いするたびに負傷されてましたね」
「昔ほどではない」
「無茶をされなくなりましたか」
「多少は、な」
「安心しました」
そう言って、篠宮は姿勢を整えた。
椅子を引いて立ち上がり、小さく一礼する。背を向け、扉へ向かいかけたところで、ふと足を止めた。
「桐生少佐、その──」
一度うつむき、言葉を選ぶように顔を上げる。
「……以前、お渡ししたハーブティーは、まだ、お手元にありますか」
「ああ。部屋にある」
「そう、ですか……」
かすかに落胆が混じる。
手を伸ばされないまま、置かれているのではないかと、未開封の箱が、浮かんだ。
「あの、差し出がましいものでしたか」
「いや。疲れた時に飲んでいる」
「……よかった」
篠宮は目に見えて、嬉しそうに笑う。
「また、良さそうなものがあれば、見ておきますね」
「助かる」
その一言に、胸の奥がふっとほどける。
こぼれそうになる表情を押さえるように、姿勢を整えた。
「現場復帰された際に……その時にお渡しします」
職務上の節度を保つように軽く頭を下げ、篠宮は接見室を後にした。
*
「……仕事増えすぎじゃない」
まだ夜間灯が残る早朝の通路を、冴木は眠気を引きずって歩いていた。執務区画へ向かいながら、小さく息をつく。
「朝早いの、あんまり向いてないんだけど」
手にしていた報告書の束を、指先で軽く弾く。
ここ数日、零域では些細なトラブルが立て続けに発生していた。観測ドローンの識別タグ不整合、補給線反映遅延、外縁監視班のシフト提出漏れ。
「始末書だけ紙って、どういう理屈?」
冴木は歩きながらページを繰り、軽く目を走らせる。
「それにこれ何?狙撃訓練区画で喧嘩って」
思わず眉を寄せたところで、前方から軽い足音が近づいてきた。
トレーニングウェア姿の緋堂が、ジョギングのペースを落として手を上げる。
「よ、早いな。部署変わると生活態度まで改まるのか?」
「明け方まで高官や要人に付き合うこと、なくなったからね」
「じゃあ、これからは俺の相手してくれるわけ?」
「気が向いたらね」
「今のお気に入りは戌亥か?」
「まぁね」
「気に入らねぇな」
緋堂は逞しい腕で、手繰り寄せるように冴木の肩を抱き込んだ。
「ちょ、汗」
「そりゃ、朝トレ終わりだからな」
低く笑う声が、熱を帯びて耳朶をくすぐる。
「分かってるなら離れて」
汗で濡れたTシャツ越しの体温が、息苦しいほど近い。
緋堂は軽く笑い、腕を回したまま冴木の耳元へ顔を寄せる。
「お前いい匂い」
「大型犬に懐かれてる気分」
冴木の表情から力が抜ける。
昔からの距離でだけ見せる、飾らない笑い方に、緋堂の表情もふっと緩む。
冴木の肩口に身を預けるようにして、横から報告書を盗み見た。
「で、なんだそれ」
「ここ数日で増えた小さいトラブル」
「狙撃区画で揉めるとか、集中切れてんな」
「隊長がいないせい?」
「かもな。なんだかんだで、空気作ってたの、あの人だしな」
「そうなんだ」
報告書に目を落としたまま答える冴木の横顔を、緋堂が覗き込む。
「……惚れたか?」
「まさか」
「じゃあ今夜、部屋来いよ」
「何の誘い?」
「気晴らし」
「どうしようかな——」
言いかけたところで、ポケットの端末が断続的に振動した。表示された着信元を確認し、冴木は通話を開く。
「白倉くん?早いね。どうしたの」
端末の向こうから、やや切迫した声が返る。
『二班の班長が、士官居住区画で軍警察と揉めています』
「……は?何それ」
冴木は額を押さえた。
「分かったよ、すぐ向かう」
緋堂が手首で額の汗を拭いながら、通信を終えた冴木を見下ろす。
「どうした」
「二班の班長が、軍警察と揉めてるって」
「……二班って、阿久津さんか」
緋堂が小さく笑う。
「あの人が止まらなくなる理由なんて、一つしかないだろ」




