第3話 彩夏の事情
予選第一戦を終えた雑賀は、阿蘇駅で彩夏と待ち合わせ。そこで車を借りて阿蘇山観光に出かけた。ただ、観光とは言っても周囲は山と森。平地は畑だらけ。長閑といえば聞こえは良いが、口の悪い者であれば寂れた風景が広がっているだけと言うだろう。それでも六月の阿蘇は非常に気持ちの良い風が吹いていて、窓を開ければその風が吹き込んでくる。滝があるらしいと言って車を降りれば、何とも言えない癒しの空気が満ちていた。
彩夏は普段見る動きやすい恰好では無く、お洒落なワンピースに身を包んでいる。いつも後ろで束ねているだけの髪を、肩のあたりで束ねて髪飾りで止めている。手には何やら大きな藤の鞄。
代わり映えのしない風景を他所に、車内では彩夏とのお喋りに花が咲いていた。
その会話の中でわかったのだが、彩夏には妹が二人と弟が一人いるらしい。上の妹は舞夏といい、現在中学二年生。その次が弟で利厚、小学校四年生。下の妹は七海、小学校二年生。姉と妹に囲まれているせいか、利厚は非常に大人しい性格らしく、姉妹の中では舞夏が非常にやんちゃなのだとか。七海は甘えん坊で、いつも彩夏と一緒に寝ているらしい。
今日は弟と妹の面倒を舞夏に押し付けて来たのだそうで、帰ったら部屋がどんな事になってしまっているのか、想像しただけで怖いと言って彩夏は笑った。
「雑賀さんって地元はどちらなんですか? 西国の方では無いというのは喋りで何となくわかるのですけど」
「俺は三遠郡の浜松。浜名湖のあるとこね」
「へえ。もちろん場所は知ってますけど、どんなところか想像もできないですね」
「海、湖、山が揃っている風光明媚なところだよ。晴れた日には遠くに富士山も見えるんだ」
「まあ、富士山! そうですよね、あの辺りだと見えるんですよね! 素敵だなあ。一度で良いから行ってみたいな」
両掌を胸前で合わせて、嬉しそうな顔をする彩夏。その横顔に雑賀は思わず照れてしまった。だが彩夏は何かを思い出したかのように、楽しそうな顔から少しだけ表情を曇らせてしまう。そのどこか陰りのある横顔に、雑賀も何と声をかけたら良いかわからなかった。
つまらなそうというわけじゃない。楽しそうにはしてくれる。だが、楽しそうな顔をしてくれた後で、必ずふっと表情に陰りを見せる。そんな彩夏に、雑賀は徐々に不安を覚えてきてしまっていた。
お昼近くに、らくだ山という少し小高い山の麓の公園で停車。この近くの食事処で昼食にしようと雑賀は提案した。すると彩夏は嬉しそうに持ってきた藤の鞄を取り出し、満面の笑みを浮かべた。
「実は、お昼は作ってきたんです! この辺りだと、もしかしたら食べるところが無いかもって思って」
そう言って彩夏は藤の鞄を開け、その中から小さな弁当箱を二つと大きな弁当箱を一つ取り出した。小さな弁当箱はご飯と、その上に梅干が乗っている。大きな弁当箱にはおかずが入っている。
「凄っ! これ、全部彩夏ちゃんが作ったの!?」
「全然凄くなんてないですよ。だって妹たちの食事はいつも私が作ってるんですから。実を言えば、これも妹たちのお昼ご飯のついでなんです。雑賀さんのお口に合うと良いんですけど」
「口の方を合わせるよ!」
美味しそうと言って箸を取った雑賀の手を彩夏はぴしゃりと叩いた。
「ダメですよ。お食事の前にする事がありますよね?」
少し頬を膨らませた顔が何とも愛らしい。きっと妹たちにもこうやって躾を施しているのだろう。手を合わせ「いただきます」と言う雑賀に、満足そうな顔をして、彩夏はクスクスと笑った。
料理の方は、全体的に茶色いのだが味付けは絶品。この辺りの食事は何を食べてもほんのり甘さを感じる。だが彩夏の料理はそんな事は無く、むしろ実家の味付けに近く、懐かしさを覚えるような味であった。
「この辺りはね、醤油そのものが甘いんですよ。私も最初それがわからなくて。でも妹たちはわかるみたいなんですよね。美味しくないって駄々こねられちゃって大変だったんです」
「そっか。彩夏ちゃんって北国出なんだよね。荻さんがそんな事言ってたよ」
「……怜ちゃん、私の事、他に何か言ってました?」
何かを怖がるような目をする彩夏に、どこまで言ってしまって大丈夫なんだろうかと雑賀は悩んだ。とりあえず無難な部分だけに止めた方が良いのだろうと、訳あって昼は保育士をして、夜は居酒屋で働いているという事だけ話した。
「私、妹と弟を育てていかないといけないんです。だから、生活費を稼ぐために昼の仕事以外にも夜も働かないといけないんです。小学生二人、中学生一人を一人で養うって大変なんですよ」
「でも、北国から阿蘇に来たって事は、こっちに親戚がいるって事なんだよね? その親戚は頼れないの?」
「阿蘇に親戚なんていません。親戚は北国で牧場を経営してたんですけど、あまり経営状態が良く無くて……」
その環境に当時幼稚園児だった下の妹の精神が不安定になってしまったらしい。さらに弟も学校でいじめにあうようになってしまったらしく、不登校になってしまったのだそうだ。
高校に行きながら保育士の勉強をしていた彩夏は、学校を卒業して保育園で研修を受けながら試験勉強をしていた。保育園の園長に事情を説明し相談したところ、いくつか保育園を紹介してくれた。その多くは北国。中には東国もあった。だが、どこも都心部。その中の一つだけが田舎でこの阿蘇だった。上の妹に相談したところ、下の妹の精神状態を考えると都心よりは田舎が良いだろうという事になり、姉妹四人で船に乗り込み阿蘇に来たのだそうだ。
「そういう状況だから、なかなか遠出というわけにはいかないし、暗くなる前には帰らないといけないですけど、それでも良かったら、これからもお付き合いいただけると嬉しいです」
そう言って再度陰りのある笑顔で微笑む彩夏に、雑賀は何とも言えない気分になってしまったのだった。
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