第61話 金剛賞
”秋季になったら思い切って特二の『阿蘇記念』に出てやろうぜ”
数日前、そんな威勢の良い事を諏訪が言っていたのを不意に思い出した。春季最後となる三節目には特三の開催が無い。春季の最終となる第三節は、世界戦となる瑞穂グランプリ『天皇杯』に極々限られた人が出場する。天一級の陣営はほぼ全員が富士の特一『富士王冠』に参戦。天二級の陣営は、ほぼ全員が名取の特二『総理大臣杯』に参戦。そこに出れない地一級は、阿蘇の準特の『西海賞』。もしくは平特に出るしかない。完全に階級ごとに足切りされる設計になっている。
現時点で諏訪厩舎は天二級への昇級がほぼ確実。天二級となると、特二に出走可能となる。今回、地一級でも特三の決勝に残ったのだから、もしかしたら天一級相手でもそれなりにやれるのかもしれないと大盛り上がり。
だが、そんな諏訪に高遠は冷や水を浴びせた。
”気持ちはわかりますけど、残念ながら駒が足りませんね。特二は毎回三頭必要なので、最低でも六頭必要ですよ”
地一級になって三頭の竜が新たに入厩してきた。ところが、最初に入厩した三頭の内の一頭『タテナシ』が、岡山競竜場の騒ぎで放牧している間に怪我。元々『タテナシ』は厩舎でも最高齢で、そのまま引退となってしまった。そのせいで、現在管理している竜は五頭。竜は二週連続で出走してはいけない規約になっているので、一頭足らない。
あの時、どうやら諏訪は『タテナシ』の件がすっぽり頭から抜け落ちてしまっていたらしい。その時の悔しそうな諏訪の顔を思い出すと、思わず顔が綻んでしまう。
こんな緩みきった事ではいけないと思い直し、後方の観客席に視線を移す。もう夜も十時になろうというに、とんでもない人数が観戦に来ている。岡山とは大違い。思わずブルりと体が震える。
輪乗り場で待機していると、発走者が赤旗を持って現れた。
係員が発走機に竜を促していく。先に多米が収まり、その後で雑賀が収まった。
グポン
多米の反応が早い!
ポンと飛び出すように発走した多米。一方の雑賀は相変わらずの若干の出負け。本人も良い発走だと思ったのだろう。多米はそのまま先頭を走って行く。雑賀の方は最近の定位置である六番手。
無難に一周を走り終え、特に順位に変更の無いまま二周目に突入。観客席からの歓声に竜が驚き、若干流れが早くなったが、それもすぐに治まった。
二周目のつづら折りを越え、正面直線に入ると、各騎手が一斉に鞭を取り出す。雑賀も鞭を取り出した。その仕草だけで、竜が加速のための前傾姿勢を取る。一頭目はとにかく内を確保。そのためには一頭抜いて、その前に入り込まないといけない。
手綱をしごき、何とか予定通り五番手、内柵沿いに位置取り、装鞍所へと入った。
最後に少し無理をさせたせいか、若干竜が興奮してしまっている。だが、保科はそれを見て、冷静に口笛を吹いて落ち着かせる。
保科の号令一下、厩務員たちが寸分の無駄も無い動きを見せる。最後に保科が点検をし、石川の補助で次の竜へと騎乗。
再発走は三番手だった。
だが、前の二頭はすぐ目の前。その前二頭をじりじりという感じで追って行く。そこで多米が二番手に下がっているのに気付いた。装丁で何かあったのだろうか? それとも先頭の竜の厩舎の交換が異常に早かったのだろうか? そんな事を思いながら多米との差を徐々に詰めていった。
一周を走り終えた頃には、八頭は一団となっていた。恐らくだが、後方の竜はかなりここまで無理をしてきているだろう。対して雑賀の竜は手応え十分。
向正面で飛越障害を飛越。先頭の竜も手応え十分なのだろう。そこから早くも流れを早めてきた。だが、雑賀はそれには乗らず、徐々に先頭とは距離が開き始める。三番手だったのが、六番手に下がった。ふと見ると同じように下がって来た竜がいる。多米だった。二番手から四番手に下がっている。
最終角を回り各竜が一斉に加速を開始。一瞬ちらりと周囲を見渡した雑賀は、何か既視感のようなものを覚えていた。どこかでこれと似たような経験をしている。
周囲から二拍遅らせて、鞭を見せて加速を開始。すると、加速してすぐに多米が同じように加速を開始した。二頭が竜体を合わせて、ぐんぐんと内柵から離れたところを駆けあがっていく。
二頭抜き、三頭抜き、残りは先頭の二頭だけ。まだ直線は残っている。どうした事か、少し前を走る隣の多米との差が詰まらない。二頭並んで駆けているのだが、少し前にいる多米に並ぶ事ができない。
多米がもう一段速度を上げ、あっさりと先頭の二頭を抜いて行く。一方の雑賀はその二頭に並ぶ形で終着板を抜けた。
終着してから思い出した。これと全く同じ事を、初めて制覇した『亀山特別』で小早川にやられている。その時には勝ったのは雑賀であった。
多米がゆっくりと雑賀の隣に近寄って来た。
「いやあ、お前の勝負勘は非凡だからな。今日はハナからお前の仕掛けに合わせてやろうって思ってたんだよ。お前の方は手応えはどうなんだ? あいつら差せてそう?」
「どうでしょうね。写真判定なので期待したいところですけど」
二人仲良く柵の切れ目から検量室へと向かう。まだ二着から四着までは写真判定のまま。
終着時の静止映像を見て、多米が少し渋い顔をした。雑賀も口をへの字に曲げる。何となくだが、内の竜が若干前に出ている気がしないでもない。
検量を終えたところで、着順が確定した。
雑賀は惜しくも三着。残念ながら準決勝敗退であった。
◇◇◇
翌週、『金剛賞』の決勝が行われた。
雑賀、篠原、都築が三人で並んでその中継に釘付けとなっている。
大歓声の中、満員の観衆の前で発走機の扉が一斉に開かれた。
二番手を行く檜山、その後ろに付けた多米。その外に小早川。その体勢で一周目を終えた。
「これは、小早川はちと厳しいな。内を二人に絞られてもうてるやん」
「ですね。どうせなら思い切ってその後ろに入っちゃえばいいのに」
「なかなかそう大胆な判断はできへんよ。雑賀、お前とちゃうんやから」
都築がケラケラ笑い出した。雑賀は渋い顔をしており、篠原の顔は真剣そのもの。
そんな事を言っている間に全竜が二周を終えて装鞍所に入って行った。
先頭で再発走をしたのは檜山。次いで多米。小早川は大きく遅れて六番手。
一周を終えて各竜がやっと一団になる。先頭は別の竜に譲り、檜山は三番手、多米は五番手に下がっている。小早川は六番手のまま。
二周目の向正面で、先頭を走っていた竜が飛越障害で落竜。それを避けると檜山は少しだけ位置取りを前に変え、前で二頭が並ぶ形に。
最終角を抜けて最後の直線。まず檜山が加速を開始。それを外から多米が追い上げる。さらにその外を小早川が上がっていく。
残り半分。檜山が先頭で逃げ切りの体勢に入る。それを多米が猛追。他の五頭は少し離されてしまっている。
追い込んだ多米が檜山に並びかけたところが終着板であった。
終着後、すぐに掲示板に着順が表示された。
一着は檜山。多米は惜しくも頭差二着であった。
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