第四話
どれくらい経っただろうか。
ナターシャの森は、朝もやに包まれていた。
「………ん」
泉に浸かりながら、メルはうっすらと目を開けた。
気が付けば朝になっている。
どうやら、泉に浸かりながら眠ってしまったらしい。体中がふやけている。
「やば!!」
急いで泉から出て身体中の水滴をタオルで拭った。
ランタンの火はいつの間にか消えている。長いこと眠っていたらしい。
白装束を身にまとい、革のサンダルを履いて紐を結ぶ。
ランタンとタオルを荷袋にしまうと、昨日摘み取ったマルクスの花を持って村へと向かった。
成人の儀を終えたからだろうか、身体中が軽い。心なしか一気に大人になった気がする。身体や心の変化はともあれ、これで彼女も村では一人前の大人として認められることになる。そう思うと、村へと向かう足が自然と軽やかになるのだった。
(お父さん、心配してるだろうなあ)
メルは歩きながら手に持ったマルクスの花をかざした。
摘み取ってかなり経っているのに、いまだに魔法のような白い光を発している。とてつもない生命力だ。
あるいは、本当に魔法の力なのかもしれない。
摩訶不思議なこの花を眺めながら、はやくこれを見せて両親の驚く顔が見たいと思った。
父と母の微笑む姿を思い浮かべて、メルは自嘲気味に笑った。
(私も、親離れできてないなぁ)
たった今、成人の儀を終えたばかりだというのに、これでは子離れできていない父と同じではないか。ため息をつきながら、ナターシャへの道を急いだ。
異様な光景が目に映ったのは、歩き続けてからしばらくたった時であった。
前方から、数人の男たちが歩いてくる。
ガチャガチャと不気味な音を立てて、まっすぐにメルのほうに向かってきていた。
「………?」
見たこともない顔の男たちだ。どこかの兵士のようだが。
それよりも異質だったのは、彼らの身体が血で真っ赤に染まっていたことだ。彼ら自身の血ではないようだが。どうやら返り血のようだ。
それに気づいたメルは、ピタリと歩く足を止めた。
前を歩く男たちもメルに気づき、歩く速度をゆるめた。
「おほ、女がいるぜ」
「かーわいいー」
「なになに、こんなとこで? オレら、運良すぎじゃね?」
下卑た笑い声に、メルはビクッと肩を震わせながら足を一歩引いた。
(な、なに? この人たち……)
「お嬢ちゃーん。オレたちと遊ばなーい?」
先頭を歩いている男が声をかける。
軽い口調と乾いた笑顔とは裏腹に、冷徹な目をしている。
メルは思わず振り返って元来た道を引き返しはじめた。それを見て、男たちが猛然と走り出す。
「逃がすか」
彼らは、瞬時にメルの周りを取り囲んだ。その数5人。一様に眼をぎらつかせていた。
「だ、誰ですか!? 何の用ですか!?」
メルは震える声で精一杯尋ねた。
「いいねいいね、強気な性格いいね」
「こういう女、そそるよな」
「ねえねえ、オレたちと遊ばない?」
メルは、自分に伸びてきた手をパンッと叩き落とした。
「やめてください!!」
手を叩かれた男は「うひょお」と喜びの声をあげた。
「見た見た? 今の。完全にオレらに反抗してるぜ?」
「女。オレたちが誰だか、本当にわからないのか?」
メルは、彼らの言葉に神経を集中させた。
返り血で真っ赤に染まった鎖かたびら。その肩の部分に、見慣れぬ紋章が見える。月を飲み込もうとする狼をかたどった紋章。そう、これは……。
「パルメラ兵……?」
メルの言葉に、男たちはニヤリと笑った。
「ピンポンピンポン、大正解」
「オレたちに逆らうとどうなるか、わかってるよな」
メルは、背筋が凍りついた。
パルメラ兵といえば、グラン王国を滅ぼした連中ではないか。なぜこのような場所にいるのだろうか。
それよりも気になるのは、大量に浴びた返り血だ。森の中で動物を狩っていたにしては多すぎる。
「さあて、何して遊ぼうか? お嬢ちゃん」
先ほど手を叩かれた男が、下卑た笑みを見せながら再び手を伸びしてくる。
それをメルは再度叩き落とした。
「嫌、さわらないで!」
二度も手を叩き落とされたパルメラの兵士は、カッとなってメルの顎を素手でつかみあげた。
「このアマ、いい気になりやがって!」
「あが………!!」
パルメラ兵は顎をつかむ手に力を込めた。メルの柔らかな頬が締め付けられ、顎の骨が悲鳴をあげる。
(い、痛い───っ!!)
「このまま顎の骨を砕いてやろうか、ああ!?」
人間とは思えない握力。
メキメキと耳の奥から骨のきしむ音が聞こえてきた。右手に持っていたマルクスの花が、ひらひらと地面に落ちる。あまりに激痛にメルの目から涙がこぼれた。
慌ててまわりにいた兵士たちが止めに入った。
「おいおい、やめとけやめとけ。オレたちの楽しみをなくす気かよ」
「そうだぜ。痛めつけるのはオレたちが楽しんだ後にしてくれよ」
涙で濡れるメルの顎をつかみあげながら、パルメラ兵は言った。
「こういう女はな、少し痛めつけて身の程をわきまえらせねえといけねえんだよ! このまま顎をはずしてやる」
それは、本気の目だった。
殺される──!!
メルはそう思った。
そうだ、これはなぶり者にされて殺されるパターンだ。
涙を流しながら、父と母の優しげな顔を脳裏に思い浮かべた。
嫌だ、殺されるのは嫌だ。
(だ、誰か、助けて……!!)
その瞬間、ゴゥッ!!という低い音が耳に響いた。と、同時に顎を締め付けていた力が消えた。カクン、とメルは地面にへたり込む。
「うう……」
顎を抑えながら顔を上げると、目の前にいた兵士が白目をむきながら固まっていた。
「………?」
気が付けば、白目をむいた兵士の真後ろに見覚えのある男が立っていた。
黒いコートに白髪混じりの短髪を逆立てた中年の男。無表情で地面にへたり込むメルを見つめている。
「あ、あなたは……」
白目をむいた兵士が崩れるように前のめりに倒れ込むと、彼の後頭部が異様な形に陥没していた。
「ひっ!!」
メルは悲鳴をあげながら口を両手でふさいだ。
この男がやったのだろうか。いや、大の大人、しかも屈強そうな男の頭部をここまで凹ませるのは並大抵の力ではない。
メルは、黙って佇む中年の男に顔を向けた。黒いコートの内側から、血に染まった拳が見える。
まさか本当に素手で殴っただけなのか。だとすれば、殺人級の力の持ち主だ。
メルは無表情に佇むその男に、ぶるっと震えた。
「て、てめえ! なにしやがる!」
4人のパルメラ兵が、倒れた仲間を見て一気に剣を抜きはなった。
中年の男は表情を崩すことなく、パルメラ兵に視線をうつす。敵意むき出しの彼らの姿を一瞥し、男は背中に背負った板のようなものをベルトから外した。
ズシリと重そうな音が鳴り響く。
「な、なにを……」
メルが見つめる前で、男は一気に布を引いた。鞘の形をした布だった。
「な、なに、これ……?」
鞘状の形をした布の中から現れたのは、巨大な剣だった。
柄の部分も合わせれば、ゆうに2メートル以上ある。大人の男の身長を上回る大きさだ。幅も広く、板だと思っていた部分は、すべて刃だった。
大剣、と呼ぶにはそれはあまりにも巨大すぎた。
「……な、なんだ、ありゃ?」
「あんな剣が存在すんのかよ……」
動揺を隠しきれないパルメラ兵の前で、中年の男はそれを軽々と持ち上げ肩に担いだ。
素材は何でできているのか、黒光りする刃がきらりと輝いている。
「かかってこい、雑魚ども」
男は言うなり、強烈な殺気を放った。ビリビリとした空気が、メルにも伝わった。
(な、なんなの、この人……)
突如あらわれた中年の男に、メルは固唾を飲んで見守るしかなかった。




