第三話
ナターシャの村は、いつもの平穏な日常であった。
メルの母メリッサが村のはずれにある井戸の水を汲んでいると、近くに住むルワンダが声をかけてきた。
「やあ、メリッサさん」
「ああ、ルワンダさん。どうもこんにちは」
ひょろっとした体格で、人のよさそうな50過ぎの男。情報通で、どこから仕入れたのかわからないネタばかりを拾っては村人たちに伝えている。
どこどこの村で、一抱えもある巨大なカボチャが作られたとか、あっちの町ではネコ耳カチューシャが流行っているとか、どうでもいい内容ばかり集めては村人たちに面白おかしく触れまわる。
中には、生まれたばかりの赤ん坊が言葉をしゃべり、魔法をつかったなどという眉唾情報も含まれているが、彼の仕入れるネタは村人たちにとって刺激的で面白いものばかりだった。
「メルちゃん、今日、成人の儀だって?」
ルワンダは前歯のない口を開けて尋ねた。
「ええ、今朝早くに出発して。今ちょうど半分くらいのところじゃないかしら」
「そうかい、そうかい。ガジェさんも、気が気じゃないだろうねえ。大事な一人娘が、たった一人で森の奥深くに行くんだから」
メリッサは「ふふ」と笑った。
「そうなんですよ、朝から家の中を行ったり来たり。お祈りまでしてるんですよ。普段、したことないのに」
「ははは、村の長といっても、やっぱり人の親だねえ」
笑っていたルワンダだったが急に神妙な顔つきになり、メリッサの耳元でささやくように言った。
「そういえば、聞いたかい? 例のうわさ」
「例のうわさ?」
「パルメラの兵が、グラン領だった町や村を襲っては略奪や殺戮を繰り返してるって」
「まさか」
メリッサは苦笑いを浮かべながら首を振った。
「どこから仕入れてきたの? 悪い冗談はやめてくださいな」
「いや、ほんとだって。ワシの知り合いの知り合いの知り合いが、命からがら逃げ延びてうわさを広めてるんだ」
「またまた。そんな非人道的な行為、王様が許すはずないじゃありませんか。新しい王様がどんな人か知らないけど」
「いやあ、それがどうやら新しい国王様の命令らしい。反乱の芽を摘み取るという名目で、兵を派遣してるんだと」
「王様の命令?」
「しかも、パルメラ兵にとっては国王様の命令は二の次で、襲った町や村では人間狩りを楽しんでるって話さ」
「ちょっと、ルワンダさん……」
「ははは、すまんすまん。いくらなんでもそりゃねえよな。すまん、忘れてくれ」
「ほんとにもう。ルワンダさん、たまに笑えないこと言うんだから」
ルワンダは笑いながら手を振って帰って行った。それを見送りながらメリッサは肩をすくめて井戸の水をくみ終わると、家へと戻っていった。
鎖かたびらを身に着けた異様な集団がナターシャの村に押しかけたのは、太陽が西に傾きかけた頃のことである。
彼らはガチャガチャと音を立てて村の中央広場へと向かっていた。その眼は野獣のように鋭く、悪魔のように冷酷である。口元を歪ませながら残忍な笑みを浮かべて歩く姿は不気味であった。
人々は背筋が寒くなる感覚を覚えながら何事かと注視した。
彼らの着ている鎖かたびらにはパルメラ軍の紋章が刻まれている。どうやら、パルメラの兵士のようだ。
なにしに来たのだろう、と訝しく思いながら村人たちは足を止めてそれを眺めていた。
彼らはナターシャ村の中央広場まで来ると足を止めた。
総勢十数名。
その中心に巨大な斧を背中に担いだ巨漢がいる。
はち切れんばかりの鎖かたびらに、肩には羽飾り。
隊長クラスの男だ。
彼は巨体を揺らしながら舐めるように村を見回していた。
「ふん、辺鄙な村だ」
「やりごたえなさそうっすけど、殺りますか、隊長?」
「当たり前だ。なんのためにここまで来たと思っている」
巨漢は舌なめずりをしながら、まわりの兵士たちに命じた。
「ようし、てめえら。この村の連中を一人残らずここに連れてこい。抵抗するようなら殺して構わん!」
その言葉に兵たちは「ひゃっほう!」と叫んでいっせいに剣を抜いた。
「ひっ!!」
それを眺めていた村人たちから小さな悲鳴があがった。
パルメラ兵たちは剣を掲げながら、村中に散って行った。
※
聖なる泉へと向かうメルの頭の中では、さきほど出会ったあの不思議な中年男のことでいっぱいだった。
いったい、あの男はなんだったのだろう──。
彼からは、常人ではない何かを感じた。
見た目や言動といったものではなく、全体的なオーラのようなものが異質であった。自然と醸し出される雰囲気、それは今までメルが感じたことのないものであった。
それが何なのか、彼女にもわからない。
ただひとつ言えることは、彼はメルが今まで出会ったことのないタイプの人間である、ということだ。
(グランファシルに行くと言っていたけど……)
彼女は横に広がる深い森に視線を向けた。
どこまでも続く、鬱蒼とした木々。自分では入ろうなどとは決して思わない深い森の中へ、ためらいもなく突き進んでいった。あのあと、どうなったのかわからない。
メルは気にとどめながらも休むことなく歩を進めた。
まずは無事に成人の儀を終えなければ。
泉のほとりへ着くころには、陽は傾きかけ、薄暗い森の中がより一層暗くなっていた。メルは、ランタンを用意すると、火種を取り出し火をつけた。
淡いオレンジの光が辺りを包み込む。
神聖なる森の泉がより一層神秘的に光っていた。
この聖なる泉の中で、一晩、浸からなければならない。
すでに気温は昼間に比べてぐっと下がっている。肌寒いくらいだ。こんな中、冷たい水に一晩浸かるなど、いくら村の掟とはいえ酷である。
メルはためらいがちに白装束に手をかけ、一気に脱ぎ捨てた。ひんやりとした空気が肌を差す。
「寒……」
一糸まとわぬ素肌をあらわにして、恐る恐る素足を水の表面につける。
キン、と冷えた感触が足から伝わった。
凍える身体を両手で抱いて、そっと泉の中に身体を沈めていく。このまま一晩、明日の夜明けまでじっとしていなければならない。
(さむい……)
彼女は、震えながら今朝の光景を思い出していた。
村では威厳のある父が、成人の儀に向かう娘に対しては人前では見せたことのない顔をしていた。
いかつい顔をした大の大人が、オロオロと心配そうに自分を見つめている姿は、なんとも滑稽だった。
「ふふ」と、メルは笑みを浮かべた。
今、思い出すだけでも笑えてくる。父は、娘のメルにはそうとう甘い。
「成人の儀など、やらんでいい。いや、今日から中止にしてやる!」
村の長であるにも関わらず、そんなことまで言っていたほどである。
村の掟だろうがなんだろうが、娘のほうが最優先なのだ。
さすがにそれは母によって止められた。
親バカというのはこういうことかとメルは思った。
母は母で厳格だがいつも優しい。決められたことを必ず守らせ、それができた時には思いきり抱きしめて褒めてあげる。この成人の儀も、無事にやり遂げたら母の力いっぱいのハグが待っていることだろう。
メルは父と母の顔を思い出しながら水に浸かり続けた。
不思議と最初に感じた寒さは消え、心地いい水のぬくもりへと変わっていた。聖なる泉という言葉にもうなずける。これなら、一晩中過ごせそうだ。
上体を反らして空を見上げる。満点の星々がきらめいていた。
「きれい」
吸い込まれそうな夜空だった。かつて神々の戦いによって散った、無数の天使たちの輝きだと言われている。彼らは、散ったあとも光を放ち続け、人々を見守っているのだという。
それを思えば、たった一晩、泉に浸かることなどなんだというのだろう。
父の心配そうな顔を思い出し、メルはもう一度笑った。




