EP02:魔術師の町
見渡す限りの異質な町に、ソラは怪訝な顔をした。
あちらこちらから歯車の噛み合う音が鳴り響き、猛るような煙の唸り声が轟く。
闊歩する住人は皆、深くフードをかぶっている。まるでお互いの顔を隠すようだ。
「キミもフードを被りたまえ。この町ではそういう習わしだ」
「わっ」
ぽん、と軽やかな音がしてソラの着衣が変化した。
黒いシャツの上に、住人と同じような黒いローブがあらわれた。
「先にいってくださいよ」
「ごめんよ、忘れてた。何しろ数世紀ぶりだからね」
「数世紀て……」
ソラは思わずローブに手を伸ばした。
普通の生地だ。魔法で作ったようには見えない。
特殊なことといえば、手触りがさらさらしていることくらいだ。
「着心地は悪くないだろ。即席でつくったにしては」
「ええ、まあ」
「ふふん、弟子たちにも服をプレゼントしたがね、喜んでいた。だから自信があったんだ」
得意げに、ラビは両手を腰にあてた。
「魔法で服を作れるんだったら、服屋にでもなればこんなふうに面倒もなかったのでは」
「それだと私の目的は達成されないのさ」
「ああ、そういえば、そうでした」
彼女に本来、金などは必要ない。つまりは、働く必要がない。
それでも労働にいそしんでいる理由が、彼女にはあった。
自ら作った楽園の再建に努めるでもなく。
そこにこもるわけでもなく。
こうして数世紀経った現代に身を馴染ませ、情報を集める必要が、彼女にはあったのである。
「楽しそうだったから、つい、趣味でやってるものかと」
「そりゃ楽しいけれどもね。趣味でこんな苦行はしないとも」
「そうでしたね。魔法でどうにかすればいいものを、わざわざ賃貸契約まで結んで擬態してるんでしたね」
「そうだよ。もっと私の苦労を感じてくれたまえ」
バン、とラビはソラの背を叩いた。
「さて、それじゃまずは宿をとろう」
「宿? 何日か滞在するんですか?」
「もちろん。魔術師連中は面倒だからね。だから、日付と時間はかけてゆっくりいくよ」
ソラは少し名残惜しそうに、駅舎を振り返った。
スチームパンクさながらのデザインは、決して彼の知っている世界にそぐわないものだ。
地に足がついていないような感覚がした。
──少しだけ、恐怖を感じた。
自分の知らない町に、足を踏み入れる。その一歩がとても重かった。
「ほら」
「え、あ」
ラビが手を引く。
重い足が、無理矢理町へと踏み入れる。
噛み合う歯車。
吹きあがる蒸気。
じんわりと温かい、スチームパンクの世界に蔓延るローブの住人達。
テーマパークさながらの町を背景に、まるで道化のように、彼女がにんまりと笑った。
「ようこそ、魔術師の町、ウェルダーパークへ」
***
幸いにも宿はすぐとれた。
駅からそう遠くない、古いタウンハウスをそのまま貸し出しているだけの宿だ。
一戸建てが連なるそれは、日本でいうところの『長屋』だが、見た目はまるで違う。
「多くはホテル住まいか、あるいは工房をかまえているかの二択だからね。こういう宿がここでは主流だよ」
「もっとビルみたいな、でっかいホテルでもあるのかと思ってましたけど」
「魔術師もそう多くはないからね。そんな大きな設備を動かす力の方が無駄になる」
部屋の中は普通だ。
カーペットの床はいかにもイギリスという感じだったし、当然のように土足のまま入る仕様だ。
その他はとくに変わった様子はない。
確かに備品やランプには歯車が見えるが、それだけだ。
「なんか、ふつうですね。もっと、こう……」
「寝て起きる場所だからね。極端な話、ベッドとテーブル、椅子さえあればいいと思うよ」
「そりゃまあ、そうなんでしょうけど」
ソラはベッドに腰掛けた。
ぎい、と古そうな音が鳴る。さすがにこれには歯車がない。
「ああ、そうだ。お腹が減ったら私に伝えてくれ。私にはそういう感覚がないから、キミの感覚に合わせて食事の時間としよう」
「いいですけど、ここ、何か食べられる店とかあるんですか?」
「当然だとも! 魔術師は人間だぞ。食べないでいられるものか」
「……ふつうのものですか? 焼いたトカゲとか、カエルとかじゃないんです?」
「あのね。魔術に使う一派があったとしても、食べたりはしないとも。通常の食事だよ。文化の差はあるかもしれないが」
ほどなくして宿を出た。
行先はウェルダーパークの商店街。この町の中心地である。
細い路地の左右に、路面店がずらっと並び、どの店にも小さな煙突がついていた。
時折、煙を排出する様は獣の咆哮のようだ。
「暑いですね」
「うん、中心地はさすがにね。それでも、ローブがあるから歩けるんだ」
ふう、とラビが息をつく。
そんな彼女の頭にも、いつもはお役御免となっているフードがかかっている。
「え、これ、脱いだらどうなるんです?」
「火傷だね。ここに来れるようになるには、魔術の鍛錬も必要なのさ」
「素人や初心者はいないってことですね……」
人々が異質にみえるのはそのせいか、とソラは納得した。
談笑というものがない。
ただ淡々と、冷酷と、話がそこらかしこで行われている気がした。
その町には穏やかさがなかった。
常に、ぴんと緊張の糸が張り詰められているかのようだ。
「さて、ここからが本番だ。悪いがキミはお口にチャック。私にあわせてくれたまえ」
「え、ちょ──!」
むぐ。
言葉は続かなかった。
比喩でも冗談でもない。本当に、嘘みたいに口が開かなかった。
もちろん呼吸は可能だが、まるで口を縫い合わされたかのようだ。
(抗議をする暇もない)
もとより、喋るなと言われれば喋らない。
ので、こんなことをする『必要性』がソラにはいまいち理解できなかった。
──それでも。
彼には、ラビに従う他の選択肢もないのだが。
ラビは有無を言わさず、ソラの手をつかんだ。
まるで子供の手を繋いで歩くようにして、ソラの手をひき、立ち並ぶ店の一つに入っていった。
(……なんだここ。酒場、か?)
看板の文字は読めそうになかった。
が、中に入った瞬間、あの酒場特有のアルコール臭が鼻を刺激した。
「さ、お座り。ジャック」
ジャックって誰だよ。
そう思いながら、ソラは促されるまま、席についた。カウンター席だった。
見渡す限り、異質だ。スチームパンクも相まって、ゲームの酒場さながらだった。
目の前には屈強な男が、グラスを拭いている。
「マスター、エールを頼むよ」
「……はいよ」
ラビの声に、男は低い声で返事をした。
「そいつ、ジャパニーズかい」
不意に隣から声がした。
ローブで顔は見えなかったが、その声音は男性のものだ。
「そうだよ。捨て子でね」
しれっとした声で、ラビがこたえる。
「かわいそうなことに、口がきけないんだ。ほら、みせてごらん」
ラビの薄紫色の目が、ほんのわずかに光を帯びた。
同時に、ソラの閉じられた口が開く。
男が息をのむのがわかった。
驚くような表情で、男はじ、とソラの口を見つめている。
(なんだよ。同じニンゲンのはずだろ……何がそんなに珍しいってんだ)
怪訝な表情を浮かべたくとも、身体は全くいうことをきかない。
口を開けたのも、今表情筋を操っているのも、ラビである。
彼の制御は一切ない。
「なんだ、それ……まるで、口の中にブラックホールでも出来たみてえだ」
震える声で、男がそうつぶやいた。
(!)
なんだ、それ。
そんなものはソラのセリフだ。
知らない。知らない。知らない。そんなの、まるで、まるで──あの、サン・ジェルマン伯爵じゃないか。
「そうだよ。『僕』が拾ったときにはもう、こうだった」
ラビは切なそうにつぶやいた。
「恐らくは魔術や呪いの一種だと思ってね。ここならば何かわかるかもしれないと連れてきたんだ」
男の目はソラに釘付けだった。
そ、と彼はローブに手を伸ばして、フードから顔を出した。
「……エールだ」
「ああ、どうも」
ほどなくして、マスターらしい男が黄金色の液体が注がれたコップを置いた。
彼の視線も、おのずとソラに向いた。
「……そいつの症状、見たことがある」
「え?」
「最近この町で密かに流行ってる伝染病みたいな呪いだ。誰がそうなるか、どういう状況でそうなるのかもわからん」
ソラは思わず呪いのビデオで広がるホラー映画を思い出した。
アレも伝染病みたいなものだった。
もしあんなものが実在していたら、と思うとゾッとする。
「詳しく聞きたいなら、十三番通りのクロードという魔術師を尋ねるといい。ヤツはそれについて調査しているはずだ」
「十三番通りのクロードね、わかった」
ラビはコップを手に取ると、ぐいと一息に飲み干した。
そうしてソラの手を取って、立ち上がる。
ようやくここから出ることができるのかと思うと、ソラはほっとした。
「十三番通りのクロード? あの人形好きな変態ヤロウか!」
引き留めるように、男が声を荒げた。
男はいつの間にかローブをかぶり直していた。
確かに顔をみた気がするが、不思議なことに、ローブをかぶり直した男を見つめても、その中の顔は思い出せない。
男は自分のコップをぐいと飲むと、「あー」とうなって、それからつぶやいた。
「あいつに会いに行くなら急いだほうがいい。夜は絶対にヒトに会わないんだ」
「知ってるのかい?」
「ちょっとした有名人だよ。オートマタばかり作ってる変態ヤロウだ。噂によると、生きた子供を攫ってはオートマタに作り替えてるとか」
「おお、そいつは中々だ。でもご安心を。こう見えてもそこそこはやれる方だよ、僕は」
ラビはお代、とカウンターに札を置いた。
みたこともない通貨だ。日本円でも、外国通貨でもなさそうだった。
「ありがと、お二人さん。解決したらこの子と一杯やりにくるよ」
「ああ。町のためにも解決してくれ」
二人は酒場を後にした。
しばらくして、人目にあまりつかない細い路地にそっと駆け込んだ。
──パチン。
ラビが、指を鳴らす。
「ぷはっ」
ほどなくしてソラの全身は彼自身の制御に戻った。
口がある。ちゃんと声が出る。目が動かせる。表情筋も、腕も、足も、全部、思いのままだ。
「ちょっと、誰がジャックですか」
「ワトソンの方がよかった?」
「そんなわけないでしょう。そういう話じゃないですよ」
ソラはラビをにらみつけた。
口の中に思わず手を入れて確認したが、ちゃんとある。
歯も、歯茎も、舌も、全部。あるべき場所に、ちゃんとある。
「さっきのも魔法ですか」
「まあ。私くらいになると、認識齟齬もかなりの高レベルまでいくよ」
しれっとした顔でラビは答えた。
つまるところ、全部演技で全部ウソだ。
「……別にいいですけど、いいんですけど、いってくださいよ先に。それに『僕』てなんです」
「オトコのフリしてた方が都合がいいのさ。女の魔法使いなんて、本人がどれだけ主張しても『魔女』と言われかねないからね」
「ああ、『魔女』て単語は嫌いなんでしたっけ」
「忌み嫌われる単語だったからね。私にとっては好ましい単語でもないとも」
それより、とラビは言った。
「次の目的地は十三番通りだ。いい情報が手に入った」
「クロードって魔術師でしたっけ? なんかヤバそうなやつでしたけど」
先ほどの男の言う通りなら、その魔術師は異常だ。
子供を攫って、オートマタへ改造する。
その意味がいまいちよくわからないが、あの言い方ならば恐らくよくないことなのだろう。
「あれもどこまで本当の情報かわからないよ。私がウソをつくように、彼らも嘘をつく。認識齟齬をされることはなくても、そんなことしなくてもニンゲンってのはとても自然に嘘をつけるだろ?」
「もしかして今、けなされてます?」
「まあ、そんなところだ。それより、次の相手は生け捕りにして我々のホテルで話を聞く予定だから、キミの活躍も期待するよ」
ぽんぽん、とラビはソラの肩を叩いた。
「え? 実力行使ってことですか?」
「魔術の方は打ち消してあげるから、羽交い絞めにして意識をオトしてくれたまえ。そしたらホテルまで飛んで、そこで楽しい尋問・拷問のお時間だ」
ソラは絶句した。
軽々しく口にしていい単語ではなかった。
あまりに物騒な申し付けに、ちょっと言葉を失って、それから頭を抱えた。
(──ああ)
思い出す。
(このひとも──大概、異常なんだった)
目的のためには、手段を選ばない。
他人、それも自分と関係のないニンゲン相手には、かける情けがない。
そういう魔法使いなのだと、少し思い出した。
「相手、屈強な男とかなら無理ですからね」
「大丈夫だよ。大体の魔術師は細身だから」
「あのマスターは屈強でしたけど」
「そういうこともある」
「おい」
まるで聞こえないふりをして、ラビは歩き出す。
「ほら、いくぞ助手くん。キミの活躍、録画して妹さんにみせてやろう!」
「意味がわかんないんですけど……」
ニコニコするラビの後ろを、怪訝な顔で、ソラが追った。
少し短いですが更新です。
読みやすいようにわざと区切っております。
令和でもどうぞよしなに。気が向いたら別の作品も書いちゃうのでいつまでこれかけるかはわかりませんけれども!