第7話 魔術師の卵
レイジーナの案内で、最後に訪れた部屋には何やら看板が掛けられていた。レイジーナに尋ねてみると「研究室」と読むらしい。
レイジーナの後について研究室に入ると、その中は思っていたよりも広いものだった。おそらく、レイジーナたちと食事をした食堂よりも広い。
一番に目に入ってきたのは、ずらりと並んだ、ルトレギナの背丈よりも高い本棚の群れ。その奥へと進んで行くと、様々な書物が積み重ねられ、黒板が立て掛けられた大きなテーブルが設けられている。そのテーブルの傍には、既にイグナジアが恭しい姿勢で待機していた。
レイジーナがイグナジアの隣まで歩み寄ると、行儀悪くテーブルへと腰かけ、何やらルトレギナに向かって顎を振って見せる。
「イグナジア」
「かしこまりました」
たったそれだけのやり取りで、二人は意思疎通ができるらしい。
イグナジアは素早い動きで佩いていた警棒の如き短杖を取り出すと、それをルトレギナに向けた。ルトレギナが思いがけず目を丸くする前に、イグナジアは短い詠唱を唱えて、魔法陣を展開させる。
「寝息は澱む、産声は凍る、息吹は止める――〈揺籃の卵よ、眠れ〉」
展開された魔法陣は、ルトレギナの心臓あたりへと吸い込まれてゆく。驚いた拍子に、ルトレギナは本能的に己の中で魔力が爆発するような感覚を覚えた。
(しまった、まずい……!)
また、建国記念式典の時のように、大嵐を呼んでしまう。それを危惧したルトレギナだったが、一向に雷が落ちる気配もなく、暴風雨が吹き荒れる様子もない。
ルトレギナは思わず何度も目をしばたたかせて、己の心臓の辺りを片手でまさぐる。
「魔力が……暴発、しない……?」
「当然です。少しの感情起伏くらいでは暴発しないよう、私が封印しましたから。ですが、貴方は魔力の暴発が癖になっているようですので、念のためご注意ください」
「封印、だと?」
ルトレギナの独り言へと涼しげな顔で答えたイグナジアは、再び短杖を腰に提げる。
ルトレギナは訝しげにイグナジアに目を向けるが、そこにレイジーナが付け足すように口を挟んだ。
「イグナジアは大陸一の封印魔術師だ。てめぇの魔力の大半を、イグナジアに一時封印してもらった」
レイジーナの言葉に、ルトレギナは心底意外そうな顔をしてぽつりと零す。
「……僕の魔力は、封印できるものなのか?」
「まあ、そこらの魔術師じゃあ到底無理だろうな。だが、イグナジアならできる。こいつは世にも珍しき天才様だ。なァ?」
「魔術においては、封印魔術だけが取り柄ですので――レイさんには及びませんが。お褒めに預かり光栄です」
イグナジアがにこりと笑みを浮かべて、片手を胸に添えるとレイジーナに深々と一礼した。レイジーナに向けるイグナジアの笑みは、いつもと違う。
きっとイグナジアは、レイジーナのことが好きなのだろうなと、ルトレギナは根拠もなしに何となくそう思った。
「それで、だ。イグナジアにてめぇの魔力を封印させたのには理由がある」
「? 理由、とは」
ルトレギナが首を傾げると、レイジーナが腰かけていたテーブルから立ち上がり、ルトレギナのもとへと歩み寄ってきた。
「てめぇの現在の魔力は、一般人並みだ。その状態で、魔力を制御する術として、魔術を学べ」
「!」
魔術を学べ、とは、つまり――魔術師に成れ、ということだ。
「てめぇは魔力を制御できねぇゆえに、ダンデリオヌス家に目をつけられている。その場しのぎで俺が取引を持ち掛けたが、奴らはこれからもてめぇの暗殺を企てるはずだ。他にも皇族諸侯から同類が出てくるだろう。そういう、てめぇをつけ狙う阿保共を黙らせるには、てめぇ自身の強さと権力が必須。そういうわけで、ルト」
ルトレギナの胸に、レイジーナが人差し指を突き立てる。
「てめぇ、〈七王笏〉に成れ」
レイジーナの提案に、ルトレギナは瞠目せずにはいられない。
何よりも王の威光を放ち、何よりもの王の権威を示す、王の掌中になくてはならぬ杖、それが王笏。
その王笏の名を冠する者たち――〈七王笏〉とは、帝国最強を誇る七人の魔術師。もしくは、皇帝に政の進言をも許可された皇室付きの相談役。名だたる名士たちの推薦を経て、皇帝直々に指名されて就任する、ヤルンヴィド帝国の魔術師たちの頂点だ。
レイジーナの提案は突拍子もなければ、実現不可能と言っても過言ではない、そういうものに違いなかった。
そうであるはずなのに、何故だか、ルトレギナの胸は躍った。
「僕が、〈七王笏〉に……そうか」
ルトレギナの暗雲立ち込める灰色の視界に、一筋の光が差すような高揚感が胸を突いて、ルトレギナの口を本能のままに動かす。
「それが、僕の生きる意味になるだろうか。叔父上」
ルトレギナが、生まれてからずっと欲しかったもの。誰もに死ぬことを願われ、生きることを疎まれていたルトレギナが、生きていてもいいのだという――許し。
ルトレギナよりも頭一つ分小柄なレイジーナが、一瞬だけ目を瞠った。しかし、すぐに目を細めてルトレギナを見上げてくると、ルトレギナの胸を手の甲で小突く。
「さぁな。それを決めるのは、てめぇだ。ルト。それで、この話に乗るか?」
「乗る」
ルトレギナは間髪を容れずに頷いた。それにレイジーナが妖しい笑みをにやりと浮かべて、頷き返してくる。
「良し。ならば早速、今日から楽しい楽しいお勉強の始まりだ。魔術を学ぶにはまず、読み書きができることが基本だ。そこはイグナジアから学べ。それと並行して、俺が魔術基礎を叩きこんでやる。いいな?」
「承知した」
ルトレギナは素直に頷くと、レイジーナとイグナジアの二人を見回して、己の胸に片手を添えると、深々と頭を下げた。
「僕は学びたい。魔術師になりたい――ゆえに、よろしく頼む。叔父上、イグナジア」
「お。良い心がけじゃねぇか。なァ? イグナジア先生」
「はあ。私は嫌で嫌で堪らないんですがねぇ」
こうして、〈七王笏〉を目指す魔術師の卵、ルトレギナの学びの日々が始まった。




