第2話 女王の忌み名
◇◇◇
建国記念式典、当日。
ルトレギナは厳重な監視の目――多くの近衛兵に囲まれて、式典会場であるサンローズ大舞台へと訪れていた。
サンローズ大舞台は、帝都の中でも一等見晴らしの良い場所に位置しており、サンローズ大舞台の背には、政の中枢であり皇室の居城たる大宮殿が山の如く聳え立っている。
その雄大な光景は、まさにヤルンヴィド帝国の威光を象徴しており、建国記念式典に相応しい会場だった。
会場であるサンローズ大舞台も、豪華絢爛に彩られており、皇族諸侯は大舞台の上段に席を構え、舞台の下には大勢の民衆がひしめき合っている。
果てしない青空を突くように聳える大宮殿。そのお膝元を彩る、煌びやかなサンローズ大舞台と、大勢の民衆。
(この世界は、天地は――この国は。何と、美しいのだろう)
そんな光景にしばらく目を奪われていたルトレギナだったが、すぐに監視役の近衛兵たちに遠回しに急かされて、大舞台の端に設けられた控え天幕へと連行された。
ルトレギナは天幕の中で、皇帝から直々に用意されていた礼装へと着替えなければならなかったのだ。
姿見の前に立ち、化粧を終えたルトレギナは小さく息を吐く。
(化粧は昔から練習させられていたが……この礼装はやはり、何とも言えんな)
姿見に写ったルトレギナは、長身瘦躯の女性とも見紛う、ドレスとスーツを組み合わせたような黒ずくめに金糸の刺繍が美しい衣装を身に纏っていた。
コルセットまで装着し、普段は下ろしている前髪も整髪剤で後ろへと撫でつけ、銀細工と金細工がきらめくティアラにも似た額飾りをつけている。
そのうえ化粧までしているので、中性的な顔立ちのルトレギナは、顔だけなら女性に見えなくもない。しかし、なにぶん身長が巨人の如く高いので、何だかちぐはぐな姿だ。
ルトレギナが、このような皇帝直々に賜った特別な礼装を着ているのには、理由があった。
(生まれた時より〈怪物〉だった僕には、傾国の象徴と忌み嫌われる〈女王〉の忌み名がつけられている。〈女王〉の忌み名を持つ者はその名に従って、公の場に出る際には、女王を模した女王の礼装を身に纏わなければならない……奇妙なしきたりだ)
太古の昔、かつてヤルンヴィド帝国を滅びの危機に陥れたのが、女の王、つまりは女帝だったらしい。
それからヤルンヴィド帝国では、女帝の即位は禁忌とされ、皇族の中でも「傾国のもの」と危険視される者には、〈女王〉の名をつけられるのだ。
(この姿は……嫌でも目立つだろう)
姿見に写る女王の礼装を身に纏った己が、何だか異物のように見えてきて、ルトレギナはそれから目を逸らすように姿見へと布を掛けた。
「フ――……」
嫌に鼓動が速い気がする。鼓動の不規則な乱れは、心の乱れの証。もしかしたら、少し緊張しているのかもしれない。
ルトレギナは細く深呼吸をして、心を落ち着かせようとした。建国記念式典にて、ほんの些細な己の心の乱れで、嵐を呼ぶわけにはいかない。
「ルトレギナ殿下」
天幕の外から、近衛兵の声が掛かった。
どうやらそろそろ、皇族は席につかねばならないらしい。
(皇子たる者――決して心を乱すな。父上の言い付けを守れ。父上の期待に応えろ)
ルトレギナは左手を胸に当て、心臓の上に爪を立てると、また短く深呼吸をして顔を上げる。そうして天幕を出て、サンローズ大舞台に設けられた皇族席へと歩いて行った。
高いヒールが「カツン」と歩く度に鳴る音を響かせ、ルトレギナは背筋を伸ばし、既に着席していたカムヴィ帝の脇にある三つの皇子席の端へと座る。
ルトレギナは密かにカムヴィ帝へと声を掛けようと思っていたが、そんな考えもすぐに吹き飛んでしまった。何故なら、目の前に広がるのは見渡す限りの民衆の波。音楽団に、踊り子の群れ。そして背後からは、皇族諸侯たちからの視線が全て突き刺さる。
前からも背後からも、ルトレギナが現れたことにより大規模などよめきが起こった。
「見ろ……! 第三皇子殿下だ……」
「あの御方がルトレギナ殿下……初めて見たぞ」
「女王の礼装……間違いない。あれが……」
ルトレギナが懸念した通り、ルトレギナは皇族諸侯から民衆まで、サンローズ大舞台に集うあらゆる人々の注目の的となってしまった。
「まさか本当に、怪物皇子が式典に現れるとは……」
「あの皇子が、十七年前の大災厄の元凶か。忌々しい限りよの」
「恐ろしや……禍々しいまでに美しい御方じゃ」
「式典に呼び出して本当に良かったのか? また帝都に、災厄が降りかかるのでは?」
「あの怪物の目を見てはいけないよ……目が潰れちまう」
怒涛の如く、様々な人々からの好奇、恐れ、侮蔑、悪意の言葉がルトレギナの全身を突き刺し、その身体を硬直させた。
今まで散々聞いてきた、塔の近衛兵たちの陰口の比ではない。
「なにゆえ皇帝陛下は、あの怪物皇子を始末なされないのか……」
「どう見ても帝国の毒だろう、あれは」
「〈傾国の怪物〉が、いつ皇帝陛下や皇子殿下たちに牙を剥くとも知れない」
「あんな怪物を生かしておいて、何か意味があるのだろうか」
悪意の言葉が、視線が、容赦なく絶え間なく、ルトレギナに襲い掛かる。
ルトレギナの視界が、世界が、渦のように歪みだした。
(待、て……僕は怪物。僕が、父上を、兄上たちを害する……? ちが、う。そんなことするはずがない。僕、は……僕はなにゆえ、この場にいる? なにゆえ生きている? 知らない。ただ僕は、父上に会いたく、て……)
ルトレギナは次第に呼吸が苦しくなり、意識が朦朧としてきた。膨大な悪意に中てられて、明らかに心が乱れ、それどころか肉体まで蝕まれ始めている。
それを自覚したルトレギナは固く目を瞑り、左手で己の心臓の上に強く爪を立てた。指先から、不規則で異常に速い心音が「どくどくどく」と不気味に伝わってくる。
「い、けない……魔力、が……!」
己の中の深奥で蹲っていた強大な何か――ルトレギナを怪物たらしめる魔力が、蠢くのを確かに感じる。
(このままでは、僕の魔力が……この場にいる全ての人々を、害してしまう。それだけは、避けなければ……!)
ルトレギナは咄嗟に立ち上がると、額に浮かんだ脂汗もそのままに、二つの空席の先に居るカムヴィ帝へと、掠れた声を振り絞った。
「ちち、うえ……申し訳、ありません。少し、心が乱れてしまいました。一度僕は、この場を離れてもよろしいですか……?」
ルトレギナはふらつきながらも、必死に足を踏ん張って、小さくカムヴィ帝へと頭を垂れる。すると、すぐにカムヴィ帝の声が淡々と返ってきた。
「許さぬ」
その短い一言に、思わずルトレギナは「は……?」と間の抜けた吐息を漏らして、頭を上げた。顔を上げて、カムヴィ帝と目が合った瞬間、カムヴィ帝の口から大きな溜め息が吐き出される。
「ここ近年は嵐の到来も無く、ようやくそなたの子供じみた癇癪が直ったのかと思えば……」
心底呆れ果てたような、苛立っているような低い声と共に、カムヴィ帝はルトレギナの顔を見て、忌々しげに顔をしかめた。
「そなたは、大人しく皇子の席に座っていることも……このような事すらできぬのか」
カムヴィ帝のその表情が、その声色が、その言葉こそが、今まで受けてきたどのような罵詈雑言よりも、ルトレギナの心臓を深く抉ったように思えた。
ルトレギナは反射的に「申し訳ありません」とカムヴィ帝に謝罪しようとしたが、それを遮るかのように、不意に頬へと温い何かが伝った。それは水の珠のような感触だった。
ルトレギナは左手で、微かに濡れた頬に触れながら、天を仰ぐ。
「雨……?」
ルトレギナがそう呟いた瞬間。
頬に触れているルトレギナの左手から、火花が散るように雷が迸った。
「ぐ、ああ……!?」
カムヴィ帝が呻き声を上げると、座っていた椅子から頽れて、床に蹲る。
ルトレギナから弾けた雷が、カムヴィ帝の右手に直撃したのだ。
ルトレギナは己の心の乱れも忘れて瞠目すると、蹲ったカムヴィ帝に駆け寄ろうとする。
ただひたすらに、焦燥と心配が痛いほどに胸を突いて、ルトレギナの身体を本能的に動かした。
「! ちちう……」
「父上」と呼ぼうとした。
倒れた父を助け起こそうとした。
しかしそれは、サンローズ大舞台にて爆発するように巻き起こった、民衆と皇族諸侯の悲鳴によって掻き消され、遮られた。
「きゃああああああ! 陛下が、陛下がぁ!」
「何ということだ! 誰か! 今すぐ医術師を呼び寄せよ!」
「陛下!? ご無事ですか、陛下ぁ!」
鼓膜をも破りそうな悲鳴に身をすくませたルトレギナにも構わず、カムヴィ帝の周りにすぐさま近衛兵やら大臣たち、医術師が、羽虫がたかるように集う。
そんな人混みの狭間から、一瞬だけ、ルトレギナはカムヴィ帝と目が合った。
しかし、父と視線を交えた刹那。とこしえに、時が止まったような気がした。
否――ルトレギナの時だけが、ルトレギナの呼吸が、止まったのだ。
「…………」
こちらを無言で見つめる、もしくは睨んでいるカムヴィ帝の眼差しは、ルトレギナと同じ金色であるはずだというのに、同じものとは到底思えなかった。
ルトレギナを見る、カムヴィ帝の目。
恐怖、蔑み、得体の知れなさ、生理的嫌悪、そういった感情が綯い交ぜになった目。
それはまさしく――「怪物」を見る目に違いなかった。
(嗚呼、父上。どうか――)
ルトレギナはもう、その場から一歩も動ける気がしなかった。
「どうか、そのような目で……僕を、見ないでください……」
ルトレギナの抑揚のない掠れ声が、ぽつりと零れる。
ルトレギナの視る世界から色が消え失せ、黒と白と灰の、無彩色が支配する。
まるでそれが合図であったかのように。途端に、雲一つない晴天の空から、肌を刺すような雹混じりの冷たい豪雨が降り注ぎ始めた。併せて遠雷の音まで聞こえ始め、その遠雷の音は、徐々にサンローズ大舞台へと近づいてくる。
その異常な気象変化に、サンローズ大舞台に集う人々の悲鳴がより大きくなり、一帯が騒乱じみた恐慌状態に陥った。
「い、いや……いやああああああ! 災厄よ! あの怪物が、災厄を呼んだんだわ!」
「おいどけ、どけぇ! あの怪物皇子から離れろぉ!」
「け、〈傾国の怪物〉が、陛下を……殺される、殺される……!」
民衆たちの恐慌状態は次第にサンローズ大舞台全体へと広がってゆく。
一方、大舞台の上段に居る皇族諸侯、大臣たちは、倒れたカムヴィ帝を控え天幕へと運んだものの、民衆たちの恐慌に中てられて、統率も無く各々が誰かに縋ろうと我を忘れていた。
「〈七王笏〉は……誰か、〈七王笏〉はおらぬのか!? 我々を守らせよ!」
「〈七王笏〉は、二人が遠征中の第二皇子殿下に、一人は第一皇子殿下についておられる! 〈占星の杖〉殿は、陛下の治療に向かわれた……〈天泣の杖〉殿と〈祝歌の杖〉殿はどこにおられる!?」
「近衛隊を全て動かせぇ! 誰でもよい! 誰かわたくしを守りなさい!」
皇族諸侯たちは、己のことしか考えていない。
しかし、そうではない者たちもいる。大臣や、政の中枢を担う大貴族の当主たちが、茫然自失としているルトレギナを囲むように立ち塞がった。
「〈傾国の怪物〉め……よくも陛下を!」
「この簒奪者めが! 皇帝陛下の暗殺を目論んだのか!?」
「陛下のご慈悲のもと、この式典へと招待されたものを……恩を仇で返しよって!」
「近衛隊、この怪物を捕らえよ!」
武器を持った近衛隊の兵たちが、槍の穂先をルトレギナに向けてくる。
それを目の当たりにしても、ルトレギナは己の身体を微塵も動かすことができなかった。
それほどまでに、先程の父の「怪物を見る目」が、忘れられない。この肉体を縛ってならない。この心を蝕んで、止まらない。
心臓にぽっかりと空いた穴が塞がらず、腐った血肉を垂れ流して、穴を広げてゆくような感覚がした。




