第20話 汝、王笏と成れ
◇◇◇
一刻と経たず、ルトレギナ一行はヤルンヴィド近海に到着した。
馬を置いて、沿岸へと歩いてきたルトレギナたちは、思いがけず眉を顰めずにはいられない。
灰色のヤルンヴィド近海、海上。
そのもうすぐそこには、天を突くほどに巨大な、禍々しくもどこか神々しい亀の姿をした〈黄昏竜〉がゆっくりと近づいて来ている。これ以上沿岸部に近づかせてしまえば、津波が押し寄せてくるだろう。
ルトレギナは振り向いて、他の三人に視線を巡らす。
「何でもいい。ここで大きな障壁のようなものを作ってくれないか? 僕の魔術の反動衝撃を防いでほしい」
「あァ。わかっている。まずはてめぇの魔力解放をしておくぞ――イグナジア」
「かしこまりました」
レイジーナが目配せをすると、イグナジアが恭しく頷いた後、佩いていた警棒杖を引き抜いてルトレギナへ向ける。
「蘇れ、理――〈魔王の復活〉」
すると、ルトレギナの胸から魔法陣が浮かび上がり、イグナジアが警棒杖を振るうと、魔法陣が「ぱきん!」と甲高い音を鳴らして、光の破片を散らしながら粉々に砕けた。
同時に、ルトレギナの全身から「バチバチバチ!」と雷の火花が迸って、強大な魔力が今にも溢れ出さんと光の瞬きと共に脈打つ。
それをルトレギナは、小さく深呼吸をしただけで抑え込んだ。
「ルト」
細い息をゆっくりと吐き出していたルトレギナに、レイジーナが呼びかけてくる。
ルトレギナがレイジーナを振り向くと、レイジーナはいつも肌身離さず持ち歩いている、氷の花の装飾が「しゃらん」と鳴る長杖を差し出してきた。
今思えばその氷の花は、かつての幼い自分が、レイジーナへと贈った花冠が美しいままに保存されたものなのだと密かにルトレギナは気が付いて、温かな喜びがじんわりと胸に広がった。
「然る皇子様に賜った花冠をもとに作った、最高の杖だ。てめぇに貸してやる。丁重に扱え」
「……ありがとう、叔父上」
ルトレギナは思いがけず小さく笑いながら、レイジーナの長杖を借り受ける。しかし、ルトレギナはすぐに、途方もない不安が胸を刺した。
己がここで、失態を犯したら――レイジーナとイグナジアは、どうなるのだろう。
まだ、二人の隣に居たい。何も失いたくない。
こんなにもどうしようもない漠然とした心許なさは、ルトレギナにとって生まれて初めてだった。
そんなルトレギナの心情を察したのか、レイジーナがルトレギナの肩に、ぽんと片手を置く。
「そんな顔するな。案じることは何もねぇ。全て上手くいく。てめぇには俺が居る。それに」
レイジーナに続いて、イグナジアもルトレギナの前に出てくると、イグナジアはルトレギナの肩を小さく叩いた。
レイジーナとイグナジアが、その銀と真紅の視線を、ルトレギナの金色の視線に溶けるように絡めて、何よりも凄絶な、しかし、何よりも美しい微笑みを湛えた。
「てめぇは俺の甥だからな」
「失敗しても結構ですよ。貴方と交わした盟約の下、地獄の果てまで追いかけて、この手で殺して差し上げますから」
それは、レイジーナとイグナジアなりの、最上級の激励の言葉だった。
そして何より、ルトレギナを喜ばせ、昂らせ、勇気を抱かせる、魔法の言葉に違いなかった。
ルトレギナは目元を赤らめて、片手の拳で口元を隠し、「ふ」と笑い声を漏らしながら、二人に力強く頷き返す。
「ありがとう。叔父上、イグナジア――では、行ってくる」
「行ってこい」
「行ってらっしゃい、ルトレギナ」
二人の声に背を押されて、ルトレギナは〈黄昏竜〉に向かって歩いてゆく。
ヤルンヴィド近海の波打ち際まできて、押し寄せてくる波に足を浸しながら、ルトレギナは〈黄昏竜〉と対峙した。
ルトレギナは氷花冠の杖を構え、杖の先に魔力を集中させる。
すると、杖の先に闇を煮詰めたかのような純黒の光球が顕現する。同時にルトレギナは、大規模魔術を発動するための詠唱を始めた。
◇◇◇
長い詠唱と共に、ルトレギナが顕現させた純黒の光球からは、海の水を一瞬にして干上がらせるほどの熱波が放たれていた。
ルトレギナから距離を置いた後方にて。
レイジーナ、イグナジア、アマルスが共同で、何重もの水壁と氷壁、封印障壁を長城の如く創り出し、熱波が帝都に届かぬよう押しとどめる。
しかし、ルトレギナが顕現させた光球の熱は、瞬く間に氷壁と水壁を蒸発させ、封印障壁をも破壊するので、三人は必死に吹き荒れる熱暴風から踏ん張って、帝都を守る長城障壁を無限とも思えるほどに生成し続けた。
「あの魔術は、いったい……!」
長城障壁の蒸発によって生じる爆風に晒されながら、イグナジアがルトレギナの背中を眩しそうに見つめて独り言ちる。
すると、脇腹の傷から血を滲ませて、激痛のために珠のような汗を滴らせるレイジーナが、嬉しそうな顔で答える。
「あれは、二つ目の太陽だ」
そう答えたところでレイジーナはよろけるが、それをアマルスがレイジーナの脇を引っ張り上げることで支える。すかさずイグナジアも、反対側からレイジーナを支えた。
レイジーナはそれにも構わず、興奮するような声色で言葉を続ける。
「世界に、星に愛されたルトは、星をも創造できる――天地創造の神業を成し得る魔術師、というわけだ。あァ、面白ぇ」
レイジーナは「くく」と低く喉奥で笑って、余裕が無さそうなイグナジアとアマルスを叱咤するように呼びかけた。
「さァ、もっと気張れ、てめぇら。俺の甥の初陣だ。もっと派手にやらせてやるぞ」
◇◇◇
ルトレギナは伏せていた目をゆるりと上げ、〈黄昏竜〉を無表情で見据える。
その金色の目は、怪獣の如く光を帯びて、神々しいまでにきらめいた。
「産声の熱
土融けの凍てつき
息吹のはじまり
おわりの息吹
芽生えの時
朽ち落ちる時
魂の揺らめき
ゆらゆらと うらうらと
遍く理を定めしは 忘却の魔王
かの王よ帰れ かの王よ孵れ かの王よ還れ
忘却の魔王の御許しの下
昏き星 暗き王 黒き巨神
今一度 目覚めよ――」
ルトレギナが最後の儀礼詠唱を終える。
ルトレギナが構える氷花冠の杖に先に顕現する純黒の光球が、眼球ほどの小ささに圧縮された。
「〈第二の太陽〉」
ルトレギナが光球を放つ。
すると、光球が辿った軌跡が、海底をも抉って海を真っ二つに割った。
光速で放たれた光球は、一瞬にして〈黄昏竜〉を貫き――瞬く間もなく、〈黄昏竜〉があまりにもの熱衝撃に、骨の髄まで蒸発してしまう。
蒸発した〈黄昏竜〉は、天空を覆い尽くすほどの巨大な雲となって立ち昇り、波を巻き上げて割れた海原は数十年としばらく、元には戻らなかった。




