第18話 王笏の盟約
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(どうして、忘れていたのだろう。どうして、こんなにも大切なことを……僕に『光』の名を授けてくれた叔父上を、今日まで忘れていられたのだろう)
この世界に産まれ落ちた瞬間から。ルトレギナは、レイジーナと出逢っていたのだ。
そして、レイジーナと共に過ごした、五年の歳月は、何ものにもかえがたい大切な記憶だった。
ルトレギナは、再会を果たしてからのレイジーナを想う。
(今、思い返せば……建国記念式典で、僕が雨だと思ったものは。僕の、涙だった。僕が泣いたから、叔父上は約束通り、僕を見つけ出してくれたのか)
暗闇の中で、ルトレギナはぽつりと独り言ちる。少しだけ濡れた、震える掠れ声で。
「僕はもっと、叔父上と一緒に居たかった……独りぼっちが、寂しくて堪らない。独りで居るのは、もう嫌だ……だが僕の所為で、叔父上とイグナジアを、死なせたくない……」
「……大概にしてください。いつまで、ふざけた寝言をほざいていらっしゃるのですか!」
不意に、すぐ近くでイグナジアの怒鳴り声が響き渡り、ルトレギナは、はっと息を吞んで目を開けた。
気が付けば、すぐ眼前にはルトレギナの胸倉を引っ掴んだぼろぼろのイグナジアが、いつもの微笑みも忘れた冷たい真顔で、ルトレギナを見下ろしている。
イグナジアがまるで、穏やかに晴れ渡った黄昏時の空を背負っているかのような眩しさが、少しだけ目に痛かった。
「強欲極まりない寂しんぼうですねぇ? 貴方は! 弱虫な貴方はともかく、私は決して死にません。レイさんも、私が居る限り決して死なせはしません。今もこれからも、ずっと、私たちが貴方の傍に居るでしょう。きっと嫌になるほど、ずっとですよ」
イグナジアの確信を持ったような強い言葉に、ルトレギナは目を白黒させながらも、思考が追いつかないままに嗄れた声を絞り出す。
「なぜ、だ……?」
「あの人が――レイさんが、もう二度と貴方を手放すわけがないからです。そして私は、レイさんより貴方のお守り役を仰せつかっています。それ故にもう、貴方は嫌でも独りぼっちなどにはなれないのですよ。残念でしたねぇ! 故に、さっさと立ち直りなさい。ルトレギナ!」
イグナジアの言葉に、ルトレギナはその身が震えるほどの喜びが、湧き上がってきた。
そうだった。イグナジアは、怪物たるルトレギナよりも遥かに強い──ルトレギナの天敵なのだ。故に、イグナジアの言う通り、きっとイグナジアはルトレギナよりも遥かに永く生きてくれるのだろう。
その確信が、ルトレギナは何よりも嬉しかった。
(ああ。そうか、イグナジア……僕も叔父上も、もう決して、独りにはならないのだな。強いお前が居る限り。決して)
ルトレギナが「ありがとう、イグナジア。また世話をかけてしまったな」と返すと、イグナジアが静かにルトレギナの胸倉を突き放して「気色が悪いことを言わないでください。それより……」と目を伏せた。そして、その薄い唇を嚙み締めて、どこか口惜しそうに視線を漂わせる。
「万全の状態ならともかく、今の私ひとりでは、レイさんをお救いすることができません。こんなことは死んでも言いたくはなかったのですが……貴方が必要なんです。貴方には前にも言いましたが、私はレイさんに救われた身です。あの時、私は現皇帝などより、レイさんに……王の器を見ました。故に私は何としても、レイさんを王にしたい。私はあの人の――〈王笏〉と、ならねばならないのです」
それは、イグナジアがようやく全てルトレギナに曝け出してくれた、紛れもない本心なのだろう。
それをすぐに悟ったルトレギナは、イグナジアへと問いただす。
「叔父上を、王にする――それが、叔父上に仕える理由か?」
「……いけませんか」
「いいや」
ルトレギナは、イグナジアへとゆるゆると首を横に振った。
イグナジアの本音を耳にしたルトレギナは、この瞬間、今までにないほどに、己の目に映る世界が色づいて、光が瞬くように廻っていた。
(叔父上を、王にする。そうか――そうだったのか)
それはルトレギナにとっての、青天の霹靂であり。
ルトレギナにとっての、ある意味での「正解」が、真に見いだされた瞬間だった。
ルトレギナはイグナジアを真っ直ぐに見据え、まるで歌を歌い上げるように、朗々と語りかける。
「僕も、叔父上を王にしたい。イグナジア、今此処に、盟約を結ぼう――レイジーナ・ヘリアントス・デックアールヴの威光を何よりも放ち、その権威を何よりも示す。我々が、レイジーナ王の〈王笏〉となるのだ」
「!」
そう言ってルトレギナが片手を差し出すと、イグナジアが弾かれたように顔を上げる。
そして、しばらく酷く驚愕したように目を瞠っていたが、一度だけ目を閉じて、長く深呼吸をした後。いつもの微笑みを浮かべて、イグナジアはルトレギナの手を握るのではなく、叩くことで応えた。
「……まさか、貴方とこのような盟約を結ぶことになるとは。人生、何が起きるかわかったものではありませんね。ああ、まったく。面倒なことになりました」
「ああ」
ルトレギナは「ふ」と小さく笑みを零して、イグナジアに叩いてもらった手を強く握る。
(僕は何のために生まれてきたのか。僕の生きる意味とは何か。ずっとわからないままだったが……これだ。これしかない。王に成ることを許さぬと予言された叔父上を王とするため、生まれてきたのだ、僕は)
ルトレギナはようやく、己の運命を真に悟ったのだ。
(叔父上の〈王笏〉と成るためならば。予言を覆し。神をも殺そう)
確固たる誓いを胸に刻むと、ルトレギナは早速とばかりにイグナジアに顔を向ける。
「まずは、叔父上を捜しにゆかねばならないな」
「そうですね。そのためには、皇帝のもとへ行かねばらないのですが……我々だけでは、そう簡単に皇帝に会うことはできないでしょう。おそらくレイさんも、皇帝の手によって隠されているはず。皇帝が何を企んでいるのかは、未だ見当がつきませんが」
「皇帝陛下のもとには、あたしが連れて行こう。レイジーナ君のことは……流石にあたしも、看過できないから」
ルトレギナとイグナジアに口を挟んできたのは、ラヴェンデル。
ラヴェンデルは腕を組みながらも、思い悩むように眉を顰めた。
「だけど十中八九、皇帝陛下のもとには〈七王笏〉のメルス卿もいるだろう。彼をまた相手にするなら、一筋縄ではいかないと思う。そこも大きな問題の一つだね……」
「〈天泣の杖〉アマルス・メルスか。その件については、僕に策がある――しかしこの策には、イグナジアのあの技術が必要不可欠だ。イグナジア、協力してくれるか?」
ルトレギナの問いかけに、イグナジアは薄い唇に美しい三日月を浮かべて、いつもよりも妖しい笑みを零した。
「聞くまでもないでしょう。お話しなさい、ルトレギナ」




