第16話 憎たらしい隣人へ告ぐ、
◇◇◇
『――あァ。ルト』
耳元で、レイジーナの声が聞こえた気がした。
今までに聞いたことが無いような。しかし、どこか酷く懐かしい声色をしていた。
「……おじ、うえ……?」
その呟きと共に、ルトレギナの意識は覚醒した。
ぼやける視界を、何度かしばたたかせて、ルトレギナは視線を巡らす。
そこは、半壊しているものの、第一離宮にあるルトレギナの私室に違いなかった。天井が半分無くなって、梟の目が溶け出したような橙色の空が見える。
「……目が覚めましたか。貴方、丸一日ほどは眠っていらっしゃったんですよ」
ふと、イグナジアの声が聞こえて、そちらに視線を移す。するとイグナジアが、ルトレギナの横たわる寝台のそばに椅子を引っ張ってきて座った。
ルトレギナはぼんやりとした頭のまま、イグナジアへと小さく問う。
「おじうえは、どこだ?」
目覚めたばかりのせいか、些か舌ったらずなルトレギナの問いに、イグナジアは少しだけ間を置いた後、静かに答える。
「アマルス・メルスに連れていかれました。私と貴方は気を失ってしまい、離宮に帰ってこられたベネディクトさんに手当てを受け、今に至ります」
イグナジアが珍しく顔を歪め、眉間に深い皺を寄せていた。
「私も意識が混濁していましたので、詳しい話は聞けていないのですが……レイさんとアマルス・メルスの会話の断片から察するに、レイさんはカムヴィ帝のもとへ連れていかれてしまったようです。私がお傍に居ながら、情けない……!」
吐き捨てるように言ったイグナジアの言葉の数々に、ようやくルトレギナは、思考が急速に回り始めた。
(……ちがう。イグナジアの、所為では、ない……あれは)
レイジーナとイグナジアが、ルトレギナを庇ったことで酷く傷ついてしまったこと。
つまりは、ルトレギナのせいで二人は生死にかかわる重傷を負い、そのうえレイジーナは皇帝の下へと連れ去られてしまったこと。
(僕の、せいだ……僕の所為で、イグナジアと叔父上は、命を落としかけた。僕の所為で、叔父上は居なくなってしまった……僕の所為で、イグナジアから叔父上を、奪ってしまった……!)
ルトレギナが己の両手に目を落とすと、その手はイグナジアとレイジーナの血によって、赤黒く染まっていた。
(僕、が……怪物だから……)
ルトレギナの呼吸が次第に荒くなり、その金色の目の焦点が定まらなくなって、血走る。
(二人が、僕が怪物である所為で、傷付くくらいならば……僕が、僕こそが……!)
ルトレギナのわななく口から、声にならない絶叫が轟いた。
(僕だけが、死んでしまえばいい――!)
ルトレギナの無音の絶叫が上がった瞬間。
ルトレギナの全身から、膨れ上がるように黒と金色の魔力の光が迸り、暴風を呼び寄せる。激しい雷の火花が舞い上がる。
だが、魔力暴発に備えたイグナジアの多重封印魔術が施されているため、ルトレギナの周囲にはすぐ半球状の結界障壁が顕現し、ルトレギナの周辺だけにその魔力暴発は押しとどめられた。
◇◇◇
「く……!? ルトレギナ!?」
ルトレギナの魔力暴発によって、暴風を受けて背後に吹き飛ばされたイグナジアは、反射的に持ち前の体術で受け身を取り、転がり様に片膝をついてその場に立つ。
ルトレギナはイグナジアの封印魔術によって展開された結界障壁の中で、封印されているにもかかわらず、出せるだけの魔力を暴発させ、身体を大き仰け反らせながら慟哭の咆哮を上げている。
イグナジアは即座に悟った。ルトレギナのあの状態は、危険極まりないと。
(激情に駆られて、我を忘れている……! あのままではいずれ、魔力暴発が精神をも蝕み、ルトレギナの心が壊れてしまいます……!)
イグナジアは暴風に煽られながらも、何とか立ち上がる。すると、すぐ横にあった部屋の扉から、転がり込むようにラヴェンデルが駆け付けてくれた。
「爆発音が聞こえたかと思えば……これはいったい、何事!?」
吹き荒れる暴風に負けぬよう、大声で問いかけてくるラヴェンデルに、イグナジアも声を張り上げて答える。
「レイさんを失ったことで、ルトレギナが我を忘れてしまい、魔力暴発を起こしています! 僕がルトレギナの強大な魔力の九割を完全封印していましたので、不幸中の幸いです!」
「なるほど、状況報告ありがとう。でも、これで不幸中の幸いか……」
ラヴェンデルが「末恐ろしい子だね」と呟きながらも、どこからともなく、装飾飾りが「しゃらら」と鳴り響く木製の長杖を取り出した。
「ここは、あたしの呪術でルトレギナを深い眠りに落とし、鎮めよう……」
「申し訳ございません、ベネディクトさん。ここは、私にお任せいただけませんか?」
ラヴェンデルの声を制したのは、イグナジア。
ラヴェンデルがはっとイグナジアを振り向くと、イグナジアは眉を下げて苦笑を零しながらも、決意の揺らがぬ眼差しで、暴走するルトレギナを見据える。
「これは、身内である我々の問題です。故に、私が何とかしなければなりません――それに、ルトレギナを正気に戻すには、お優しいベネディクトさんではなく。一切の容赦をしない私こそが、あの癇癪を起こしているお馬鹿さんを荒療治で正気に戻して差し上げなくては。レイさんにどやされてしまうでしょう」
イグナジアはいつも通り、にこりと微笑みを浮かべて、恭しい動作で片手を胸に当てると、ラヴェンデルに頭を下げる。
「どうかお願いいたします。ベネディクトさん」
「……わかったよ。まったく、あなたたち三人は本当に……似た者同士だね」
ラヴェンデルは呆れたように息を吐いたが、すぐに小さく笑って、イグナジアの背中を押し出すように軽く叩いた。
「だけど、決して無理はしないこと。危ない時は、必ずあたしを頼りなさい。いいね?」
「……はい。ありがとうございます。ベネディクトさん」
イグナジアはもう一度、ラヴェンデルへ深々と頭を下げた後、ルトレギナを振り返った。
そうして、ルトレギナから発せられる暴風を一身に受けながらも、ルトレギナへ一歩、一歩と歩み寄っていく。
(眠らせただけでは、ルトレギナの思い違いは正されないでしょう。ルトレギナは、レイさんを見誤っています。故に、荒療治を――ルトレギナの封印された記憶を、解きます)
イグナジアは結界障壁へと到達し、障壁へと触れる。
すると、ルトレギナの魔力から迸った小さな雷が「ばちばち!」と弾けて、ルトレギナの肉を微かに焼いた。それが肩の傷にまで響いて、激痛が走る。肩から血が滲んだ。
(ルトレギナ。貴方はレイさんを、もっと知るべきです――思い出すべきです。私のことを、知ろうとし、知ってくださったように)
イグナジアは肩から全身にかけて走る激痛にも構わず、いつも通りの微笑みを浮かべて、結界障壁の向こう側に居る、ルトレギナの胸倉を引っ掴み、己の方へ引き寄せた。
(さあ、いい加減に目覚めなさい。ルトレギナ。貴方にかけられた皇帝の呪いは、特別に私が解いて差し上げますから)
イグナジアは口の中で、魔術を解く詠唱を唱え、ルトレギナの両目を片手で覆い隠す。
(貴方なんぞが怪物? 馬鹿を言わないでください。貴方は、私の憎たらしい隣人。レイさんの甥――貴方はまだ、死ぬべきではありません)
次の瞬間、イグナジアとルトレギナは、眩い光に包まれた。




