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傾国王の王笏  作者: 根占桐守
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第14話 天泣の杖

 ◇◇◇


 その日、レイジーナは外に出かけており、ラヴェンデルはカムヴィ帝に招集をかけられていて、二人は第一離宮を留守にしていた。

 一方、第一離宮に残っているルトレギナとイグナジアは、ルトレギナの魔術学習のために研究室へと二人籠っている。

 ルトレギナはイグナジアから、封印魔術の授業を受けていた。


「昇る朝

 墜ちる夜

 座して待つ王

 廻り巡る我ら

 息吹は理(ことわり)

 如何なる息吹も殺すが必定

 罪を識(し)れ

 罰を嚙め

 忘却の魔王の御許しの下(もと)

 今一度だけ

 理(ことわり)よ、死ね――〈魔王の死(マジ・キラ)〉」


 詠唱を終える。

 すると、目を伏せていたルトレギナは、閉じた瞼の向こう側に光のきらめきを見た。咄嗟にルトレギナは、ぱっと目を開ける。

 すると、ルトレギナの眼前には、白銀の魔法陣が光り輝いて顕現していた。


「でき、た……!」


 ルトレギナがそう呟くと、魔法陣は近くにあった蠟燭の火に吸い込まれ、火を消した――それから数秒後。魔法陣が破片となって砕け、再び蝋燭の火は灯る。

 それを見届けたルトレギナは、弾かれたように、向かい側に座っていたイグナジアへと目を向けた。


「見たか、イグナジア! ほんの少しではあるが、僕にも……封印魔術が使えたぞ!」

「ええ。見ていましたよ。なかなか良い出来の封印魔術でした。素晴らしいです、ルトレギナ」

「は……?」


 ルトレギナは意外を通り越して、不審そうな目をイグナジアに向ける。ついでに心底怪しむような低い声も漏れ出た。

 そんなルトレギナと目が合ったイグナジアが、にこりといつもの如く完璧な微笑みを浮かべて首を傾げる。


「何です? そのお顔は」

「否(いや)……お前が僕を褒めるものだから、己の耳を疑っていた。どうしたんだ、イグナジア。まさか、具合でも悪いのか?」

「……前にも言いましたが。貴方は私を何だと思っていらっしゃるのですか」


 いつかと同じような問いかけをしてきたイグナジアに、今のルトレギナはおくびも臆さず、胸を張って答える。


「叔父上至上主義者。叔父上以外は塵芥も同然、だろう」

「まぁ、確かに。認識はだいたいそれで合っていますが……話を戻します」


 ルトレギナは内心で「だいたい合っているのか。否定しないのか。それでいいのか、イグナジア……」と呟きながらもイグナジアの声に耳を傾ける。


「私とレイさんが学びを授けているのですから、貴方がこれくらいできるのは当然です。そして、良い指導者とはそれをしっかり褒めるものなのですよ」


 イグナジアの答えに、ルトレギナは何度か目をしばたたかせたが、すぐに納得して素直に頷いた。慈愛に満ちたようなイグナジアの微笑みは、相変わらず胡散臭かったが。


「そういうものなのか。ならば、僕は良い指導者に恵まれて嬉しい」

「ええ。大いに喜んでください。そして、今の封印魔術の術式構築、復習しておきましょう。術式の書き取りもお忘れなく」

「ああ、わかった」


 イグナジアに指示されて、ルトレギナは目の前のテーブルの席に着くと、羽ペンにインクをつけてさっそく書き取りを開始した。

 それを向こう側の席から眺めていたのだろうイグナジアが、おもむろに腕を伸ばしてきて、ルトレギナの書いている文字の一部をトントン、と人差し指で叩く。


「ここ。スペルが間違っています」


 イグナジアの指摘の通りだった。

 ルトレギナは「本当だ」と頷きながら、スペルを書き直そうとする。

 しかし、そのスペルは未だに書き慣れていないようで、上手く書けない。


「このスペルは書くのが苦手だ」


 ルトレギナがそう呟いたのと同時に、いつの間にルトレギナの背後に回ってきていたのか、イグナジアが後ろからルトレギナの手に己の手を重ねてきた。いつも意地でも身につけている手袋は、今外したのだろう。

 イグナジアの手に導かれて、ルトレギナは苦手なスペルを完璧に書き切る。

 またもや発生したイグナジアの意外な行動に、ルトレギナは目を丸くせずにはいられなかったが、同時に「ふ」と吐息と共に笑みを吐き出した。この行為には、憶えがある。


「イグナジアはやさしいな。前にも叔父上に、今と同じように苦手なスペルの書き方を教わったことがある――似た者主従だ。イグナジアと叔父上は」


 既にルトレギナから離れて、自分の席に戻ろうとしていたイグナジアが、一瞬酷く驚いて目を瞠ったが、すぐに呆れたように溜め息を吐いた。


「また馬鹿なことを仰る。これだから能天気皇子は……」


 そこまで言いかけて、ふとイグナジアの声が途切れた。

 ルトレギナは「どうした?」とイグナジアを振り向こうとしたが、その瞬間、イグナジアが目にも留まらぬ速さで、ルトレギナを蹴り飛ばす。併せて、地震のような揺れが発生し、「どおん!」という轟音が鳴り響く。

 辺り一帯が、爆発したかのように白くなった。


「く……!? な、んだ……?」


 ルトレギナは蹴られた脇腹や全身に走る痛みに顔を歪めつつ、衝撃で閉じていた瞼をこじ開ける。

 すると、研究室は半ば崩壊しており、外壁が大きく崩れて青空までもが見えた。辺りには砂埃が舞っている。

 一瞬にして見るも無残に変容してしまった研究室に、ルトレギナは大きく目を瞠ると、すぐにイグナジアの姿を捜して叫んだ。


「イグナジア? イグナジア!」

「か……っは……」


 微かにイグナジアの掠れた声が聞こえた。ルトレギナは砂埃を吸い込んでしまって咳き込みながらも、イグナジアの声が聞こえた方向へ視線を巡らす。

 すると、砂埃の中から垣間見えたのは――右肩に水の槍が深々と突き刺さり、壁へと磔にされたイグナジアの姿があった。しかも首には、鎖のようなものが何重にもなって巻き付いている。


「な……イグナジア!」


 ルトレギナは思いがけず、イグナジアのもとへ駆け付けようと身体を起こすが、ルトレギナの身体はビクともしなかった。

 ルトレギナは己の身体を見やると、ルトレギナの腹から下は、巨大な瓦礫の下に埋もれている。これでは、イグナジアのもとへ駆け付けられない。

 ルトレギナは舌打ちした後に、イグナジアへと再び叫んだ。


「待って、いろ! イグナジア! すぐに、そちらへ……」

「お静かに。そのまま、動かないでください……封印魔術が込められた魔道具、〈魔封じの鎖〉ですか、これは。私を弱らせれば、私の魔力も封印できると……やられましたね」


 ルトレギナの叫びは、イグナジアの潜めるような鋭い声によって遮られた。

 ルトレギナは「何を言っているんだ……!」と独り言ちながらも、再びイグナジアを振り向く。すると、砂埃に紛れてイグナジアに近づく人影が、確かに見えた。

 その人影に、イグナジアがゆるゆると頭を上げて、話しかける。


「やはり、貴殿でしたか……〈七王笏〉が一角。〈天泣(てんきゅう)の杖(つえ)〉、アマルス・メルス卿」


 それは、イグナジアよりも頭一つ分以上は小柄で、一見だけでは少年とも見紛う、ざんばら髪の男。

 男が「少年の年齢ではない」とわかったのは、その隈に縁どられた不健康そうな眼差しが、あまりにも老練な強者の覇気に満ちていたからだ。


「気安く呼ばんでくれる? そんで間違えるなよ~、雑魚クン」


〈七王笏〉の男――アマルスは、低い声を気だるげに連ねる。


「〈七王笏〉最強魔術師様。アマルス様だろが。そこちゃんとしてくれないと困るよ~?」


 高く積み上がった瓦礫の上に立ち、アマルスは鋭く尖った歯を「がちがち」と鳴らしながらイグナジアを見下ろす。

 その見下すような視線を受けたイグナジアは、いつもの如く柔らかな微笑みを浮かべた。


「この〈魔封じの鎖〉、私の強力な封印魔術の情報をダンデリオヌス家からいただいて、わざわざご用意してくださったのですね。ふふふ……ダンデリオヌス家の犬が。目的はルトレギナの暗殺ですか。懲りませんねぇ、あの臆病一族も」


 イグナジアの強気な発言に、アマルスがぴくりと眉を動かす。


「犬とは聞き捨てならないな~。俺は、俺に極上の菓子を献上してくる雑魚に、慈悲深く報いてやってるだけ。理解できるかな~? 小さな脳みその雑魚クンには」

「それを犬と言うのですよ。おつむの弱い〈七王笏〉さ、ん……ぐ、ああ!」


 にこやかに皮肉を口にするイグナジア。その皮肉は最後まで言い切る前に、イグナジア自身の苦悶の声によって途切れた。

 アマルスが、イグナジアの肩に突き刺さっている水の槍を操り、イグナジアの肩の肉を抉っているのだ。おそらく、アマルスの魔術だろう。

 イグナジアが嬲られる様子に、ルトレギナはかっと頭に血が上って、自身を押しつぶしていた瓦礫を全て、魔力を暴発させることで吹き飛ばした。


「イグナジア! ……貴様、イグナジアに近づくな!」


 立ち上がったルトレギナは、よろけながらも懐から短杖を取り出し、アマルスへと向ける。

 そこでようやく目だけでルトレギナを見たアマルスが、低く呟いた。


「さ~て。ダンデリオヌス家名物の白銀林檎のパイのために。一仕事してやるかね」


 その呟きを耳にしたのであろうイグナジアが、はっと目を瞠ると、激痛に耐えながらもルトレギナへと叫んだ。


「早く逃げなさい! ……く、う……あああ……!」


 イグナジアを黙らせるように、アマルスが水の槍を更に深くイグナジアの肩へと突き立てる。アマルスの片手には、もう一本別の水の槍が顕現した。


「雑魚クンは黙ってな。おい、怪物皇子サマ。そこ動くなよ。逃げたらこの雑魚殺すから」


 アマルスがもう一本の水の槍を、イグナジアへと振りかざそうとする。

 しかし、アマルスがまばたきをした一瞬。

 いつの間にか、アマルスの懐近くへと、ルトレギナが瞬間移動でもしたかのように迫っていた。

 目を大きく見開いた不気味な無表情で、ルトレギナは既に口の中で詠唱を終えている。


「割(さ)いて唸れ、裂(さ)いて走れ、咲(さ)いて撃て――〈雷蒴果《ラヨ・バラ》〉」


 花が咲くような雷撃が走り、アマルスが振りかざした水の槍にも直撃した。


「ちっ……」


 水の槍から通じて、片腕が感電したアマルスは舌打ちすると、すぐさま水の槍を掻き消す。それでも、アマルスの片腕は微かに焦げていた。

 アマルスが殺気を迸らせた眼差しで、ルトレギナへと向き合った。

 びりびりとアマルスの凄まじい魔力と殺気が、ルトレギナに突き刺さる。それにも構わず、ルトレギナは短杖を構えて、アマルスを睨みつけた。

 そこに、背後からイグナジアが掠れた声を必死な様子で張り上げる。


「やめなさい、ルトレギナ! それは今の貴方が敵う相手でありません! 私など捨て置いて早く……」

「捨て置けるわけがないだろう。馬鹿を言うなイグナジア」


 間髪を容れず、ルトレギナがイグナジアへと断固として首を横に振った。


「友人を置いて、誰が逃げるものか」

「この……ばか……!」


 ルトレギナは短杖を振るって、より強力な雷魔術を顕現させるため詠唱を始めた。

 しかし、その前にアマルスが背負っていた長杖を、「しゃらん」と鳴らし、ルトレギナに向けて振り下ろす。


「泣け、大蛇(だいじゃ)――〈暗涙の大河(アッルヴィオーネ)〉」


 短縮詠唱。

 それを理解したときには既に、ルトレギナは大蛇の如く長くうねる、大量の水の塊に呑み込まれていた。

 反射的に水を飲んでしまったが、すぐに片手で鼻と口を押さえて、水の侵入に耐える。

 うねる水の向こうで、アマルスが半眼でこちらを見据え、イグナジアが必死の形相で己に突き立つ水の槍を引き抜こうと藻掻いている姿が歪んで見えた。


「魔術師らしいけど。まだ魔術戦にも慣れてないひよこクンだったな~、怪物皇子サマ。そのまま溺れ死ね」

「くっ……ルトレギナ! しっかりなさい、ルトレギナ!」


 イグナジアが何度も呼びかけてくる声が聞こえる。だが、次第にその声も遠くなっていった。

 ルトレギナの視界が、暗く、水の底に沈んでゆく。


「時よ、眠れ――〈常凍の揺り籠(エテルノ・イエロ)〉


 不意に、懐かしい声が、凛と鼓膜を揺らした。

 一瞬にしてルトレギナの視界が真白に染まり、呼吸まで止められる。

 この時、ルトレギナは己を呑み込む水の大蛇と共に、氷漬けになっていた。同じく、傍に居たアマルスもが全身氷に覆われてしまっている。

 辺り一帯には霜が降りて、雪の結晶が舞い踊っている。

 それをイグナジアがまばたきも忘れて固まったまま見つめていると、いつの間にか現れた男――レイジーナが、ルトレギナの氷に触れたことで、止まってしまったかのような時が再び動き始めた。

「キィン」という弦を弾くような高い音と共に、ルトレギナは解凍される。ばらばらと崩れる氷の中からずるりと出てきたルトレギナは、「ごほ……ごほっ、ごほ!」と飲んだ水を吐き出して、ふらつく。そこをレイジーナに支えられた。

 そこでようやく我に返ったのだろうイグナジア。ルトレギナとイグナジアは、二人同時にレイジーナを見て、声を上げた。


「おじ、うえ……!」

「レイさん!」

「おう。待たせたな」

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