第13話 傾国女王の魂と肉
◇◇◇
〈黄昏竜〉単独討伐のため、ルトレギナの魔術鍛錬はラヴェンデルをも巻き込んで、日夜行われた。
本日も第一離宮の外で、ルトレギナはイグナジアに魔術模擬戦の相手をしてもらっている。傍では、レイジーナとラヴェンデルも観戦していた。
「陽光を喰らいし鳥
月影を喰らいし狼
末の御霊 双生の神子
幾星霜を経て あいまみえし時
光は涙し
闇は微笑む
空と大地は高らかに歌い
眠れる王を祝福す――」
ルトレギナが短杖を構え、詠唱する。
だが、まだ魔術を会得して間もないルトレギナでは、短縮詠唱はできない。その間に、イグナジアが警棒杖を戦斧へと変え、雷鳴よりも速く走り、ルトレギナに迫る。
イグナジアの戦斧が、ルトレギナの頸筋を狙って閃くが、それは突如として大地から生え伸びた巨大な蔦植物に遮られた。イグナジアの戦斧を、蔦植物が喰らうかのようにからめとってゆく。
これは、ルトレギナの魔術ではない。
ルトレギナの魔力に反応して、勝手に植物や大地が、ルトレギナを守るのだ。それはまさに、魔力を制限されているルトレギナの最終防衛反応のようなもの。
「おや。やはり、魔力を完全封印しないと非常に面倒ですねぇ。貴方は」
イグナジアがそう呟いて目を細めると、すぐに戦斧を振るって蔦植物を薙ぎ払い、後方に飛び退く。するとそこでようやく、ルトレギナの詠唱が完了した。
「〈蟲出しの雷〉」
ルトレギナの短杖から、桃色の雷が舞って、イグナジアへと無数に襲い掛かる。
イグナジアはその無数の雷を、柔らかに肢体を捻りながら避け、地を這うように駆けることで全て躱しながら、短縮詠唱と共に戦斧をルトレギナに向けた。
「理よ、死ね――〈魔王の死〉」
途端に魔法陣が顕現し、ルトレギナの全魔力が完全封印され、ルトレギナの魔術が掻き消されるどころか、ルトレギナを守っていた蔦植物たちも力なく地に落ちる。
「くっ……!」
ルトレギナが息を呑む間もなく、イグナジアの戦斧がルトレギナの頸に寸止めで触れる。
ルトレギナは「参った」と小さく息を吐いて両手を上げると、イグナジアがにこりと微笑んで、戦斧を離した。
「おやおや。ルトレギナは天敵たる私には、いつまで経っても手も足も出ませんねぇ。これでは黄昏竜の単独討伐など、夢のまた夢ですよ」
「むう……やはり、イグナジアは強いな。僕も早く、短縮詠唱を学ばなければ」
「そういえば、今日の詠唱時間はいつもより三秒も長かったですよ。詠唱中に無駄な事でもお考えになっていらしたのですか? ぼんやり皇子」
「! よくわかったな、イグナジア。だが、決して無駄な事ではないぞ。この間、イグナジアと共に作った『アンコ』だが……あれはもしや、乳酪と相性がいいのではないだろうかと思いついてしまってな。気になって堪らない……イグナジア、後で一緒に食べて、試してみよう」
「……」
ルトレギナが金色の目をきらめかせて、アンコと乳酪の相性について語っていると、にこやかな笑みを微かに引き攣らせたイグナジアが無言のまま、「げし!」とルトレギナの脛を蹴ってきた。
ルトレギナは思わず「!? 何をする、イグナジア……痛……しつこいぞ」と声を上げる。
そうやってじゃれ合っている二人のもとに、観戦していたレイジーナとラヴェンデルが歩み寄って来た。
「あァ。そういえば、てめぇらがこの間作っていた『アンコ』とやら、結構美味かったな。ルト、休憩がてら厨房から持ってこい。ラヴェンデルにも食わせたい。模擬戦の振り返りはその後だ」
レイジーナの提案に、ルトレギナはまた金色の目をきらきらと輝かせて、何度も頷く。もともと表情の乏しいルトレギナだが、最近は目だけでたくさんのことを語るようになった。
「承知した。では、ついでに乳酪も持ってくる。皆でアンコと乳酪の相性を確かめねばなるまいな」
そう言って、ルトレギナは第一離宮へと駆け出して行った。
◇◇◇
ルトレギナの背中が見えなくなるまで見送った後、残った三人は誰からともなく顔を見合わせると、まずレイジーナが口を開いた。
「そろそろ、俺たちの研究対象の一つ――ルトの魔力について、各々の見解の擦り合わせをしていくか。イグナジア、てめぇはどう思う」
レイジーナの流し目に、イグナジアは恭しく片手を胸に当てて、小さく頭を垂れながら答えた。
「はい。私の見立てでは、ルトレギナの魔力は異端のものだと喩えます。我々の魔力とは、まったく異なるものです。彼の魔力が少しでもこの世界に在る限り、万象が彼の魔力に反応せざるを得ない……そう、それはまるで。彼の魔力が万象を司って、いるかのような」
イグナジアの躊躇いがちな言葉に、ラヴェンデルが目を細めながら頷く。
「そうだね。彼の魔力はまるで、いや明らかに――この世界、この星に、愛されている」
「第十三代ヤルンヴィド皇帝〈傾国女王〉とよく似た体質、というわけか」
レイジーナの導き出した答えに、イグナジアは何だかどきりと、嫌に鼓動が速くなった。
まだイグナジアがレイジーナに拾われたばかりの、幼き頃。
イグナジアはレイジーナが〈傾国女王〉の生まれ変わりである、というくだらない迷信を完全否定するために、ヤルンヴィド帝国の歴史書や伝説の資料まで隈なく読み漁って、〈傾国女王〉について調べ上げたことがある。
その時に判明したのは、〈傾国女王〉は人とは大きく異なる、異様な魔力の持ち主であったこと。そして、その魔力はまるで世界に愛され、万象を司るようだったと、どの資料にも記されていたのだ。
イグナジアは思考を巡らす。
(当初、ルトレギナの魔力が、あんなにも天災を呼び寄せてしまっていたのは、ルトレギナが魔力を制御できない故。魔術を使えない故。魔術を使えなかったルトレギナは、謂わば『卵』のようなものです。それが今、魔力制御の術を学び、魔術を扱おうとしている。『卵』が孵ろうとしているのかもしれません。そうなれば……)
とんでもない魔術師が、生まれてしまう。
伝説によれば、ヤルンヴィド帝国どころか、全世界をも傾けたという魔女――〈傾国女王〉のような魔術師が、再び。
イグナジアは恐怖にも興奮にも似た、巨いなる未知の存在に出逢ってしまったかのような途方もなさを覚えて、微かに震える吐息を零す。
そんな時、隣で、ラヴェンデルが冷静にイグナジアとレイジーナを見回してきた。
「〈傾国女王〉とルトレギナの類似点も含め。ルトレギナの強大すぎる魔力を封じることが唯一可能な、天敵たるイグナジアのことも他言無用にした方がいいだろうね。きっと面倒なことになる」
「そうだな」
ラヴェンデルの進言にレイジーナが首肯し、イグナジアも深く頷く。
ふと、レイジーナがどこか遠くを見るような目で軽く天を仰ぐと「そういうことか」と小さく呟いた。
「あいつは〈傾国女王〉の魔力を持って生まれ。俺は〈傾国女王〉の生まれ変わりと云われ生まれたが――俺とルトは、わかたれた魂と肉か? は。通りで……この俺が、ガキなんて面倒くせぇもんを放っておけないわけだ」
どこか、自嘲するような声だった。
その時のレイジーナは、何だか地に足が付いていないようで――今にも何処かに、か細い雲の如く消え去ってしまいそうで、イグナジアは痛いような恐怖が胸を突いた。
そういう恐怖を掻き消そうと、イグナジアは前々からレイジーナに報告したかった、とある件について話そうと、口を開く。
「レイさん。密かにルトレギナの魔力を調べていて、気が付いたのですが……彼の記憶には、封印魔術が施されている形跡があります。しかも、おそらく限定的な封印魔術です。特定のものを、忘却する、といったような……」
イグナジアの申告に、レイジーナは何やら心当たりがあったのだろう。「あァ。成程。それで、か」と独り言ちて、イグナジアに視線を戻す。
イグナジアはレイジーナがこちらを見てくれたことに、密かに酷く安堵した。
「おそらく、昔の俺に関する記憶が封印されてんだろ。ルトの奴、通りで俺のことをすっかり忘れてやがるわけだ。他人様にこの顔を忘れられたのは生まれて初めてだ」
小さく笑って肩を竦めるレイジーナが、「兄上の仕業か。そんなに息子が恐ろしいかよ」と低く呟く。イグナジアは片手を胸に当てたまま、レイジーナへと小声で問うた。
「封印を解きますか? 私の魔術であれば、いつでも解けます」
「否、いい。しばらくはそのままにしろ」
レイジーナは緩く首を横に振って、伏せていた目を上げる。その横顔は、天を睨んでいるようにも見えた。
「ルトの魔術が安定するまで、無暗に記憶に触るのは危うい。ルトの心はまだ……壊れやすいからな」
レイジーナの命令に、イグナジアは恭しく頭を垂れて「かしこまりました」と応える。
一方、ラヴェンデルはどこか懐かしそうに、レイジーナを見やった。
「あなたは……本当に、やさしいね」
女性にしては低めの声は、確かに慈愛に満ちていた。しかし、レイジーナは揶揄うように小首を傾げて、ラヴェンデルを見返す。
「……そんな馬鹿げたことを言うのは、ラヴェンデルだけだよ」
くすくすと笑うレイジーナは、滅多にこういう笑い方をしない。こんな言葉遣いもしない。それをイグナジアは、長年の付き合いで知っている。だからこそ、もどかしくて堪らなくなった。
そんなイグナジアの思いも知らず、二人はいつも通り言い合いをする。
二人揃って、他人が知らぬような顔をして。
「ちょっと。またそんな言い方……馬鹿にしないで」
「してねぇよ。褒めたんだろ」
「あたしが褒めたんだけど……レイジーナ君はあたしを揶揄って、何がそんなに楽しいんだか」
イグナジアはそんな二人から目を逸らして、早くルトレギナが戻ってこないかと、離宮の方向を見つめていた。
されどすぐに、両手いっぱいにアンコと乳酪を抱えたルトレギナの姿を見つけて、イグナジアも他人が知らぬような顔をして、思わず呆れた笑いを零したのだった。




