第12話 黄昏竜
◇◇◇
刺客襲来から一週間。
その日、ルトレギナはいつもより数刻も早い時間にイグナジアによって叩き起こされ、イグナジアに連れられてレイジーナの私室に向かっていた。イグナジアによると、レイジーナが皆で話をしたいらしい。
まだ陽も昇っていないというのに、こんな朝早くから何事かと思ってレイジーナの私室を訪ねると、そこには一人の客人が居た。
「よォ。これで役者は揃ったな」
私室の奥で上質な長椅子に凭れかかるレイジーナが、ひらりと片手を掲げる。
そんなレイジーナの隣に居たのは、中性的な顔立ちの、おそらくは女性だった。
緩く乱雑に結われた黒髪に、凛々しい眉。紫色の鋭い目つき。顔から指の先まで彩られた、タトゥーのような紋様が一番目についた。
女性は長椅子から立ち上がると、ルトレギナに向き直って、深々と一礼する。
「ええと。初めまして。あたしは、ラヴェンデル・ベネディクト。見ての通り魔術師兼、呪術師で……一応、〈七王笏〉がひとり〈祝歌の杖〉と呼ばれる者です。ルトレギナ……殿下」
〈七王笏〉だと名乗った女性――ラヴェンデルに、ルトレギナは思いがけず目を丸くした。何故、帝国最高峰の魔術師がこんなところに居るのか。
ルトレギナは訝しげな顔をして「どういうことだ」とレイジーナを見やる。そして、何やら肩を竦めて口を開きかけたレイジーナを遮ったのは、真顔ながらも顔を蒼ざめさせたラヴェンデルだった。
「ど……どうしよう、レイジーナ君。あたしもしかして、失礼な事言った? やばい、わからん。皇子様と話すの初めてだし……あたし、こういう礼儀作法とか苦手で……」
ラヴェンデルは片手で口元を押さえ、虚ろな目でぶつぶつと呟いたかと思えば、はっと弾かれたようにルトレギナを振り向き、もともと白い顔を更に蒼ざめさせた。真顔のままで。
「まさか……不敬罪で極刑……?」
「ばーか。ルトはそこまで小せぇ男じゃねぇよ。なァ?」
レイジーナが呆れたように溜め息を吐く。
ルトレギナはしばらく、二人が何を言っているのか察せなくて首を捻っていたが、隣に立つイグナジアが「貴方、一応第三皇子でしょう。ベネディクトさんは貴方への態度があのままで良かったのか、気にしていらっしゃるのですよ」と小突いて教えてくれたので、ルトレギナは慌ててラヴェンデルへと首を振って見せる。
「そういうのは気にしない。僕には、お前のありのままで接してくれ……ラヴェンデル。あと、殿下もいらない」
ルトレギナがそう付け足すと、ようやくラヴェンデルがほっとしたように息を吐き出して、「ありがとう。ではそうさせてもらうよ、ルトレギナ」と頷き返してきた。
そこで、場の空気を切り替えるように、レイジーナが二度手を叩いて、私室に居る三人を見回してくる。
「よし。もう挨拶はいいだろ。ここからは本題――楽しい楽しい密談だ。てめぇらも座れ。早速始めるぞ」
レイジーナに顎を振って促され、ルトレギナとイグナジアはレイジーナたちの向かい側の長椅子に座る。同時にレイジーナが話を切り出した。
「まず、俺とラヴェンデルは昔からの腐れ縁でな。大宮殿にしか入ってこない機密情報は、ラヴェンデルから仕入れている。今回も主に情報共有してぇのは、その機密情報だ。だがその前に……ラヴェンデル」
レイジーナがラヴェンデルに目配せをすると、ラヴェンデルはすぐさまその意図を察したのか「うん」と短く頷いて、話を引き継いだ。
「一つ目は、ダンデリオヌス家の動向について。先日、ルトレギナたちはダンデリオヌス家の刺客による襲撃に遭ったそうだね」
「! ああ、そうだ」
ルトレギナはラヴェンデルに頷き返す。
どうやらレイジーナは、いつの間にかその件に関してもラヴェンデルと情報共有していたらしい。
「ダンデリオヌス家には、引き続き気を付けた方がいいよ。あそこは帝国の中でも一大勢力の一つだし……きな臭い動きもしてるから」
ラヴェンデルが細く息を吐き出して、何かを怪しむように目を細める。
「下手すると……思いもよらない大物が出しゃばってくるかも。ダンデリオヌス家はそれくらい金も権力も、多くのものを持っているし。手段も選ばない」
「……大物、と言いますと?」
イグナジアは相変わらずにこりと微笑んでいるが、その目はやはり笑っていない。イグナジアの問いに、ラヴェンデルは少しだけ言いにくそうに視線を泳がせたが、控えめな声で答えた。
「〈七王笏〉……とか」
「でも、今帝都に滞在している〈七王笏〉は、あたしを含めた三人しかいないから。〈七王笏〉が出しゃばってくるのは、万が一の最悪の事態ということだと思ってもらえばいいと思う」とラヴェンデルが付け足す。
だが、答えを聞いたイグナジアの目は依然として鋭く細められており、空気がぴりついていた。イグナジアの空気に中てられて、ルトレギナも薄く唇を嚙み締める。
「ダンデリオヌス家は正直どうでもいい。それよりも、だ。そろそろ本題に入ろうぜ、ラヴェンデル?」
一方で、ぴりつくルトレギナたちとは大きく異なり、レイジーナが何やら楽しげな様子で話題を切り替える。
ラヴェンデルは「どうでもいいとは。言ってくれるね」と呆れたようにレイジーナに言い返しながらも、何やら資料のようなものを取り出して、目の前のテーブルに広げた。
「二つ目。これは今朝、大宮殿にもたらされ、皇帝陛下の命で一部の者しか知らされていない、機密情報――〈黄昏竜〉が大陸の内陸北部に顕現。〈黄昏竜〉の欠伸を受け、ニザヴ王国が消滅。北部列強国が〈黄昏竜〉を迎撃しているが、〈黄昏竜〉の進行は留まるところを知らず、依然として南下中……つまりは、ヤルンヴィド帝国に〈黄昏竜〉が迫っている」
「は……何ですって……!?」
ラヴェンデルの話を聞いたイグナジアが、珍しく驚愕の声を上げた。心なしか、その顔色はいつもより蒼ざめているように思える。
(らぐな、ろく……? 何だ、それは)
一方のルトレギナは、ラヴェンデルの話に全くついていけなかった。それ故に、ルトレギナはレイジーナへとすぐさま疑問の視線を向ける。
一目でルトレギナの意図を察してくれたのだろうレイジーナが軽く頷いて見せると、ラヴェンデルがテーブルに広げた資料を幾つか手に取って目を通しながら語り始めた。
「ルトが知らねぇだろうから、改めて説明すると。〈黄昏竜〉とは一言でいえば人類の天敵。破滅の化身。生き物ではあるが意思疎通は図れず、その体躯は山の如く巨大かつ、強大な魔力を秘めている。〈黄昏竜〉が歩くだけで町一つが容易く滅ぶと云われているが……今回は欠伸一つで国が滅んだな」
レイジーナの解説のおかげで、ルトレギナはようやく話の内容が理解でき、「なるほど」と頷いていると、ラヴェンデルもレイジーナへ頷き返した。
「うん。今回顕現した〈黄昏竜〉は、百年ぶりに現れた、容易く一国を滅ぼすことができるほどの超特大級と認定されたよ」
「へぇ。そりゃあ都合がいい」
「え、何それ……うわ、嫌な予感が……」
レイジーナが機嫌良さそうに妖艶な笑みを浮かべる。すると、ラヴェンデルの顔が引き攣り、何かを悟ったイグナジアは目を伏せて小さく息を吐いた。
「今回顕現した超特大級〈黄昏竜〉。それを誰よりも逸早く単独討伐すれば、容易く、しかも必ずや成れるだろうぜ――〈七王笏〉に。なァ? ルト」
「! そうか……そういう作戦か、叔父上」
にやりとルトレギナへ不敵な視線を寄越したレイジーナに、ようやくルトレギナはこの話の本質が見えてきた。
つまりは、ヤルンヴィド帝国の危機とも言える〈黄昏竜〉をルトレギナが討伐することで、誰にも有無を言わせない功績を上げ、〈七王笏〉の座を確実に手に入れる、という作戦なのだろう。
だがそこに、いつも通りの微笑み顔に戻ったイグナジアが割って入ってきた。
「レイさんのお考えは理解いたしました。ルトレギナが〈黄昏竜〉にボコられ……対峙するのは非常に面白そうな案です」
「ボコ? イグナジアが面白いと思うのなら、良かった」
「いや、全然良くないと思うけど……」
意地の悪いイグナジアと相変わらずの天然を発揮するルトレギナに、ラヴェンデルが呆れたように突っ込みつつ、レイジーナへと眉を顰めて見せる。
「流石に無謀が過ぎるでしょう、レイジーナ君。まだ十七歳のルトレギナを、〈黄昏竜〉と単独で戦わせるなんて……決して無事では済まないはずだ。それに、〈黄昏竜〉の単独討伐なんて、歴史上の記録にもない。有り得ないことだ」
「私もベネディクトさんに同感です。面白い案ではありますが、いくらルトレギナを〈七王笏〉にするためとはいえ、現実味がなさすぎる作戦かと。今回の〈黄昏竜〉は、ヤルンヴィド帝国をも亡国の危機に晒すほどの生ける大災厄。その作戦を遂行するとなれば最悪の場合――ルトレギナが死にます」
ラヴェンデルに続いて、イグナジアも難色を示すようにレイジーナへと目を眇めて見せる。
そんな二人を「は」と鼻で笑うと、レイジーナが小首を傾げてルトレギナへと視線を移した。
「てめぇはどう思う。ルト」
きっと、レイジーナはルトレギナがどう答えるのか既に知っているのだろう。
ルトレギナは何となくそう思いつつ、一つ目をしばたたかせて答えた。
「叔父上の作戦、僕は問題ないように思う。〈黄昏竜〉が生ける災厄ならば、僕は傾国の怪物。同じようなものとして、勝てぬ道理はない。それに、おそらく叔父上は、〈黄昏竜〉を屠るため、僕という怪物に最高の武器を――魔術を、授けてくれているのだろう?」
イグナジアとラヴェンデルが、はっと息を呑む気配がした。
レイジーナは、妖艶な笑みを更に濃くして、薄い唇に美しい三日月を浮かべる。
「流石は我が甥。聡いじゃねぇか――では、本人の承諾も得た。〈黄昏竜〉の単独討伐は決定事項だな。国も救えて〈七王笏〉にもなれる。一石二鳥だ」
どこか観念したように、イグナジアが小さく息を吐く。
「……叔父上と甥御で、本当に似た者同士でいらっしゃいますねぇ。こんなにも荒唐無稽な作戦を思いつき、実行なさろうとするとは。私、もう、あなた方が恐ろしくて堪りません」
「は。ぬかせ」
口元を片手で押さえ、「よよよ……」と泣くように伏せられた切なげなイグナジアの赤い目は、どう見ても面白がっているように笑っていた。それを一蹴するようにレイジーナが鼻で笑い飛ばすので、ルトレギナも微かに笑みを浮かべて二人へと頷き返す。
そこに、どこか煮え切らないような顔をしたラヴェンデルが、おずおずと口を挟んできた。
「今更言いにくい事なんだけど……レイジーナ君、〈七王笏〉の椅子はルトレギナに譲る方針で本当にいいの? 現在の〈七王笏〉が六人しかいないのは、十二年前にあなたが〈七王笏〉の座を自ら退いたからだ。あの最後の空席は、ずっと……皇帝陛下が、レイジーナ君のために空けているものだと、思うのだけれど」
ラヴェンデルの言葉に、ルトレギナは思わず目を丸くした。
レイジーナが〈七王笏〉であったことなど、初耳だったからだ。しかも、現在の〈七王笏〉の空席がカムヴィ帝の意向で、レイジーナのためのものであったとは。
「そうなのか? 叔父上。それならば、僕は……」
叔父上の席を奪うようなことはしたくない。父の意向に背きたくはない。
そう言いかけたルトレギナを遮ったのは、レイジーナの強い語調だった。
「関係ねぇな。俺はおありがたく、その現状を利用させてもらうだけだ。ルトも、余計なことは考えるんじゃねぇ」
優雅に長い脚を組みなおしたレイジーナが、有無を言わさない様子で「それに」と続ける。
「むしろ、俺が再び〈七王笏〉となれば、政敵が馬鹿みてぇに増えて面倒になる……俺はルトとはまた異なる面倒な方向で、〈傾国のもの〉とされているからな」
レイジーナの〈傾国のもの〉という言葉に、思いがけずルトレギナは身を乗り出す。確かにレイジーナは、式典でもルトレギナと同じ〈女王の礼装〉を身に纏う、〈傾国のもの〉に違いなかったのだ。
「なにゆえ叔父上は、〈傾国のもの〉とされている?」
レイジーナはルトレギナと違って、国をも傾ける強大な魔力を暴走させることも無いはず。それなのに、何故。
レイジーナが「そういえば、ルトには言った事がなかったか」と呟き、ルトの疑問に答えようと口を開いた。
「俺は誕生する際に、〈七王笏〉の〈占星の杖〉から神託予言を授かった。『この者、いずれヤルンヴィドを揺るがす者なり。この者、第十三代皇帝〈傾国女王〉の魂を宿せし者なり』……つまりは、俺はかつてヤルンヴィドを滅ぼしかけた傾国の女王の生まれ変わり、らしい。そういうことで、俺は生まれながらに皇族諸侯から民にまで疎まれてきた。そして〈七王笏〉の予言は政にも大きく影響するゆえ、俺の皇位継承権は無いに等しい。そういう奴が〈七王笏〉として再び表舞台に出しゃばってきたら、邪魔に思う者が多いわけだ」
「そんなもの……!」
実害を出した己とは大きく異なり、レイジーナの神託予言は迷信も同然。酷すぎる扱いだと、ルトレギナが声を上げようとした。
だが、代わりに逸早く声を上げたのは、勢いよくその場に立ち上がったイグナジアだった。
「そんなものは迷信です。レイさんは、不当な扱いを受け過ぎています。それと、貴方の皇位継承権は剝奪されているわけではないでしょう。私は、レイさんこそが、真の皇帝の器だと……!」
「イグナジア」
イグナジアの声は、レイジーナの低い声に制された。イグナジアは途端に、口を噤む。
何を考えているのかわからない表情で、しばらく目を伏せていたレイジーナだったが、ふと小さく笑うと、その銀の双眸を上げる。
「この話は終わりだ。俺のことより、まずはルトをどうにかせんとならん。徹底的に魔術を叩きこんで、対〈黄昏竜〉との戦いに備えるぞ」
そう言って、レイジーナはどこからともなく大量の魔術書を持ってくると、ルトレギナの目の前に積み上げた。そして、ラヴェンデルも巻き込んで、今後の魔術指導の方針について話し合っている。
その間もずっと、イグナジアがレイジーナの横顔をひたすらに見つめ、微かに眉を顰めているのを、ルトレギナは見逃さなかった。




