第11話 ルトレギナとイグナジア
それからルトレギナは、イグナジアに担がれて第一離宮の自室に戻ると、額の傷をレイジーナに手当てしてもらう。
レイジーナによると大した怪我ではないらしいが、頭を打ち付けているので念のため、今日いっぱいは安静にしていろと言い付けられて、ルトレギナは寝台に横たわっている。
だが、ルトレギナは現在、途轍もなく動揺していた。
何故なら、あのイグナジアが、甲斐甲斐しくルトレギナの看病をしてくれるからだ。
ルトレギナにこまめに水を飲ませたり、病人用の夕餉をわざわざ別に作って、ルトレギナに差し出してくる始末。
とうとうルトレギナはイグナジアの豹変ぶりが気になるあまりに耐えきれなくなって、夕餉の食器を片付けて戻って来たイグナジアに、恐る恐る尋ねる。
「どうしたんだ、イグナジア……僕なんぞの世話を焼くなど、お前らしくない。まさか、お前も刺客との戦いで、頭を打ったのか?」
「残念ながら、頭を打ったお馬鹿さんは貴方だけです。私はそんな失態は晒しません……というか、貴方は私を何だと思っていらっしゃるのですか。私も怪我人のお世話くらいはしますよ」
「そ、そうか……」
イグナジアのことは「叔父上至上主義者」「叔父上以外は塵を見る目」などと思っていることは無言で呑み込み、ルトレギナはイグナジアにぎこちなく頷いて見せる。
イグナジアが寝台の傍にある椅子に座ると、ルトレギナの額に巻かれた包帯に視線を向けてきた。
「派手なところに傷を作って……私を知りたいなどと、馬鹿なことを仰るから」
イグナジアが何かを試すように、そんなことを言う。
それを受けたルトレギナは、微かに眉を顰めつつも、真剣な眼差しでイグナジアを見返した。
「馬鹿な事? 馬鹿な事でも冗談でもないぞ。本心だ」
ルトレギナはイグナジアにまた反論されるかと身構えたが、イグナジアは案外素直に「……そうでしょうね。貴方はそういう方だ」と零したので、少しだけ拍子抜けして目をしばたたかせる。
イグナジアは何やら考え込むようにしばらく自身の手を見つめていたが、ゆっくりと一度だけまばたきをした後に、ようやく口を開いた。
「……では、少しだけ私のことをお教えしましょうか。仕事上致し方なかったこととはいえ、私だけ貴方の過去や事情を知っているのは何とも気色が悪いので」
「き、きしょくわる……」
色々と思うところがあったが、ルトレギナは何とか飲み込んで、イグナジアの話に耳を傾けた。
「私はかつて、ミドガルという小国の王でした。八歳にして即位しましたので、所謂『幼王』というものです。ミドガルは清らかな森に囲まれた、美しい国でした。伝統的な刺繍、養蚕業、森の数多の神々を貴ぶ信仰、穏やかな民衆。私は幼いながらも王として、故郷を誇りに思っていました。滅びてしまった、今でも」
懐かしむような、柔らかだったイグナジアの声色が変わった。低く、冷たい声色に。
「しかし、私が十三歳の時分。あっという間もなく、ミドガルはヤルンヴィド帝国に侵略され、滅びました。伝統的な刺繍も養蚕業も奪われ、ひたすら鉄を作れと命じられる。森の神々ではなく、唯一無二の神子であるヤルンヴィド皇帝を信仰せよ、と皇族共に鞭を打たれる。我々は、誇りを踏みにじられた挙句、生き残るには全てを自ら捨てざるをえなかったのです。故に私は、王たる才はありませんでしたが、封印魔術と武術を駆使し――カムヴィ帝を暗殺しようとしました。弱肉強食、下剋上がこの世の常ですので。まあ、あえなく失敗しましたが」
「!」
ルトレギナは小さく息を呑んだ。
イグナジアが一国の王だったことにも驚いたが、まさか過去に、父であるカムヴィ帝の暗殺を企てていたとは、思いもよらない。
そんなルトレギナの思考を読み取ったかのように、イグナジアが「いやあ。あと少しでカムヴィ帝の頸を掻き斬れそうだったのですが。惜しかったですねぇ」と不敵な笑みを浮かべる。
意地悪でルトレギナを煽っているつもりだろうが、今のルトレギナはカムヴィ帝のことよりも、イグナジアのことが知りたくて堪らなかったので、どうともなかった。
ルトレギナが挑発に乗らなかったことに、イグナジアが少し目を丸くしたものの、すぐに軽く咳払いをして、話の続きを語り始める。
「そして、処刑されそうになったところをレイさんに救われました。故に私はレイさんに、何にも代えがたい大きな御恩があるのです……しかし、当時のレイさんは私の封印魔術と武術の才を買ってくださったから、私を拾ったのだと仰っておいででしたが……今思えばそれも、誰かさんの天敵たる私を飼いならしておきたかったからでしょうね。はあ、妬けます」
「しくしく」と棒読みの泣き言を零し、じとりと半眼でルトレギナを睨んでくるイグナジアの言っていることの真意が掴めず、ルトレギナは「……どういうことだ?」と尋ねる。
するとイグナジアは目を伏せながら、肩を大袈裟に竦めて見せた。
「つまりは、レイさん以外の皇族は私の憎悪の対象でしかないということです。それは貴方も例に漏れません……先刻までは」
やはり自分も憎しみの対象かと、落ち込んで顔を俯かせていたルトレギナだったが、イグナジアが間を置いて「先刻までは」と付け足した言葉に、弾かれたように顔を上げる。
「今は……殺して差し上げたいと思っている皇族の中でも、貴方のことだけは、少しだけ認識が変わったように思います」
「! ……どのように、変わった?」
ルトレギナは鼓動が速くなるのを感じながら、身を乗り出して、イグナジアを真っ直ぐに見据える。
そんなルトレギナの眼差しから逃げるように、イグナジアはそっぽを向くと、目を伏せながら答えた。
「貴方は……ルトレギナは、底抜けのお馬鹿さんで。憎たらしい隣人、のようなもの……でしょうか」
何だか煮え切らない答えだ。
しかしそれでも、ルトレギナはぱあっと目を輝かせて、大いなる期待を胸に、イグナジアへと早口に問い詰める。
「ならば、僕たちは友人か?」
ルトレギナの言葉に、イグナジアは呆れたように溜め息を吐き出しながらも、笑いを含んだ声で答え返した。
「それだけは御免ですね」




