第10話 天敵
◇◇◇
それからのルトレギナは、ひたすらに飽くことなく、イグナジアへと話しかけに行くようになる。
授業の度に、すれ違う度に、顔を見れば話しかけ、ついには姿を少しでも見かけたら話しかけに行く。
はじめはイグナジアも上手くルトレギナを躱していたが、次第にそのにこやかな笑みは引き攣ったような笑みになってゆき、今ではもう表情を消し去った真顔で、一人で話しまくるルトレギナに「ええ」とか「はあ」と適当な相槌を打つようになった。その声色は何とも面倒臭さそうだが、ルトレギナは一切気にしない。
今日も今日とてルトレギナは、第一離宮の外で洗濯物を干しているイグナジアに張り付き、根気強く話しかけ続けている。
近くには、おそらく離宮に物資を運びに来た業者の荷馬車が数台止まっていて騒がしかったが、ルトレギナの耳にはイグナジアの声以外、一切聞こえていなかった。
「見てくれ、イグナジア」
ルトレギナは傍にある花壇に屈みこんで、イグナジアを呼んだ。
しかし、洗濯物を干しているイグナジアはルトレギナを振り向くこともなく、「ええ」としか言わない。
それでもルトレギナは諦めなかった。
「イグナジア。こちらに来てくれ」
「はあ」
「イグナジアに見てほしいものがある」
「ええ」
「どうしても、イグナジアに見てほしい。イグナジア、イグナジア」
「……ああ、もう……はい。行きます。今行きますから」
とうとうイグナジアが折れて、イグナジアは溜め息を吐きながらルトレギナのもとに歩いてきた。ルトレギナは感情を表に出すのが苦手だが、その時ばかりは目が輝いた。
ルトレギナは近寄って来たイグナジアへと、花壇に並んだとあるものを指し示して見せる。それは、豆の鞘が実った、植物だった。
何かしらの豆類と思われる植物を見たイグナジアが、訝しげに呟く。
「豆、ですか……これが何か?」
「これは、『赤豆』だ。確か東洋では『アズキ』という」
「!」
珍しくイグナジアが酷く驚愕したように、ルトレギナと赤豆を交互に見やった。ルトレギナは赤豆の鞘へと慎重に指で触れながら、イグナジアに語る。
「イグナジア。確かお前は最近、東洋料理の『アンコ』とやらを作ってみたいと叔父上に言っていただろう? それで、イグナジアが読んでいた東洋料理の本を、僕も読んだ。東洋語を読み解くのには苦戦したが……何とか読み解いた。すると、『アンコ』とやらを作るには赤豆が必要だと記してあったゆえ。叔父上の協力も得て、赤豆の種を取り寄せてもらい、僕の魔力を以て育てた。今の僕の魔力でも、植物を芽吹かせることくらいは出来たからな」
「……」
ルトレギナは赤豆の鞘を一つもぎ取ると、立ち上がってイグナジアに向き直る。
イグナジアは驚愕やら困惑やらが入り混じったような目を大きく見開き、絶句していた。
「それで、だ……」
ルトレギナは緊張で高鳴る鼓動を抑えるように、小さく深呼吸をして、イグナジアの目を真っ直ぐに見据える。そして、赤豆の鞘を、イグナジアに差し出した。
「僕と一緒に、『アンコ』を作ってみないか? そして、願わくば……お前と、友になりたい」
ルトレギナは緊張のあまり手汗が滲み、下唇を舐め、祈るように息を止めた。
しばらくの沈黙の後。ようやくイグナジアの口が開く。
「は……はあ……? 私と友人に? そんなことのために、貴方……執拗に私に付きまとい、そこまでの手間暇をかけて、赤豆を育てたのですか……?」
絞り出されたイグナジアの声は呆れ果てたような色があったが、少し掠れていて、困惑しているようにも思えた。
ルトレギナは神妙な顔をしつつ、答えるまでもないようなイグナジアの問いかけに、首を傾げて頷く。
「そうだ、が……」
不意に。
イグナジアの目の色が、変わった。
そう思った瞬間、ルトレギナの身体はイグナジアの手によって、地面へと引き倒されていた。
頭上で、びゅん! と風を切る音が唸る。視界の端に写ったのは、炎の矢だった。
「ダンデリオヌス家……業者を脅して紛れ込んでいましたか」
ルトレギナの傍に片膝をついていたイグナジアがそう独り言ちると、警棒杖を引き抜きながら立ち上がる。
ルトレギナも咄嗟に、矢が飛んできた方向を振り向くと、先程見かけた荷馬車から、続々と黒ずくめの男たちが湧いて出て来ていた。その数は、三十近く。
イグナジアの発言からして、十中八九、ルトレギナの暗殺を目論むダンデリオヌス家の刺客なのだろう。
状況をある程度把握したルトレギナも素早く立ち上がると、イグナジアの隣に駆け寄ろうとする。しかし、それはイグナジアの手に制された。
「来てはいけません。貴方はこの場に留まって。刺客は私が片付けます」
ルトレギナは眉根を寄せて、イグナジアの背中へと言い募ろうとした。
「!」
ふと、視界の端が光って、魔法陣の顕現が垣間見えた。その魔法陣からは、ルトレギナたちの二回りは大きい、巨大な猪型魔獣が現れる――召喚魔術だ。刺客の魔術だろう。
イグナジアからは死角になっていて、おそらく見えていない。
猪型魔獣が音も無く突進してきて、イグナジアに迫る。ルトレギナの身体は、頭で何かを考えるよりも先に、動き出していた。
「イグナジア!」
無意識に叫びを上げたルトレギナは、猪型魔獣の前に飛び出すと、口の中で詠唱を唱えながら猪型魔獣へと指を鳴らす。
「割いて唸れ、裂いて走れ、咲いて撃て――〈雷蒴果〉」
「カン!」と乾いた音が打ち鳴らされると共に、花のような形をした雷撃がルトレギナから咲き誇り、猪型魔獣の頭を貫く。
頭を撃たれた猪型魔獣は白目を剥いたが、その衝撃で猪型魔獣の前足が跳ね上がり、ルトレギナの側頭部に向かって飛んできた――が、ルトレギナは咄嗟に首を捻って、額で猪型魔獣の蹄を受け止める。
「がっ……あ……!」
額に蹄を喰らったルトレギナは大きくよろけ、そのまま倒れるかと思われたが、ルトレギナの全身は力強い腕に支えられた。
「何をやっているのです、貴方は!」
それは、イグナジアの腕だった。
イグナジアは軽々とルトレギナを己の肩に担ぎあげると、飛ぶように近くの林の中へと駆け込む。刺客たちの声が聞こえたが、それらは次第に遠のいていった。
一瞬意識が飛んでいたルトレギナは、気が付けば地面の上へと仰向けに横たえられていて、イグナジアが手巾をルトレギナの額に当てている。
どうやら、出血しているらしい。そんな時でもルトレギナが気になるのは、己のことではなくイグナジアのことだった。
「イグ、ナジア……無事か……?」
「動かないでください」
ルトレギナは何度かゆっくりと目をしばたたかせて、起き上がろうとするが、すぐにイグナジアの怪力で上体を地面に縫い付けられるように押しとどめられる。
そこで、すっと、イグナジアが大きく息を吸う音が聞こえた。
「死にたいのですか……!?」
怒気を孕んだ声だった。
しかも、ぶつけられた言葉は「死にたい」。ルトレギナが以前はよく、独り言ちていた言葉であり――その実は、最も嫌いな言葉だった。
そういうこともあって、傷を負って余裕のない中で受けたイグナジアの怒気に、つい中てられてしまったのかもしれない。
ルトレギナは絞り出すように、叫ぶように、イグナジアへと掴みかかる勢いで言い返した。
「死にたいわけがないだろうが!」
「!」
イグナジアが驚いたように短く息を吸った気配がする。それにも構わず、ルトレギナは思うが儘に、溜まりに溜まっていた本音を、秘めたる願いをぶちまけた。
「僕はずっと……本当はずっと、死にたくなどなかった! 僕はまだ、知りたいことがたくさんある。叔父上を知りたい、魔術を知りたい――イグナジアを知りたい! たとえ遍く人々に死を願われる、怪物であろうとも……!」
ルトレギナは確たる決意を持った眼差しで、イグナジアを睨み上げた。
「僕は、生きたい! イグナジアからは封印魔術も学んでみたい。そして何より、イグナジアと共に料理をしたい、アンコを一緒に作りたい! ゆえに、お前を死なせるわけにはいかない……!」
「……」
睨むルトレギナを、イグナジアはしばらく無言で見つめていた。
だがそのうち不意に「はあ――……」と盛大な溜め息を吐き出して、片手で頭を抱えると、「わかりました。わかりましたよ」と呟いて、額を押さえていた手巾で、乱暴にルトレギナの顔全体を拭い始める。
ルトレギナは思わず困惑の唸り声を上げた。
「ん、く……むう……!?」
「それはそうと、今後はもう私を守ろうなどと勝手なことはしないでいただけますか? あのような魔獣、私の相手にもなりません。ですので、先程の貴方の行動は大変な有難迷惑でした。蛮勇な行動は程々になさってください。それでレイさんにご迷惑でもおかけしたら、今度こそ私が貴方を殺します」
ルトレギナはイグナジアに言い返したかったが、手巾で乱暴に拭われ続けているので、喋ることすらままならない。それをいいことに、イグナジアは独りでにルトレギナへと語りかける。
「ですが、まあ……貴方のその度胸は認めましょう」
「ん、む……は……度胸?」
やっとの思いで言葉を発したルトレギナに、イグナジアが小さく頷く。
「ええ。死ぬ度胸ではなく、貴方が生きようとした度胸です――咄嗟に、致命傷になり得る側頭部を避け、額で蹄を受けたのは正解です。良い度胸といえるでしょう。そういうものは、嫌いではありませんから」
イグナジアが手巾を再びルトレギナの額に押し当てると、「さて」と零してその場に立ち上がった。イグナジアが目を向ける方向からは、刺客たちの声が近づいてくる。
「貴方はここで待機を。後は全て、私が片付けて参りますので」
イグナジアはたった一人で、あの数十人もの刺客たちに立ち向かうつもりなのだ。それをすぐに察して、ルトレギナは声を上げる。
「怪物たる僕であればともかく。イグナジア一人であの人数を相手にするのは無謀だ。今の僕も多少は魔術が使える。ゆえに、二人で……」
「おや。舐めないでいただけますか――ルトレギナ」
初めて、イグナジアに名前を呼ばれた。
その衝撃でルトレギナは大きく目を瞠って、イグナジアを凝視する。するとイグナジアは、いつものにこやかな笑みではなく、主であるレイジーナによく似た、不敵で妖しい笑みを湛えてルトレギナに流し目を送った。
「魔獣一匹に蹄を喰らって伸びている貴方が怪物? 何ともお可愛らしい。ならば私は、〈魔王殺し〉とでも名乗りましょうか」
イグナジアが警棒杖を引き抜く。すると警棒杖が淡く発光したかと思えば、瞬く間にその形状が変わって、イグナジアの背丈ほどの長さをした戦斧となった。魔道具の類なのだろう。
「貴方はただ、そこで見ていればいいのです」
その声がルトレギナの耳に入った瞬間、イグナジアの姿が掻き消えた。
否、消えたのではない――イグナジアが地面を割るほどに踏み込み、たった一歩だけで、刺客たちの前にまで飛んだのだ。
ルトレギナは木々の隙間から、刺客たちに襲い掛かったイグナジアの背中を見つめる。
刺客たちと対峙したイグナジアが、指揮棒の如く軽々と戦斧を振るうと、全ての刺客たちの胸元に魔法陣が顕現した。
「理よ、死ね――〈魔王の死〉」
短縮詠唱。刺客たちの胸へ、魔法陣が吸い込まれる。
すると、刺客たちが目に見えて狼狽し始めた。ルトレギナは、目を見開く。
「まさか……」
「ああ。刺客共の魔力を総じて完全封印しやがった」
ルトレギナの言葉を唐突に引き継いだのは、いつの間にかルトレギナの傍で身を屈ませているレイジーナ。
ルトレギナは思いがけず驚愕の声を上げる。
「な……叔父上!?」
「おう。外が騒がしいと思って来てみれば……ダンデリオヌス家の客にやられたか、ルト。可哀想に。なァ?」
全くもって可哀想だと思っていない、妖しい笑みを浮かべたレイジーナが眉を上げる。ルトレギナを揶揄っているのだろう。
ルトレギナは小さく息を吐いて、レイジーナからイグナジアの方へと視線を戻す。
「それより叔父上、イグナジアのもとへ行ってくれ。いくら敵全員の魔力を封じたとはいえ、多勢に無勢だ」
「あァ。そりゃあ、要らぬ心配だ。イグナジアは確かに、封印魔術しか使えねぇ癖のある魔術師だが。あいつは魔術師である前に――」
イグナジアが戦斧を振るった。
たったそれだけで、「ボッ!」と凄まじい音を立てて、爆風が刺客たちを吹き飛ばす。
しかし、宙を舞った刺客たちは、すぐにイグナジアの戦斧を喰らって、大地に叩きつけられた。
イグナジアの戦斧が目にも留まらぬ速さで閃き、次々と刺客を屠ってゆく。
刺客の頸を刎ねて飛ばし。
刺客の頭を叩き割り。
刺客の胴体を真っ二つに引き裂く。
血飛沫が飛び散る。血の海が湧き出す。
宙と大地の狭間で、舞うように戦斧を振るうイグナジアは、返り血さえ浴びることはない。
「生まれながらの、殺し屋だ」
そうレイジーナが言い終わらぬうちに、イグナジアは全ての刺客を殲滅していた。
ルトレギナはイグナジアの背中を見つめたまま、独り言ちる。
「魔力を封印魔術で封じ、無防備となった敵を圧倒的な体術で仕留める。凄まじい、天賦の才。僕が〈傾国の怪物〉たりえる魔力を封じることができるイグナジアは、紛れもなく――僕の、天敵だ」
呆然としながらも、ルトレギナはそう確信する。
ルトレギナは国をも傾かせる強大な魔力はあるが、あれほどまでの体術の才はない。イグナジアがその気になればいつだって、ルトレギナの命を奪うことなど造作もないのだ。
ルトレギナの独り言を聞いたのだろうレイジーナが、軽く首傾げて見せる。
「友人になりてぇ男が、唯一無二の天敵だったわけだが。何を思った、ルト」
ルトレギナは未だに、殲滅した刺客の後片付けをしているイグナジアの背中に釘付けのまま、レイジーナへと即答する。
「嬉しいと、思った――僕を殺すことができる誰かがいるのは、とても嬉しい。そしてやはり、僕の初めての友人は、イグナジアがいい」
そんなルトレギナの答えに、レイジーナは「そうかよ」と返して肩を竦めて見せた。




