第7話 ルカは今日、何を見ている?
1日1話、頑張ります。
翌日の開館前、イルカプール前には新しい案内板が置かれていた。
本日の特別観察会『ルカは今日、何を見ている?』
ジャンプや大技を中心にしたショーではありません。イルカのルカが、人や音、表情、距離をどのように見ているのかを観察する時間です。ルカの体調や気分を優先するため、内容は毎回変わります。
佐伯が不安そうに案内板を見た。
「“気分”って書いて大丈夫ですかね」
「本当のことです」
凛が即答する。
蒼真も頷いた。
「毎回同じ内容を保証するより、ルカの状態を優先する姿勢を見せた方がいいです」
――今日の主役、僕?
ルカが水面から顔を出した。
「そうだ」
――じゃあ、魚ちょうだい。
「主役料を請求されました」
佐伯が餌バケツを持ち上げる。
「ルカ、いつも通り食べたら始めるぞ」
――一匹多くてもいいよ。
「いつも通りだ」
午前十一時。観覧席の半分ほどが埋まった。昨日の動画を見た親子、スマートフォンを構える若い女性二人組、地元の常連客。赤い帽子の女の子もいた。
佐伯がマイクを持つ。
「これから始まるのは、いつものイルカショーとは少し違う時間です。ルカが何を見て、どう動くのか、みなさんと一緒に観察していきます」
最初は距離の観察だった。
ルカは観客席を見回し、赤い帽子の女の子の前で止まった。ただし、近づきすぎない。二メートルほど離れて、水面を軽く叩く。
――昨日より、こわくない顔。
佐伯が解説する。
「ルカは昨日この子が少し怖がっていたことを覚えているのかもしれません。近づきすぎず、相手が選べる距離で待っています」
観客席が静かにどよめいた。
次はボール遊びだった。
赤、青、黄色。三色のボールを浮かべると、ルカは黄色を選んだ。そして佐伯に戻さず、観覧席の端へ運んでいく。
そこには、腕を組んで退屈そうにしている中学生くらいの少年がいた。
――ずっと見てないふりして見てた。
少年は戸惑ったように笑う。
「え、俺?」
「ルカは、反応が大きい人だけを見るわけではありません。静かに距離を取っている人にも関心を示すことがあります」
佐伯の説明に、少年は耳まで赤くなった。それでも、ボールをそっと押し返す。
ルカはそれを受け取ると、得意げに一回転した。
拍手が起こる。
それは、技が成功した拍手ではなかった。
ルカを見た拍手だった。
最後に、短いジャンプを一回だけ入れた。高すぎない。派手すぎない。だが、ジャンプの前にルカが観客席を見たことで、その一回に物語が生まれた。
観察会が終わっても、客はすぐには帰らなかった。
「毎回違うんですか?」
「昨日の子を覚えていたんですか?」
「動画を投稿してもいいですか?」
凛と佐伯が丁寧に答える。
少し離れた場所で、白髪交じりの女性が蒼真に声をかけた。
「海一郎さんが見たら、喜んだでしょうね」
「祖父をご存じなんですか」
「ええ。前の館長さん、よく言っていました。生き物を見せ物にするな。生き物がこちらを見ていることを忘れるなって」
蒼真は言葉に詰まった。
祖父の言葉は、また別の人の中にも残っていた。
「今日のルカちゃんは、ちゃんとこちらを見ていました。また来ますね」
それだけで、蒼真は少し救われた。
夕方、公式SNSに動画が投稿された。
タイトルは『イルカは、あなたの何を見ている?』。
投稿から一時間で、再生数はいつもの十倍になった。コメントも増えた。
“ジャンプしないイルカショー、逆に見たい”
“子どもへの距離の取り方が優しい”
“このルカちゃんに会いたい”
数字が増えていく。
それは、奪われる数字ではなかった。聞いてくれる人が増える数字だった。
閉館後、ルカはプールの奥で水面に浮いていた。
「今日は何を見ていたんだ?」
――赤い帽子の子は、昨日より前に来た。黄色い子は、見ないふりが下手。白い髪のおばあちゃんは、前にも来たことある。佐伯は緊張しすぎ。
「よく見てるな」
――人間って、顔に出るから。
その声が、ふいに低くなった。
――でも、明日来る人、いやだ。
蒼真の笑みが止まる。
「明日?」
――背広の人。白い部屋のにおいがする。
「白い部屋?」
――痛い音。白い壁。笑ってる人間。あの人、いやだ。
蒼真はすぐに記録した。
凛に来館予定を確認してもらう。午後に、前館長へ線香を上げたいという来客があった。
名前は、守屋春臣教授。
研究を奪った男。祖父のノートに名が残る男。ルカが嫌がる、白い部屋のにおいの男。
蒼真は静かに息を吸った。
「明日、守屋をイルカプールに近づけないでください」
凛はすぐに頷いた。
「分かりました」
今度はこちらが、見る番だった。
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