第89話『惨状の検証』
今週末にまとめて誤字修正する予定ですので、それまでしばしお待ちを!
街壁の向こうから届いた鐘の余韻が、平原の草を撫でる風に混じって辺りに響いた。
西門を出てすぐの街道脇には、緩やかな草地が広がっている。踏み固められた土の道から一歩外れれば、足首ほどの低い草が波のように揺れ、そのあちこちで小さな影がぴょこぴょこと動いていた。耳の長いもの、丸い背をしたもの、柵の上で羽を休めているもの。どれも、初心者向けの牧歌的な景色を構成するには十分な可愛らしさを備えている。
普通のテイマーである旅人なら、きっとここで最初の一匹を見つけるのだろう。そう、普通のテイマーなら。
「まずは、あれで試してみようか」
私は草の間で小さく前脚を動かしている小動物を指した。
よく見る兎に似ている。白と薄茶のまだら模様で、額には小さな角が一本。兎というには胴が丸いのがなんだか愛嬌がある。その鼻先は忙しなく動き、土の中の根か虫でも探しているようだった。いかにも最初の相手らしい。弱すぎず、強すぎず、可愛げもある。肩に乗せて歩くには少し大きいが、初心者の相棒としては悪くないんじゃないか?
ヤトは腰に付けた巾着袋を開け、丸い餌を指先で摘まんだ。
先ほど宿で聞いた通り、街で買える初心者向けの餌らしい。何かの種を固めたようなそれは、草の匂いと穀物の甘さを混ぜたような香りをしていた。機械の身体で拾う匂いだから正確かどうかは怪しいが、小動物向けとしてはそれなりに考えられているように思える。
「ええと、いつも通りでいいのかな」
「いつも通りがどれくらい駄目なのかを見たい。だから、変に工夫しすぎなくていいよ」
ヤトは苦笑し、少しだけ肩を落とした。食事を取って顔色が戻ったとはいえ、同じ失敗をもう一度他人の前でやるのは、なかなか嫌なものだろう。けれど彼は、餌を持った手を低く保ち、腰を落として一歩進んだ。
ヤトはジッと足音を抑えている。素人が見よう見まねで慎重に動いている、というより、何度も失敗した結果として無駄な動きを削られた歩き方に見えた。失敗は人を成長させるのだ。成功には結びついていないが。
駆ければ届くか?という位置に来た所て、角兎はピクリと鼻先を動かし、ピンと耳を立てた。
角兎は顔を上げ、そのままヤトの顔を見た。そこからの動きは速かった。後ろ脚で草を蹴り、ほとんど跳ねるように横へ逃げる。途中で一度だけ振り返ったが、ヤトの手に置かれた餌には目もくれず、低い茂みの中へ消えた。
静寂な世界の中で、ヤトの手だけが餌を摘まんだままポツンと残る。草地に少しだけ間の抜けた沈黙が落ちた。
「まず一回目。接近のみで逃走」
《記録しました。対象は五メートル前後で明確な逃走行動に移行》
ヤトは摘まんでいた餌を掌へ戻し、乾いた笑いを漏らした。
「うん、ほとんどいつも通りだねえ」
落胆というよりは、どこか納得尽くの声に聞こえた。自分でも予想していた結果を、他人の前でもう一度見せるその気まずさは、如何許か。まあ、私が気にしたところでどうともならないのだが。
次は、餌を置くことにした。
ヤトが草の上へ丸い餌を三つ転がし、私たちは街道側へ下がる。ヤトも充分に距離を取った。風が草を優しく倒し、餌の小さな粒がその隙間に半分ほど隠れる。しばらく待つと、先程とは別の小さな影が草むらから顔を出した。今度は角のない兎に近い姿をしていた。鼻を動かしながら餌へ近づき、チョンと前脚で一つを転がす。
で、食べる。
その瞬間、ヤトが半歩だけ前へ出た。
足音で鳴った微かな草の音に気が付いたのか、兎は餌を咥えたまま固まり、次の瞬間には凄まじい勢いで草むらへ飛び込んだ。残された二つの餌が、草の上で寂しく転がっている。
「餌そのものには問題がないように見えました。ヤトさんの接近で逃げていますね」
モリアが同じ餌を一粒受け取り、それを手元に置いて観察をしているようだ。
よし、次の試みだ。
ヤトは草地の端に立ち、少し離れた柵の上に止まっている小鳥へ意識を向けた。テイマーの初期スキルである〈呼び寄せ〉を使うという。どんなスキルなのか分からないが、意思疎通に使える糸を生み出すスキルだそうである。発動と同時に、彼の掌の周囲へ淡い緑の光が集まり、それが細い糸のようなものに変化して小鳥へと伸びた。
光の糸はふらつきながらも対象へ届き、周囲の草葉に微かな揺らぎを残した。あまり理解できない光景だが、テイマーが獣や鳥と意思を通わせるためのものだと言われれば、まあ納得できる光景ではあるか。
小鳥は首を傾げ、次に羽を膨らませた。最後に短く鳴き、そのままどこかへ飛んでいってしまった。小鳥は柵の向こうへ消え、残された光の糸が途中でほどけるように散った。
「うーん、呼び寄せというよりも、むしろ追い払っているよね」
「言い方」
ヤトは反論せず、スキルの発動を終えた掌をソッと閉じた。なんだか可哀想に思えてきたよ。誰がヤトにこんな苦難を与えたのだ……。
ヤトは困ったように笑い、腰の袋を押さえた。中には、まだ使われない餌がいくつか残っているようだ。買った時には、これで何かが変わると思ったのだろうか。それとも、変わらないと知りながら試すしかなかったのだろうか。その姿からは、哀愁が漂っている。
その後もアレコレと条件を変えて試行錯誤の連続である。
ヤトだけを残して私たちがかなり遠くへ下がる。餌だけを遠くから投げる。風下に回る。ただ座って待つ。露骨に視線を外す。残念ながら、そのどれもが大きな改善にはならなかった。
餌だけなら食べるのだ。しかし、ヤトが近づけば逃げ、ヤトの声が届けば辺り一帯に警戒が広がってしまう。気の強い個体は逃げずに威嚇するのたが、だからなんだという話である。何をやってもテイムできないのだ。
「どうしたものか……」
思わず零れたロヨンの呟きが静寂の中で響く。
「植物系……」
モリアがポツリと呟いた。
フードの奥で、その視線が彷徨う。きっとあれこれ考えているのだろう。自分の身体と近いものを連想したのか、単に未知の生態に興味を持ったのかは分からないが、悪くない視点にも思えた。
「そういえば、そっちはまだ試してないねえ。テイマーで植物っていうのが、どうにも想像できなくて」
「獣の顔をした茸くらいはいそうだけれども」
「嫌な可能性だ……」
「ヤトには似合うかもしれないね」
「それは褒めているのかな?」
実験結果は散々だった。テイムどころか、接近も、餌付けも、呼び寄せもまともに通らない。普通のテイマーなら最初に越えるはずの低い低い段差が、ヤトの前では恩寵によって高すぎる壁になっているのだ。
だが、壁の形は見えたのではないだろうか。今回の様々な試みの中で再確認できた知見に関しては、きっとどこかで役に立つに違いない。
それまでは多角的な試行錯誤が不可欠だろうなあ。
まともな相棒がほしければ苦労しろ、というだけなら平凡だけれど、ヤトの恩寵はずっと厳しい枷になっているのが理解できた。
「……普通の獣を普通に仲間にする道は、かなり遠いね」
帰り支度をしながら私が言うと、ヤトは泥や草のついた膝を払い、疲れた顔で笑った。
「知っていたつもりだったけど、改めて今日は自分の現状がよく分かったよ……。けれども、みんなとアレコレ悩んで実験できたのは、思いのほか気が紛れて楽しかったかな」
ヤトは少しだけ目を細めた。
西門へ戻る道は、行きよりも随分と静かだった。感傷に浸っているのもあるけど、みんな頭を使い過ぎたせいで疲労を感じているからだ。かく言う私も疲労困憊である。
草地を抜け、踏み固められた街道へ出る。平原から帰る旅人たちがちらほら見えた。小さな袋を背負った者、採取した草らしきものを一つに束ねた者、武器を肩に担いで笑っている者。街壁の上には、夕陽の光が当たってキラキラと輝いている。
その途中で、肩に小さな猿を乗せたプレイヤーとすれ違った。
猿は茶色い毛並みで、手足が細く、尾をプレイヤーの首元へ軽く巻きつけている。片手には木の実を持ち、器用に殻を割ってその中身を食べていた。プレイヤーが何か声をかけると、猿は短く鳴いて、男性の耳を軽く引っ張る動きをした。なんだか慣れたやり取りに見えた。
思わずといった感じで、ヤトの視線が猿を追った。私もそれに合わせて横を過ぎ去るプレイヤーと猿を見やった。
猿が肩の上で小さく身じろぎし、尾を揺らしながら木の実の殻をぽいと捨てる。その小さな仕草を、ヤトは静かに眺めていた。その横顔には表現できない何かが宿っていた。
やがて猿を乗せたプレイヤーは、私たちが先程まで駆け回っていた平原の方向へと向かっていった。猿は最後に一度だけこちらを見たが、ヤトと目が合った瞬間、慌てた様子でプレイヤーの喉仏の方へ隠れてしまった。
きっちり嫌われているようだ。
それにしても、
「……ああいうの、いいね」
少し遅れて出た声だった。
ヤトは自分でも得た能力の中途半端さを扱いかねているように、腰の袋をポンポンと軽く叩いた。
「いいねえ……。だから、猿よりももっと大きい奴をテイムしよう」
宣言とも取れるその言葉を聞き、皆で静かに頷いた。
そうこうしている内に西門が近づいてくる。門の上には大きな旗が垂れ、夕方前の風でゆっくり揺れていた。門前の列には、平原帰りの旅人が増え始めている。街の内側からは、食事時の匂いが流れてきた。焼いた肉、煮込んだ豆、香草、パン。小麦香る楠亭の夕食も、そろそろ準備が進んでいる頃だろう。
門番の白い札が、前の旅人に向けられて淡く光った。列が一つ進む。
うむ、今日の成果はほとんどゼロだね。ただ、やりようはあるようにも思えた。
この世界は、課せられた重しが大きいほど、その裏側に面白い抜け道を用意しているし、それを乗り越えた時に得られる利益も相応に大きくなるのだ。ヤトの進む道も、きっとどこかに抜け道があるはず。
明るい草原で可愛い小猿を肩に乗せる道ではなく、もっと薄暗く、汚くて、扱いにくい者と共に歩む穢れた道だ。その果てに何がいるのかは分からないが、きっとそうだと思う。どうあっても、普通の可愛い相棒よりはずっと面白い未来に違いない。
私たちは列に並び、そのまま西門の影へと入った。街壁の石が夕方の熱を残し、中心へと近づくほどに市場から響く雑多な声が大きくなる。空腹と疲労と、ほんの少しの収穫を抱えて、私たちはアルラスへ舞い戻った。
あと二話ほど更新します!




