第88話『ヤト』
明日は数話投稿する予定です。
「否定はしないよ。目立つような為りだしね」
私は左手を軽く上げた。その動きに合わせて左肩の外套がフワリと揺れる。
互いの紹介は簡単に済ませた。私はルイス、隣の植物寄りの女性がモリア、大きな体で穏やかに頭を下げたのがロヨン。そんな感じの挨拶を簡単に交わした。ヤトはその度に丁寧に礼を返す。
「皆さん丁寧にどうもありがとう、ヤトです。ええと、クラスはテイマー。今のところ、テイマーらしいことは何一つできていないんだけどねえ」
そう言って笑う声に、少し疲れが混じっていた。事態を軽く済ませようとしているが、本人の中ではもう何度も噛んだ苦い失敗なのだろう。そんなヤトの内情がこれでもかと伝わってくる話し声に、思わず苦笑いを零してしまったではないか。
「立ち話もなんだ。宿へ戻ろう。食事をしながら話した方が良いこともあるさ」
「助かるよ。正直、まともな食事が恋しくなっていたところでね」
歩き出してから聞くと、ヤトは大聖殿で目を覚ました後、旅人用の共同宿へ案内されたらしい。あのポラリス運営の用意した、安く、安全で、寝床もログアウト場所もあるが、受けられるサービスは最低限で、食事も固いパンと薄いスープが中心のアソコだ。旅人を街に留めるための仮置き場という印象のアレである。
「あー、死にはしないが、面白いことも起こらなさそうな場所だろう?」
私はどこかで聞き齧った情報で以て尋ねた。
「うん、正しいよ。悪い宿じゃないんだけどね……。ただ、本当に人との付き合いがないんだ。なんてったってあの部屋、どこも別次元だからさ。相談相手を探すにも、情報を拾うにも、少し味気なくてねえ」
あまり人付き合いが得意そうには見えないし、きっと受動的なのだろう。であるならば、まあ結果は分かるさ。あまり積極的に人と絡みに行かないなら、そんな寂しい部屋で独りだったのだろう。
「でしたら、小麦香る楠亭へ移られるのがよろしいでしょう」
そんなロヨンの言葉に、ヤトは分かりやすく安堵した。彼の荷物はほとんど共同宿に置いたままだという。初期装備と、何種類か買った餌付け用の餌。それだけ聞けば、彼がこの街で何をしようとして、そしてどうなっているのかがなんとなく窺える。
ヤトを連れて大聖殿前の広場を離れ、来た道を戻る。白い尖塔は背後で少しずつ小さくなり、祈りの声や屋台の呼び込みも、通りを一本一本曲がるたびに街の雑音へと溶けていった。西門市場の端を抜ける頃には、香辛料と革と焼き菓子の匂いが入り混じり、さらに細い道へ入ると、焼けた小麦の匂いが鼻先を掠めた。
小麦香る楠亭の軒先では、相変わらず麦穂の束が風に揺れている。扉を押すと、焼き窯の熱とスープの湯気が混じった空気が流れ出した。ヤトの肩から、少しだけ力が抜ける。
女将は私たちを見ると、すぐに事情を察したように帳簿を開いた。追加の一部屋は確保できるらしい。こちらがヤトの分の食事を頼むと、厨房の方から軽い足音が近づいてきた。
「あ、そうだ。さっきはちゃんと自己紹介できませんでしたね」
盆を抱えた少女が、少し得意そうに背筋を伸ばす。
「あたし、ピシュカです。ここの娘です。お母さんが受付で、パパが厨房。パンの匂いがする方にいるのが、だいたいパパです」
「うん、とっても分かりやすいね」
「でしょう?」
ピシュカは満足そうに笑い、ヤトの方へ向き直った。
「お客さんもパンとスープでいいですか? 今なら温かいの出せますよ」
「お願いします。できれば大盛りで」
「はーい!」
ピシュカは即答すると、大声で叫びながら厨房へと駆けていった。奥へ向かって大盛りを告げる声が響くと、女将が軽くこめかみを押さえる。この宿の空気が朗らかである理由は、きっとこの親子にあるのだろう。
私たちは食堂の端の丸卓へ座った。ほどなくして運ばれてきたスープは白い湯気を立て、厚めに切られたパンからは芳醇な小麦の香りが立っていた。ヤトは匙を取り、まずはスープを一口飲んだ。目元が緩む。
「ああ……これはいいねえ」
その一言だけで十分だった。共同宿の薄い塩スープと比べるまでもない、といった感じだろうか。ここのスープ、美味しいからなあ……。でも一番は、やっぱりパンだろう。
「食べながらでいい。現状を確認しよう」
ヤトは頷き、パンをスープに浸したままチラリとこちらを見やる。
クラスはテイマー。信仰は人魔神ロメルガ。恩寵は、獣も避ける人臭、手綱を持たぬ乾いた掌、叫ぶも届かぬ声、溢れ者の影。獣や魔獣から警戒されやすく、近づけば逃げられ、触れれば拒まれ、極めつけに声も届きにくいときたか。初回契約にも強い不利がかかっているようだね。
敢えて言葉にして並べるほど、よくできた嫌がらせだなと思わずにはいられない。モンスターを仲間にする職業を持った信徒に対して、最低限不可欠な前段階を一つずつ塞ぐ恩寵を渡している。乱暴な調整ではなく、狙って細かく締め上げているところが実にポラリスらしいなと思った。
「掲示板には相談した?」
「したよ。初心者相談、テイマースレ、恩寵事故報告のようなところにも少し。色々と言われたなあ。餌を変えろ、対象を変えろ、神殿で祈れ、最初の一匹を気合いで掴め。あとは、今すぐテイマーを辞めろ、とか」
「うーむ、最後は助言ではありませんな」
ロヨンが眉を下げる。ヤトは苦笑しながらも、パンを食べる手を止めなかった。別にロヨンを悲しませるつもりで言ったわけではないのだろう。ただ愚痴を零しただけだ。
彼の話では、小鳥に近づけば間髪入れずに飛び立ち、兎のような小動物は気づいた瞬間に逃げる。魔獣らしき相手は逃げる前に威嚇されるそうだ。餌を置いて離れると食べる個体もいるが、彼が近くにいる間は餌ごと避けられるらしい。
説明だけでもひどいが、説明だけで済ませるには惜しい。こんな面白い状態、中々お目にかかれないぞ。隅々まで観察せねばなるまい。それに、どこで反応が変わるかをしっかりと見れば、この不遇の輪郭が分かるかもしれないしね。
「よし、外へ出よう」
私が言うと、ヤトの匙が止まった。
「えーと、今からかい?」
「日はまだある。西門から出れば平原があるだろう?そこで、アレコレ確認しよう」
「駄目なのを見に行くわけだねえ」
「どこまで駄目か分かれば、どこから先が明確に異常なのかを発見できるかもしれないじゃないか」
ヤトは少し考え、残ったパンを口に入れた。慰めではなく観察だ。色々と思うところはあったのだろうが、彼は最終的にこの申し出を承諾した。
「分かった。どうせ一人でやっても駄目だったんだ。誰かに見てもらった方がいいかもしれないね。一人では決して分からなかった何かを、どうにか掴めるかもしれないし」
そんなこんなで話がまとまった頃、ピシュカは空いた器を見て満足そうに頷き、戻ったら夕食の煮込みがあると教えてくれた。うーん、これはチャッチャと検証を済ませ、戻って来なくてはならないね。
女将にヤトの部屋を追加で頼み、荷物の移動は後回しにした。今は平原での確認が先である。
西門へ向かう頃には、既に午後の光が少し傾き始めていた。門前には商隊と旅人が並び、相変わらず門番たちが人々の出入りを確認している。私たちの番になると、以前見た白い札のような道具がこちらへ向けられた。表面を淡い光が走り、私、モリア、ロヨン、ヤトの順に反応する。
「通ってよし。西の平原へ出るなら、日暮れ前には戻るように」
門番はそれだけ告げ、すぐ次の旅人へ視線を移した。
ヤトが自分の胸元を見下ろす。
「今の、私にも反応していたね」
「一度街へ入った旅人には、目に見えない通行記録のようなものが付くらしいよ。ヤトの場合は、大聖殿で目覚めた時点で色々と処理されたんだろう」
まあ、仕様と呼ばれるやつである。不審者を炙り出すことにも使えるのだろうが、メインの役割は人々の出入りの管理であるそうだ。
「旅人は大聖殿に生える」
「嫌な言い方だねえ」
足元の石畳は門の外へ向かうにつれ、踏み固められた土道へ変わっていく。
少し前に通った西門を抜けると、街壁の外には緩やかな平原が広がっていた。街道の左右に黄金の草が揺れ、遠くには畑と低い柵、さらに丸い丘が見える。草むらのあちこちに小さな影が動いていた。耳の長い兎に似た生き物が跳ね、柵の上には小鳥のようなものが止まっている。
いかにも初心者向けといった景色だった。この街に生まれ落ちた普通のテイマーは、きっとここで最初の一匹を探すのだろう。
「アチコチにいるねえ」
ヤトの声に緊張が混じる。パンとスープで戻った顔色に、また別の疲れが浮かんでいた。失敗した場所へ、もう一度向かう人間のあの顔だ。
「まずは、あの角兎のような個体で試してみよう。よし、距離は十分にある。まだ警戒していないね」
《対象まで推定三十四メートル。警戒行動なし》
「マリー、距離と反応を記録して」
《了解しました》
ヤトは腰の袋を開け、何かの種らしき丸い餌を取り出した。街のそこらで購入することが可能な、初心者向けの餌だ。指先に乗るそれを見下ろし、彼はゆっくり息を吸った。
街壁の向こうから鐘の音が届く。草が風に倒れ、角兎の耳がぴくりと動いた。
獣に避けられるテイマーの、最初の実験である。
ヤトを診察するようです。
イベントに関するお話は数話先のお楽しみです。




