第85話『難航する宿探し』
皆さんはワールドカップ見ましたか?早起きしたかいがありました……!まさかあのオランダに競るとは。次戦も楽しみですね。
「まずは宿探しだね」
そう言った直後、私は通りの端へ寄った。
門を抜けたばかりの西門通りは、思っていた以上に騒がしかった。石畳の上を荷車の車輪が転がり、干し草を積んだ馬車がゆっくりと進み、行商人らしき男が籠いっぱいの果物を抱えて人波を縫う。
露店の布屋根は色とりどりで、赤や青、薄い黄色の布が風を受けてはためいている。その下では、焼き菓子、干し肉、瓶詰めの何か、用途の分からない小物まで並べられていた。
「うーん」
人の密度が濃いなあ。
サンクティンの廃れた外壁や赤砂の荒野を歩いてきた身からすると、目の前に広がる生活の気配が眩し過ぎる。
《周辺の人流密度が高くなっています。接触、衝突、無断鑑定への警戒を推奨します》
「ああ、分かってる」
とはいえ、そこまでおかしな奴も居るまいて。
この世界の鑑定は、相手に完全な無自覚を許すほど都合の良いものではない。少なくとも、簡易鑑定の類を向けられた側には、視線とは別の何らかの引っかかりが残る。相手の名前などまで即座に分かるわけではないが、どの方向から干渉されたのかは感覚として拾えるし、マリーの補助があれば発動者の候補をかなり絞り込める。
つまり、人混みに紛れて鑑定すれば絶対にバレない、というほど甘くはない。
むしろ街中で雑に鑑定を飛ばせば相手に気づかれ、場合によっては面倒な衛兵沙汰になる。掲示板でも、無断鑑定から揉め事に発展したという書き込みは何度か見た。旅人が多い街で、皆が意外と無遠慮に覗いてこない理由の一つは、その辺りにもあるのだろう。
もちろん、隠蔽系のスキルや高位の鑑定なら話は変わるはずだ。だから警戒を解く理由にはならないけれども、まだサービス開始から二ヶ月ほどしか経っていないのだ、そこまで神経質にならなくてもよいだろう。
私は視界の端にメッセージ欄を開いた。ヤトへ到着の連絡をするためだ。
先に宿を確保するか、合流を優先するか。少し考えたが、ここは宿を先に取る方が良いだろう。アルラスの規模なら泊まる場所そのものはあるはずだが、旅人の流入が多い街である以上、条件の良い宿から埋まる可能性は高い。
顔ぶれもアレだしね。宿屋側から見れば、事故の気配がする客三点盛りセットだ。私が宿屋の主人なら、笑顔で迎えつつ内心で帳簿の端に要注意の印を付ける。
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アルラスに到着しました。
たった今西門から街へ入ったところです。宿を探してから、大聖殿方面へ向かう予定です。宿が決まり次第改めて連絡します。
ルイス
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送信して、周囲へ視線を戻す。
ロヨンは忙しなく通りを眺めていた。ガスマスクを外した彼の顔は、相変わらず若々しい。長い耳と高い背丈のせいで目立っているが、ありふれた旅装がそれなりに似合っている。
モリアはフードを深く被り、通りの端にある露店の植物籠へ視線を向けていた。籠の中には、乾燥させた薬草らしき束や、根菜に似たものが並んでいる。今にも手を伸ばしそうな気配があったので、私は軽く声をかけた。
「モリア、買い物は宿の後でね」
「分かっています。ただ、見たことのない乾燥根があったので」
「後でね」
「はい」
随分と名残惜しそうな声だった。
そのタイミングで、ヤトからの返信が届いた。
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到着お疲れ様です。
私は大聖殿の近くにいます。
宿は早めに探した方が良いと思います。大聖殿の周辺は便利ですが、旅人が増えた影響で満室のところも多いようです。
決まりましたら教えてください。
ヤト
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「ふむ」
やはり混んでいるらしい。
ヤトは大聖殿近くにいる。ならば合流自体は後でどうにでもなる。今は拠点となる宿を取った方が懸命か。
「ヤトも、宿は早めに探した方がいいってさ。大聖殿周辺は混んでいるらしい」
「第一都市であり、大聖殿を擁する街ですからな。旅人が増えれば、当然そうなるでしょう」
ロヨンが頷いた。
「とはいえ、泊まる場所そのものがない、ということはないと思います。ここまで大きい街なら、宿の母数も多いはずです」
モリアの言葉も自然だった。
そう。完全に宿無しになることはないだろう。掲示板でも、この世界の各都市には旅人向けの共用宿舎があると書かれていた。いわゆる運営側の救済措置で、最低限の寝床だけなら、どれだけ旅人が増えても確保できるようになっているらしい。いわゆる謎空間とか言うやつだ。
共用宿舎は、収容人数に上限がない特殊な宿泊施設である。基本的な便利機能は利用可能だが、住人が運営する宿屋ので食事や過ごしやすい客室、個別のサービスなどは利用できない仕様だ。
このゲームにおいて宿屋は、単にベッドを借りるたみけの場所ではなく、グアウト中の安全や各種保護機能、荷物の預かり、食事、情報収集、場合によっては住人との関係作りにも深く関わってくる。ギルドハウスなどを持っている者はそちらを拠点にするらしいが、そうでない旅人にとっては、普通の宿を確保する方が遥かに価値が大きい。
「泊まれれば何でもいいなら、共用宿舎で済む。ただ、できれば普通の宿がいいよね」
「人目を避ける意味でも、その方が良いですな」
「あと、せっかく街に来たのに、安宿へ吸い込まれるのは少し味気ない」
通りを進みながら、私たちはまず西門市場周辺の宿を当たることにした。
大聖殿周辺は人気な分、かなり混んでいる。物価や様々な価格も高いだろう。それに、私たちはヤトと合流するために大聖殿付近へ向かうだけで、宿までそこに構える必要はない。市場側なら物資の調達もしやすく、門にも近い。街の外へ出る用事があれば、その時も動きやすいはずだ。
最初に入った宿は、門から見える位置、大通り沿いにあった。
看板には、麦袋と杯の絵が描かれている。入口の横には荷車を置ける広い屋根付きの場所があり、奥には厩舎らしき建物も見えた。中からは賑やかな人の声と、肉を焼く匂いがする。
宿の主人は、丸い腹をした中年の男だった。私たちを見るなり一瞬だけ目を細めたが、すぐに商売用の笑顔へ切り替える。
「いらっしゃい。宿泊かい?」
「三名。できれば個室か、二部屋以上。後で一人合流するかもしれない」
そう伝えると、主人は帳簿を捲ってから申し訳なさそうに眉を下げた。
「悪いねえ。ここ数日、旅人さんがどっと増えていてね。今夜は商隊の予約でほぼ埋まってる。色んな人が寝る大部屋なら二人分くらい詰められるが、三名で部屋を分けるのは厳しい」
「なるほど」
私はちらりと後ろの二人を見る。
大部屋。いわゆる雑魚寝部屋みたいなものだろうか。
寝台の数や広さ以前に、色々な面倒を避ける上では許容できない部分であるかもしれない。何も考えずに大部屋でも良いのかもしれないが、せっかく何事もなく街に入れたんだ。賢明な判断を積み重ねたい。
「今回は見送ります」
「ああ、すまないね。通りを二つ先へ行けば、旅人向けの宿がいくつかある。泊まるだけなら共用宿舎もあるよ。あそこは不思議なくらい空きが出るからね」
礼を言って宿を出る。
二軒目は、外観だけならかなり綺麗な宿だった。白壁に青い窓枠、入口には花の鉢。通りに面した一階の食堂からは、香草と煮込み肉の匂いが流れてきて、客入りも悪くなさそうに見える。
だが、受付にいた若い女性は、私たちを見るとすぐに申し訳なさそうな顔になった。
「すみません。今、残っているのは旧館の二階奥にある小部屋だけなのですが……そちらは最大二名様までと決まっておりまして」
「寝具を足しても駄目かな」
「規則上、難しいです。古い増築部分なので、床板と梁があまり強くないんです。大きな荷物を持った商人の方や、鎧を着た方もお断りしています」
彼女はそう言って、奥へ続く階段の方へ視線を向けた。
階段は妙に細く、踏み板の端が少し反っていた。客が一人で上がる分には問題ないのだろうが、ロヨンがあそこを登れば、床板が一段ずつ不満を鳴らしそうである。さらに私の身体も、見た目より軽いとは言い切れない。金属の骨格と外装を抱えた客を、古い増築部屋に押し込むのは、宿側からすれば賭けに近い。
「以前、重い荷物を持ち込まれたお客様で床を傷めたことがありまして。それ以来、人数と荷物の制限を厳しくしているんです」
「それは仕方ないね」
私が頷くと、受付の女性はほっとしたように頭を下げた。
三軒目は、少し奥まった通りにあった落ち着いた宿だった。木造の古い建物で、表には巡礼者向けの小さな看板が出ている。入口脇には洗われた杖が何本も立てかけられ、軒下には旅装を乾かすための紐が張られていた。
受付にいた主人は、部屋の空きを確認してから、難しい顔で帳簿を閉じた。
「寝台だけなら空きはあります。ただ、今夜は大聖殿へ向かう巡礼団が大部屋をまとめて使っておりましてね。空いている寝台も、その団体の予備分なんです」
「外の客を入れるのは難しいと」
「ええ。病人連れと子供連れが混じっていますし、男女の区画も分けています。知らない旅人を途中から入れるなら、先に泊まっている方々の了承を取らなければなりません。まして三名様となると、こちらの判断だけではどうにも」
言われてみれば、食堂の奥からは静かな話し声と、子供を宥めるような女の声が聞こえていた。扉の隙間から見える荷物も、旅慣れた冒険者のものというより、巡礼者の簡素な包みが多い。
そこへ機械、枯れ木、二メートル神官風の男が追加される。
善良な宿屋の主人が頭を抱えるには十分な組み合わせだった。
「個室は?」
「申し訳ありません。個室はすべて埋まっています。大聖殿へ向かう方が増えていて、こちらも部屋の都合がつけにくくなっておりまして」
「分かった。無理を言う話じゃない」
宿の主人は、いくらか安堵したように頷いた。
こちらとしても、先客の多い大部屋へねじ込まれるのは避けたい。警戒されるだけならまだしも、夜の間ずっと視線を浴びるような場所では休息にならない。何かが起きれば、こちらが悪目立ちする未来まで見える。
またしても空振り。
「さて、どうしたものか」
とはいえ、収穫はあった。
アルラスの宿は、確かに多い。少し歩けば看板が見つかる。大通り沿いの宿、商人向けの宿、巡礼者向けの宿、旅人向けの安宿、少し高そうな宿。街の規模に見合うだけの母数はあるのだ。
ただ、人気のある個別宿はすぐに埋まる。
当然といえば当然だった。どれだけ共用宿舎が便利でも、宿ごとに異なる外観や内装、食事、客層、立地には変え難い価値がある。街を楽しみたい者、仲間と落ち着いて話したい者、少しでも良い食事を取りたい者、特定の施設へ通いやすい場所を選びたい者。そういう者たちは、個性ある宿屋を選ぶ。
私も、例に漏れずそちら側だった。
そんな調子で宿を出ようとした時、宿の主人が私たちを呼び止めた。
「ああ、少しお待ちを」
振り返ると、彼は帳簿を閉じながら考え込むような顔をしていた。
「お客様方のように、少し変わった旅人の方でしたら……楠亭が合うかもしれません」
「楠亭?」
「小麦香る楠亭です。西門市場から一本外れた、少し静かな通りにあります。大きな宿ではありませんが、商人、巡礼者、旅人、いろいろ泊め慣れています。中庭もありますし、火を使う部屋と離れた客室もあります。空きがあるかは分かりませんが、尋ねてみる価値はあるでしょう」
少し変わった旅人。
実に柔らかな表現だ。宿屋の主人としての職業倫理を感じる。
「ありがとう。行ってみるよ」
「看板に麦穂と楠の葉が描かれています。近くまで行けば、パンの匂いで分かると思いますよ」
パンの匂いね。なるほど?
機械の体でも、匂いに相当する情報は十分に拾える。食事を必要としないわけではないが、人間だった頃と同じ意味で空腹になるわけでもない。それでも、焼けたパンの匂いというものには、どこか抗いがたい力がある。
「どうもありがとう、よし、とりあえずそこにってみようか」
作中で宿屋の必要性を上手く説明できているか不安です。この世界ではログアウト中はプレイヤーのアバターがその場に残る仕様なので、性根が腐っている人は工夫次第で悪用し放題なんですよね。神々も地上への干渉は著しく制限されているので、守ることができません。
ただし、ゲームシステムの仕様として抜け殻のアバターを保護するシステムが用意されています。それがセーフティエリアとも呼ぶべき区画での休息で、宿屋やクランハウスがそれに該当します。ここでログアウトする限り、他の人物は如何なる接触や干渉も行えないという設定になっています。




